土砂降りの雨に会うといつでも思い出す。高校2年の夏、セッセセッセとバイトに励み、貯めに貯めた小銭をバッグに詰めて、中学時代からの親友クロと高校の同級生イナとオイラの3人で自転車の旅に出た。地獄の旅に。山岳部に所属していたオイラ作による綿密な計画書は大変ハードと思われる行程も、他の二人に楽勝ペースな道のりであると誤解させ、ちょいと近所までサイクリング程度なお気軽プランとして行く気満々気分にさせてしまった。始末の悪いことに、計画を立てたオイラでさえ、自転車を平均30km/hで飛ばせば5時間弱で目的地に着く行程であると暑い夏に実って熟れたスイカのごとくあまーくタカをくくっていたのである。3人は行程に潜む地獄を出発してもなお気付かなかったのである。8月最初の金曜日の明け方、3人は鈴鹿を無事出発し、日本海に出て京都を目指した。まず、出発からハンデを抱え込む。クロとオイラのマシンは、いわゆるロードレーサータイプ。タイヤは細く、ギアは前後あわせると15から20ほど搭載し、アルミフレームで長距離を走るには最も適したマシンといえる。もう一人のイナは中学時代通学に使用していたごくごく普通の通学用自転車、おまけに後方フレームにはその当時流行りに流行ったフラッシャーが付いており、ギアも後5段のみ、フレームも太く、マシンの重量はかなりあり、長距離走行にはほぼ向かない代物だったのである。クロとオイラは軽い気持ちで「途中で代わってやるからな。」と重いマシンでペダルを漕ぎ出したイナを励まし、最初の難関、鈴鹿峠を目指した。亀山市を通過し、関町に入ると国道1号線は徐々にその角度を増し、だらだらと頂点に向け斜面を続ける。大型車が多く、吐かれる熱い排気が更に発汗を促進させる。それでもクロとオイラは最適なギアを選択しながら斜面を蹴り続けるが、イナが早くも遅れ出した。クロもオイラもマシンを代わってやろうと言い出せない。更にスタミナを消化することが明らかであるからだ。今でこそ自動車で20分ほどで通過できる国道1号線鈴鹿峠を3人は1時間半を費やし、峠の頂上に立った。現在は既に潰れてないが、当時、峠脇にあった喫茶店に3台のマシンを停め、滴り落ちる汗を拭い、沁みたシャツの汗を乾かすために1時間ほどクーラーの効いた店内で休憩をとった。これからは当分下りばかりだという思いが3人のモチベーションを辛うじて維持していた。そのモチベーションもその直後、打ち砕かれることになる。喫茶店を出て、滋賀・土山町に入り、下り坂を滑る感覚は、熱風であっても心地よい。重力の法則に伴い、3人と3台のマシンは順調に下へ下へとスタミナを温存しながらほぼオートマチックに滑ってゆく。ところがオイラのマシンのタイヤに異変が発生する。徐々に徐々にタイヤのエアが減ってゆく。F1で言うところのスローパンクチャーである。一気にドカンとパンクするのではなく、気が付くと空気がなくなっていたというパンクである。空気入れで空気を入れてはしばらく走るが、当然改善はするわけ無く、更に空気を入れる間隔が狭くなってゆく。仕方なく、休憩をとった際に、自前修理を行なった。以前、何度か経験している作業であり、時間はそれほどかからなかったが、再出発後もどういうわけか、修理したはずのパンクが再発し続ける。結局は修理出来てないのである。後でわかったことだが、タイヤ内に異物が混入し、高速で路面段差を踏んだ際にその異物がチューブを傷つけ、パンクを誘発してたらしい。修理のたびに、リズムが完全に停止し、他の二人も少々うんざり顔で汗を拭いている。その原因を作っているオイラ自身もイライラ感が募りつつあった。それでもマシン・タイヤをだましだましドライブし琵琶湖の見えるところまで到達した。その頃には3人の疲れ、苛立ち、空腹等はピークに達し、誰も話す事を忘れたかのようにしなくなった。その頃である。それまではるかかなたに見えていた、濃いグレーの雲が気づかぬ間に3人の真上に覆い尽くしており、雨か?と思った瞬間溜まりきった上空の水分は大きな雨粒の大群となって3人に降り注いだ。遠雷も進むはずの道の先から見え聞こえる。このまま進むのは、危険であることは明らかである。しかし3人はまだ口を閉ざしたまま開こうともせず、琵琶湖大橋を渡る。全身ずぶ濡れになりながら橋上からの絶景を楽しむこともせず、ひたすらペダルを蹴り続けている。琵琶湖大橋を渡りきったあたりでようやく誰とも無く思い出したかのように久しぶりに声が出された。休憩しよう。昔、琵琶湖大橋の根元には琵琶湖パラダイスという遊園地があった。3人は遊園地の雨宿りできそうなところを何とか探し、真夏だというのに雨で完全に冷え切ったからだとそれを運んできた3台のマシンを押し込んだ。濡れた衣類を替えることなく持ってきていたパンやバナナを貪った。気が付けば雷雲は真上でその恐怖の触手を轟音を伴い3人の周辺に伸ばしつつあった。危なかった。ここにしばしの憩いを求めねば、あの金色の触手に餌食になるところであった。3人は視線を微妙に絡ませつつ、口元を歪めた。
続く。
続く。