中日新聞の元日から連載された「道草のすすめ」
今日の記事にこの小椋佳さんの『道草』について少し触れている。
♪まっすぐに張った糸が あの日僕は好きだった
岩に似て 強いものが あの日僕にあるように
恋さえも人の弱さ 許せないごまかしなんだと
肩はって人を責めても 実りない日々のからまわり
じっと目を閉じ 今 じっと目を閉じ
心の中で琥珀にかすむ思い出たどれば
浮かんでくるのは 不思議と道草
数々の寄り道 まわり道
今日のタイトル「寄り道下校 花が咲く」
小学校のころは道草もよくしていた。
家に帰らずそのまま友だちの家へ遊びに行っていたこともあった。
友だちと近くの神社や公園などにも行っていた。
目を閉じれば、あの頃の自分が浮かんでくる。
新聞記事にはこんなことが書かれている。
「今の子は忙しくて自由がない。近くで咲く花にも気付かない
将来、何を思い出すんだろう」
読んでいるとなんだか心が寂しくなってくる。
♪真実を背負うことが あの日僕は好きだった
この世には他に意味が あの日僕には無いように
どんなにか闇を行こうと 果てない深さの極みに
あこがれを守り袋に はりつめた日々のからまわり
じっと目を閉じ 今 じっと目を閉じ
あの気まぐれとそのたわむれと またあやまちさえ
許しも乞わずに 手を振る道草
数々の寄り道 まわり道
人生という長い道。
自分が今日まで歩いてきた道。
目を閉じ振り返ってみる。
真っ直ぐに歩いてこなかった。
道草ばかりだったかもしれない。
寄り道もした。まわり道もした。
Y路地では右に行こうか、左に行こうか迷ったこともあった。
歩き疲れて休んでいたこともあった。
僕の歩いてきた道は、無駄が多いという人がいるかもしれない。
でも僕にとっては無駄ではなかった。
そんなに急がなくてもいいじゃないか。
ゆっくりでもいいと今でも思っている。
記事に書かれているこの言葉が印象に残った。
「最短距離ではない道草的な発想は、学校でも大事にしていきたい
社会や人生でも、同じなんじゃないかな」
道 草(小椋佳)
明けましておめでとうございます。
名古屋近郊の話題を、懐かしく思いながら読ませていただいています。
三重に住んでから随分たちますが、いまだに名古屋弁のイントネーションが抜けません。
たぶん一生変わらないんだと思います。
奥さまとのカフェ巡りも素敵ですね。
またぜひこちらに遊びに来てください。
今年もよろしくお願いします。
生まれ育った名古屋。
愛着があるとおもいますのでいつまでも名古屋弁が染みついているのでしょうね。
伊勢で名古屋弁。いいと思いますよ。
今度、伊勢に行ったら古い街並みを歩きたいです。
コロナが落ち着いてきたと思ったら、また今度はオミクロン株が増殖中。
旅行に行けれるのはいつになるかな・・・。
今年もよろしくお願いします。