その昔、印旛沼には水の出口がなかったため、利根川の水が増水するたびに周囲は洪水に見舞われました。
そのため “あばれ沼”と呼ばれて来たのです。
江戸時代から大規模な放水路工事が何度も行なわれてきたのですが、ことごとく失敗し、結局、放水路が完成したのは昭和に入ってからのことなのです。
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印旛沼の水位は、酒直水門と酒直機場を操作して、5月から8月まではYP2.5m、9月から4月まではYP2.3mで一定水位になるように管理しています。
常時の印旛沼の水は、長門川を通って利根川へ流下します。
(酒直水門・機場、手前は北印旛沼、水門の向こう側が長門川)
洪水時に利根川の水位が上昇して利根川への自然排水が不可能となった場合には、印旛水門を閉じて利根川からの流入を防ぐとともに、印旛機場(最大92㎥/s)を運転して洪水を利根川に排水します。
(左端が印旛水門、右側が印旛機場、堤防の奥は見えてませんが利根川、手前は長門川)
それでも印旛沼の水位が下がらない場合は、さらに大和田機場(最大120㎥/s)を運転して、印旛沼放水路を通じて東京湾にも排水します。
印旛沼より印旛沼放水路側の河床の標高(4.36m)の方が高いためポンプアップするのです。
(大和田機場、右奥が新川:印旛沼)
洪水時に大和田機場が稼動するのは年に2~3回程度ですが、試運転も兼ねて月1回はポンプを動かしているそうです。
印旛沼放水路は人工の川で、一般的には、八千代市内は新川、千葉市内は花見川と呼ばれています。
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戦後の食糧難対策で進められた干拓事業によって堤防が築かれ、水路が掘られました。開発以前には29K㎡あったのが、北印旛沼6.26Km3と西印旛沼5.29K㎡、合わせて11.55K㎡と、半分以下となってしまい、完全に、人間に管理される沼となってしまったのです・・・
・・・でも、自然は徐々に再生しています。
木々や草花におおわれ、鳥や魚たちも甦ります。
印旛沼は、今でも自然の宝庫なのです。
【水資源機構及び印旛沼環境基金の諸資料から引用しました】
そのため “あばれ沼”と呼ばれて来たのです。
江戸時代から大規模な放水路工事が何度も行なわれてきたのですが、ことごとく失敗し、結局、放水路が完成したのは昭和に入ってからのことなのです。
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印旛沼の水位は、酒直水門と酒直機場を操作して、5月から8月まではYP2.5m、9月から4月まではYP2.3mで一定水位になるように管理しています。
常時の印旛沼の水は、長門川を通って利根川へ流下します。
(酒直水門・機場、手前は北印旛沼、水門の向こう側が長門川)
洪水時に利根川の水位が上昇して利根川への自然排水が不可能となった場合には、印旛水門を閉じて利根川からの流入を防ぐとともに、印旛機場(最大92㎥/s)を運転して洪水を利根川に排水します。
(左端が印旛水門、右側が印旛機場、堤防の奥は見えてませんが利根川、手前は長門川)
それでも印旛沼の水位が下がらない場合は、さらに大和田機場(最大120㎥/s)を運転して、印旛沼放水路を通じて東京湾にも排水します。
印旛沼より印旛沼放水路側の河床の標高(4.36m)の方が高いためポンプアップするのです。
(大和田機場、右奥が新川:印旛沼)
洪水時に大和田機場が稼動するのは年に2~3回程度ですが、試運転も兼ねて月1回はポンプを動かしているそうです。
印旛沼放水路は人工の川で、一般的には、八千代市内は新川、千葉市内は花見川と呼ばれています。
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戦後の食糧難対策で進められた干拓事業によって堤防が築かれ、水路が掘られました。開発以前には29K㎡あったのが、北印旛沼6.26Km3と西印旛沼5.29K㎡、合わせて11.55K㎡と、半分以下となってしまい、完全に、人間に管理される沼となってしまったのです・・・
・・・でも、自然は徐々に再生しています。
木々や草花におおわれ、鳥や魚たちも甦ります。
印旛沼は、今でも自然の宝庫なのです。
【水資源機構及び印旛沼環境基金の諸資料から引用しました】