ブルーレイの良い所はマイナー作品もブルーレイでは新譜として店頭やレンタル店に今一度並ぶことと、DVD以上の優位性を示すため?にDVD版では収録されていないテレビ放送時の日本語音声(現在とは異なり、特に80年代までは映画のビデオパッケージは一般的ではなかった)が収録されているところ。
もちろん『ダーティハリー』のブルーレイ版には現在流通しているDVD版には収録されていない日本語音声が収録されている。つまりは山田康雄がいる。今だとクリント・イーストウッドの吹き替えと言えば納屋吾郎や野沢那智とかだろうけど、ぼくらぐらいの年齢まではクリント・イーストウッドと言えば、山田康雄だった。
最近の映画はなるべく字幕で見るけれど、昔の映画はなるべく日本語吹き替えで観たい。それもテレビでの映画放送当時の吹き替えで観たい。最近でこそ当時のテレビ放送時の吹き替えを収録したことを売りにするDVDが発売されたりしているが、最近までは字幕のみや放映当時の吹き替えではなく近年に新たに収録した吹き替えを収録しているものがほとんど。
そして『ダーティハリー』。別の小さな事件で”汚れ役”であるハリーの人となりを描写し、本筋であるゾディアック事件のゾディアックをモデルとしたスコルピオというシリアルキラーの話に。銃撃戦、逃走劇など前半から中盤にかけて山場がありハリーがついにスコルピオを追い詰める。だが権利の説明無しの逮捕や令状無しの家宅捜索でスコルピオは釈放。スコルピオが今一度事件を起こし最後の山場に。
何だろうか、これは。作品全体の構成にしても、スコルピオの犯行手段にしてももはや教科書レベルの完璧さ。山場を随所に配置したり、序盤事件とと終盤の事件でのハリーの台詞をシンメトリーにするなど今見ても流麗で格好良い。スコルピオの行動(刑事を公衆電話に引っ張りまわす、猟奇的な異常者像、自身を被害者とすることでのマスコミの利用)は再三後の作品で引用されまくったために、今見ると若干弱い気はするけれど。
そんな映画の中に山田康雄の声をしたクリント・イーストウッドがいるわけで。ただでさえ格好良いハリーがますます渋く、格好良くなるんだよ。色味以外には画質的にはブルーレイの恩恵を過去作はあまり得られないけれど、テレビ放送当時の音源が収録されているというこの一点のみで十二分にその存在一があるんじゃないだろうか。
山田康雄が60代で亡くなり、イーストウッドが今も存命であることの齟齬と言うと誤解があるけど、この二人が共に生きていないのって言うのは日本のファンにとっては非常な損失。『グラントリノ』は確かに傑作であったけど、イーストウッドの吹き替えに山田康雄がいないことの寂しさ。コワルスキー爺の口から山田康雄の声が聞こえてきたら。
もちろん『ダーティハリー』のブルーレイ版には現在流通しているDVD版には収録されていない日本語音声が収録されている。つまりは山田康雄がいる。今だとクリント・イーストウッドの吹き替えと言えば納屋吾郎や野沢那智とかだろうけど、ぼくらぐらいの年齢まではクリント・イーストウッドと言えば、山田康雄だった。
最近の映画はなるべく字幕で見るけれど、昔の映画はなるべく日本語吹き替えで観たい。それもテレビでの映画放送当時の吹き替えで観たい。最近でこそ当時のテレビ放送時の吹き替えを収録したことを売りにするDVDが発売されたりしているが、最近までは字幕のみや放映当時の吹き替えではなく近年に新たに収録した吹き替えを収録しているものがほとんど。
そして『ダーティハリー』。別の小さな事件で”汚れ役”であるハリーの人となりを描写し、本筋であるゾディアック事件のゾディアックをモデルとしたスコルピオというシリアルキラーの話に。銃撃戦、逃走劇など前半から中盤にかけて山場がありハリーがついにスコルピオを追い詰める。だが権利の説明無しの逮捕や令状無しの家宅捜索でスコルピオは釈放。スコルピオが今一度事件を起こし最後の山場に。
何だろうか、これは。作品全体の構成にしても、スコルピオの犯行手段にしてももはや教科書レベルの完璧さ。山場を随所に配置したり、序盤事件とと終盤の事件でのハリーの台詞をシンメトリーにするなど今見ても流麗で格好良い。スコルピオの行動(刑事を公衆電話に引っ張りまわす、猟奇的な異常者像、自身を被害者とすることでのマスコミの利用)は再三後の作品で引用されまくったために、今見ると若干弱い気はするけれど。
そんな映画の中に山田康雄の声をしたクリント・イーストウッドがいるわけで。ただでさえ格好良いハリーがますます渋く、格好良くなるんだよ。色味以外には画質的にはブルーレイの恩恵を過去作はあまり得られないけれど、テレビ放送当時の音源が収録されているというこの一点のみで十二分にその存在一があるんじゃないだろうか。
山田康雄が60代で亡くなり、イーストウッドが今も存命であることの齟齬と言うと誤解があるけど、この二人が共に生きていないのって言うのは日本のファンにとっては非常な損失。『グラントリノ』は確かに傑作であったけど、イーストウッドの吹き替えに山田康雄がいないことの寂しさ。コワルスキー爺の口から山田康雄の声が聞こえてきたら。
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