昨夜、元ビートルズのポール・マッカートニーの初の名古屋公演がナゴヤドームで行われました。
会場には3万7千人のファンが詰めかけて、ポールさんはMCをまじえながら37曲歌ったそうです。
じいちゃんは、ビートルズが解散した時中学3年生…、解散のニュースに驚きました。
初めてビートルズというグループを認識したのは、小学校5年生の頃で初来日の時でした。
当時、22~23歳だった叔母さんがTVに噛り付いて公演を見ていた(土曜か日曜日?で母の実家に遊びに行ってた)のが記憶に残っています。
なんせ名古屋の外れの片田舎に住んでいたので洋楽というのを初めて聞いたのも、この時が初めてでした。
ビートルズの公演から暫くして、日本でもグループサウンズなんていうのが流行り出して女の子たちが熱狂していましたが、じいちゃんはどっちかというと艶歌(五木寛之先生のいう所の)にハマっていましたね。
そこから一足飛びに「ナベサダとジャズ」というラジオ番組を聞いてジャズにハマって行くんですが、これは今でも変わりません。
76歳になっても世界中を飛び回って公演しているポールさんには頭が下がります。
演歌歌手は一曲ヒットがあれば一生暮らせるらしいですが、ビートルズ時代も、解散してからもたくさんのヒット曲がある彼なんて天文学的な数字の財産を持っているんでしょう。
じいちゃんだったら、ノンベンダラリと何もせずに暮らしてると思いますが、ポールさんは世界中のファンにまだまだ伝えたいことがあるから公演を続けています。
曲に込められたメッセージをファンに伝えるために、そしてファンの声援を聞くために、ポールさんはこれからも世界を股にかけて飛び回ることでしょう。
会場には3万7千人のファンが詰めかけて、ポールさんはMCをまじえながら37曲歌ったそうです。
じいちゃんは、ビートルズが解散した時中学3年生…、解散のニュースに驚きました。
初めてビートルズというグループを認識したのは、小学校5年生の頃で初来日の時でした。
当時、22~23歳だった叔母さんがTVに噛り付いて公演を見ていた(土曜か日曜日?で母の実家に遊びに行ってた)のが記憶に残っています。
なんせ名古屋の外れの片田舎に住んでいたので洋楽というのを初めて聞いたのも、この時が初めてでした。
ビートルズの公演から暫くして、日本でもグループサウンズなんていうのが流行り出して女の子たちが熱狂していましたが、じいちゃんはどっちかというと艶歌(五木寛之先生のいう所の)にハマっていましたね。
そこから一足飛びに「ナベサダとジャズ」というラジオ番組を聞いてジャズにハマって行くんですが、これは今でも変わりません。
76歳になっても世界中を飛び回って公演しているポールさんには頭が下がります。
演歌歌手は一曲ヒットがあれば一生暮らせるらしいですが、ビートルズ時代も、解散してからもたくさんのヒット曲がある彼なんて天文学的な数字の財産を持っているんでしょう。
じいちゃんだったら、ノンベンダラリと何もせずに暮らしてると思いますが、ポールさんは世界中のファンにまだまだ伝えたいことがあるから公演を続けています。
曲に込められたメッセージをファンに伝えるために、そしてファンの声援を聞くために、ポールさんはこれからも世界を股にかけて飛び回ることでしょう。