7/4 (金)
3日目の午後、フランスからスイスに入り、最初に訪れたのはジュネーヴ。
スイスの地図上でジュネーヴの位置を確認すると~
フランスとの国境に近く、スイスの中心から見るとかなり左の外れに位置するのを、 今回の旅行で初めて認識。
ジュネーヴの天気予報では雨だったので、曇り空は致し方ない、むしろ降られずに良かったと。
でも空が青かったらレマン湖の噴水がもっと鮮やかに見えたでしょうに、欲を言えばきりがない。
この大噴水、観光客を集めるための話題作りにと、100年も前に作られたというからすごい。
午前中は2525mの展望台で震えていたのに、レマン湖畔は標高391mなので結構気温が高く暑い。
自由時間はうろうろせずに、レマン湖畔の木陰のベンチで行き交う人たちをウォッチング。
自転車でさっそうと通り過ぎる人、ベビーカーを押す若いママさん、サリーを着たインド系の女性等々~
外国人が多いな~と、ふと気が付くと、ここでは私たちが外国人でした。
レマン湖畔でしばしのんびりと過ごしました。
パレ・デ・ナシオン(国連ヨーロッパ本部)はバスの中から確認しただけ~
1920年依頼、国連の歴史を見守り続けている建物です。
スイスは周りをぐるりと他国に囲まれています。
ドイツに接している付近はドイツ語圏、イタリアに接している付近はイタリア語圏。
そしてジュネーヴはフランス語圏でした。
スイス国内には大小合わせて1500もの湖があるそうですが、その中でも最大を誇るレマン湖。
レマン湖畔の一角にあるラヴォ―地区は葡萄の名産地。
丘陵地帯に広がった葡萄畑の景観の美しさと、ワイン造りの長い伝統と歴史を評価されて、世界遺産に登録されています。
周辺を散策して葡萄の木をまじかで見ると、思ったより小さな木がびっしりと並んで植えられ、まだ未熟な葡萄がたわわに実っていました。
この葡萄は白ワインになるのでしょうね。 白ワインになるシャスラ種かしら。
お日様をいっぱい浴びて育つ葡萄、香り高く美味しいワインが出来るのでしょう。
まだ未熟な梨の実と、珍しい真っ赤なスグリを見つけました~
スグリ一粒思わず口にすると~ 甘酸っぱさが広がりました。 子供のころよく食べた味そのもの。
街中に展示しているのは、葡萄を絞る機械でしょうか。
白ワインを試飲するも、散策して一汗かいた後は、アイスクリームの方が売れていました。
ランチやディナーでは白ワインをかなりいろいろと飲んでみたら、どれを飲んでも美味しいので、
最終日に我が家用のお土産に白ワインを2本お買い上げ。
夏休みに息子と娘の一家が揃う時に乾杯しよう!
レマン湖畔にたたずむ城は、シヨン城(またはシロン城)。
バスの中から偶然に撮影できラッキー。
イタリアとスイス各地を結ぶ街道沿いにあり、かつては通行税を徴収するために使われていたとか。
「パンシロン」という胃腸薬がありますね。
「シロン」という名前の由来は、ロート製薬の当時の社長がスイス旅行をした時に、
レマン湖の「シロン城」の美しさに感銘し、是非とも名前に使いたいと考えていたことによるもの。
「パンシロン」という名前は、開発当初の主成分であるパントテン酸の「パン」をプラスして名付けられた。
と添乗員さんが説明していました~
スイス旅行に旅立つ直前に、BSフジで「辻井信行のスイス紀行」の2時間番組を見ました。
ブラームス、ゲーテ、アインシュタイン、チャップリンなど、多くの芸術家や文化人達に影響を与えた場所。
国家権力に追われてスイスに移り住んだワーグナーは、リストの娘・コジマと出会って結婚した地。
チャップリンもアメリカから国外退去になり、スイスに移り住んでいます。
ラフマニノフがワーグナーが実際に使用していたピアノで演奏する辻井氏の高揚感が伝わってくる番組でした。
オードリー・ヘップバーンも晩年をレマン湖畔で過ごしましたね。
一般観光客の私でさえも、実際にレマン湖畔に佇み感無量でした。
この日の観光予定はすべて終わり、ツェルマット近くのテーシュにあるホテルに向かいます。
続きはまた~