二〇二五年二月五日(水)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
ここ数年の気象予報って当たらないなあとか言ってたら今日は当たったね。寒くてタマほとんどエアコンの効いたソファの上で寝そべってた。窓みてたら昼過ぎから小雨が粉雪に変わった。
居間のエアコンね、真っすぐにしか温風出ないからタマの居眠るソファのところが一番心地よかったはずだよ。
わざわざタマのことを考えてそんなふうにエアコンを取り付けてくれてたんだ。
いやいや初代タマを譲り受ける前からだよ。猫を飼う前からそうなの。
じゃあタマのことなんて考えてなかったんだ。
おいおい、そんな言い方は人聞きが悪いぞ。
でも人聞きの好い言い方ばっかりじゃどこかで嘘になっちゃうんじゃない?
それもそうだな。
でね、ソファでぬくぬくしながらお外の粉雪を見てたら西行さんの歌思い出したんだ。この前ちょっと教えてくれたじゃん。
ああ、「湖庵」の「庵」の意味を聞くからこんな歌があるよってね。「柴の庵」とか「笹の庵」とかいかにも寒そうな歌ばかり出てくる。しかしいかにも寒そうって言ったのはタマだよ。
でも西行さんって人気があるんでしょ?小雨が粉雪に変わってくのを見てたらタマもふとわかるような気がしたんだ。
わかるって?
多分だけど、とっても素直に歌を詠もうとしてたんじゃないかって。
そりゃまあ周囲のことばかり気にしてちゃ、正直っていうか、ああいう歌は詠めないと思うよ。恋をするにしても子どもみたいにびびってしまってそれこそ魂がちぎれてしまいそうだって歌詠んでるくらいだし。
そんなのあるの?
あるよ。これかな。
「いとほしやさらに心のをさなびて魂(たま)切れらるる恋もするかな」(「山家集・春・P.372」『新潮日本古典集成 山家集』新潮社 一九八二年)
「切れらるる」?舌がもつれそうだよ、タマとしては。
ははは、確かに舌がもつれそうになるよね。今は知らないけど飼い主が大学受験した頃はこういうのの文法読解ができなくちゃダメだったんだ。
難儀だな~。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。FKAツイッグス。アルバム「LP1」の頃はとてもユーモラスな演出で好感を持って聴いたわけだがそんな中にもどこか痛々しさの欠片のようなものを漂わせてはいた。わざわざ大げさなまでに自分の顔面にべたべたペイントするだけでなくぐにゃぐにゃ変形させて見せるMVなど。けれども黒人アーティストの作品はジャズにせよブルースにせよヒップホップにせよまるでどこにも痛みのないようなものはない。かといって自虐性ばかりを売りにしてきたわけでは全然ない。それにしても今作はアルバムのアートワークからしておぞましいホラーさながら。ところが歌声は相変わらずFKAツイッグス。