正月を過ぎると僕はいつも思い出すことがある。
福島県岩瀬郡須賀川町(現・須賀川市)出身 の円谷幸吉さんの遺書。
昭和39年に行われた東京オリンピック。
マラソンの選手として出場。
ゴールの国立競技場に2位で戻ってきたが、後ろに迫っていた
イギリスのベイジル・ヒートリーに追い抜かれて3位になる。
次回のメキシコオリンピック。
国民の金メダルへの期待。
しかしその重圧に耐えられなくなり昭和43年1月9日に自死。
遺書は、彼の苦悩と周りの人たちへの感謝の言葉が鮮明に書かれている。
読んでいて胸が痛む。悲しい事実。
この話しを知ったのは、茶木みやこさんが在籍していたピンクピクルスの『一人の道』。
この歌が流行ったころは中学生だった。
イントロの冒頭に東京オリンピック・マラソンのヒートリーに抜かれる瞬間の実況中継が入っている。
レコードで何度でもこの歌を聴いた。
そして円谷幸吉さんについて関心をもってしまった。
以前テレビで茶木みやこさんが次回の東京オリンピックまでは、
この『一人の道』は歌い続けると言っていた。
オリンピック選手たちの苦悩は分からない。
だけどこういうプレッシャーを抱きながら競技に臨んでいることを知っていなければいけないのかもしれない。
銅メダリスト円谷幸吉 さんの遺書 【一人の道♪】
一人の道 茶木みやこ(元ピンク・ピクルス)
YOU TUBEで懐かしい曲を探していた時に、このグループ名を見たように覚えています。一度聴いてから、CDがあれば買ってみようかと思いながら、未だに聴けないままです。
50年近く前の曲だった様に思いました。
「一人の道」
この歌を初めて聴いたのが中学生だったからもう50年近く経っています。
時の経つのが早いなと感じてしまいました。
ピンクピクルスも思い出しました。
中学生の時ですよね。
当初この歌はシングル盤の「あなたの手紙」のB面でした。
ピンクピクルス、活動期間が約1年間だったから、
知らない人たちもいるかも知れませんね。
京都を拠点に活躍されている茶木みやこさん、好きな歌手の一人です。