NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

逃げてたら、誕生日が来たって大人にはなれない。

2009-03-19 | 休み
「こいつが俺の嫁です!!!」って、どこかのオタクかと思った。駆け落ちってモチーフは今日日観ないなぁ。しかもかなり伝統的な駆け落ちだし。



夜中にリアルタイムで観ないで本当に良かった第24話「告白」。これを観たら、そのあと寝付けないだろうし。20話以降、観るのに本当に体力が必要な濃密さです。それが良い悪いかは別にして。物語自体が躍動してきているので、もう皆の台詞とか云々では無くなってきていて。『エヴァ』が出来なかった風呂敷をきちんと畳みに掛かってて、一応畳めている印象。何故『エヴァ』と比べるかはわかんないけど。『エヴァ』もぼくにとってはSFロボットものじゃなくて、自己肯定とラブコメの物語だからか。



大河「何も望まないんだと決めてた」という大河が持っていた諦念が凄く良く分かる自分が嫌いですが、やっぱり『とらドラ!』は自己肯定の物語だったんだなぁと。目つきが非常に悪いというコンプレックスによって周囲から肯定されないという思い(という思い込み)を持った竜児が自分の前でも笑顔を絶やさずいつも明るい櫛枝に惹かれ、周囲からは「手乗りタイガー」と畏怖され疎外され他者からの肯定を得られず、特に両親からそれを得られなかった大河も自分の外見ではなく性格を気に入ったと告白してきた北村に後々に惹かれる。だからこそ出会った頃に「傍に居続ける」とのある種の告白をして、大河を孤独にさせまいとする竜児に依存し惹かれてしまったと。で竜児はどこで惹かれたのか。


自分勝手な両親に見捨てられた形となった大河と一見良好な親子関係を築いてるように見えて、自分の存在のせいで母親の人生を台無しにしてしまったという思いを抱えていたという点で竜児が実は大河と同じような他者からの肯定を求めていたところに合点がいったというか。だからこそ竜児と大河が運命の相手同士ということに合理性が生まれているように思います。まぁそもそも運命の相手同士なら合理性は要らない気もするけれど、運命ゆえの、必然ゆえの、合理的合致という風に無理やり解釈すれば妥当するような。他者からの肯定、自己肯定を得られなかった2人だからこそ、互いが補完し合うという幸せな相互扶助が得られたんだなぁと。


かけおち告白さえもし合っていない男女が駆け落ちをするというのは唐突と言えば、唐突な。けど、昨日まで櫛枝が好きだった竜児は今日は大河が好きと言い切れてしまうところに高校生の高校生たる所以があるなら唐突ではないかも。2人がともに休んだことを春田の「2人そろって風邪か」との言に、北村が「熱があるんだろ」とつぶやくし。セックスどころかキスすらしてない、まぁアニメや漫画では基本無いので当たり前といえば、当たり前だけど。だからこそ運命の相手なんだろうけどさ。携帯小説とは対極だよなぁと。まぁ対極といえども、その実には要素として性を隠蔽しているけど。だからこその同人誌なわけで。運命の相手同士の恋路は駆け落ちと決まっているからなのやも知れません。そしてこれが竜児の告白の形というのも、なんとも。


製作している人たちも作ってるものが如何に大きい作品であるかを自覚的で盛り上げてくれます。予算と人員と気合入りまくりの作画と動画で凄いくて、全篇、力の抜きどころ無し。素人のぼくには今回は一切わかりませんでした。


ジャイアントさらば後櫛枝の演出周りがウワー。「(大河を)追いかける」との竜児の言葉に、最後の希望を打ち砕かれ、苦虫を噛み潰したような表情。「ジャイアントさらば」と竜児の眼前に突き出した拳が竜児の唇に触れていて、別れたのちにその唇が触れた拳に櫛枝自身が唇を…人肌に暖めた体育大学進学資金が入った預金通帳と印鑑を2人の駆け落ちのために貸すという男前…2人を笑顔で見送った後に川嶋の前だけで泣き崩れるシーンと言い、今回は竜児と大河のエピソードと見せかけて、櫛枝のエピソードだなぁ。辛かったり苦しかったりする姿を見てもらえて報われた櫛枝と比して、だれにもそういう面を気付かれない川嶋は報われない。



さぁ来週は第25話「とらドラ!」、最終話です。ただなんか大河のやり方は100人が100人、「やったー、ハッピーエンド!!」で終わらないような気がします。そこはかとなく。「聖夜祭」以降どうも頭の中でスキマスイッチの「奏」がかかって仕様がありません。最終回はエピローグからはじまったりして。

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