幾つかの性暴力がマス-コミあるいはSNSを通して重層的に連結されつつ浮上してくるにつれて家父長制への問いもまた浮上してこざるを得ない。しかし被害者はどのようにして被害を受けた側だと自覚的に「思考する」ことができたのか。「ショックを受けた」からに他ならない。
「思考するということはひとつの能力の自然的な〔生まれつきの〕働きであること、この能力は良き本性〔自然〕と良き意志をもっていること、こうしたことは、《事実においては》理解しえないことである。人間たちは、事実においては、めったに思考せず、思考するにしても、意欲が高まってというよりはむしろ、何かショックを受けて思考するということ、これは、『すべてのひと』のよく知るところである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.354」河出文庫 二〇〇七年)
ただ「ショック」というだけでは被害者「数」やその質の「度合い」はよくわからない。「ショック」という言葉がただ単一の感情を表しているだけなら「加害者=一人/被害者=一人」という謂わば「行きずりの犯行」で済まされてしまう可能性が大いにあるだろう。さらに「それだけのこと」として処理されてきた事例ならもっと巨大に違いないと報道/情報の受け手は想像をたくましくするかもしれない。
だからただ単に「ショック」だというわけではなく「ショックを受けて」《始めて》「思考する」ことへ進んだのだろうと思える。その「ショック」が性暴力であり、そこから「思考する」ようになった、そう考えるほかない。また性暴力が「思考の始原」にあるとすればこう言えるに違いない。「思考において始原的であるもの、それは不法侵入であり、暴力であり、それはまた敵であって、何ものも愛知(フィロゾフィー)〔哲学〕を仮定せず、一切は嫌知(ミゾゾフィー)から出発する」。
「概念というものは可能性を示しているにすぎないのだ。概念に欠けているのはひとつの爪である。絶対的必然性の爪、すなわち、思考に加えられる根源的暴力という、また奇妙さという、あるいはそれだけが思考をその自然的昏迷とその永遠の可能性とから救い出す敵意という爪であるようなひとつの爪である。これほどの事態であってみれば、思考のなかに強制的に引き起こされた、非意志的な思考〔作用〕よりほかに思考は存在せず、不法侵入によって、偶然から世界のなかに生まれ出るがゆえに、ますます絶対的に必然的であるような思考しか存在しない。思考において始原的であるもの、それは不法侵入であり、暴力であり、それはまた敵であって、何ものも愛知(フィロゾフィー)〔哲学〕を仮定せず、一切は嫌知(ミゾゾフィー)から出発するのだ」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.371~372」河出文庫 二〇〇七年)
「嫌知(ミゾゾフィー)から出発する」とあるのは逆説的だが「暴力」がおぞましければおぞましいほど被害者側は最初に否認したがる傾向があるということは世界的によく知られた通例であっていずれにしてもそこから「思考」が始まったと考えるのが妥当におもえる。あからさまな「不法侵入」であり「暴力」であり「敵」であり、その計り知れない<おぞましさ>ゆえに「思考する」ほかなくなったと。「思考」はまた「探究」と言い換えることができるかもしれない。
「私たちが真実を求めるのは、具体的な状況に直面してそう決心するとき、この探究に私たちを駆り立てる一種の暴力を受けとるときだけである」(ドゥルーズ「プルーストとシーニュ・P.22」法政大学出版局 二〇二一年)
ドゥルーズの言葉ばかり引いているように見えるけれどもそれに先立ってプルーストはいう。
「すでにコンブレーで私は、ひとつの雲や、三角形や、鐘塔や、小石といったイメージから、それを見つめるよう促され、こうして表徴の背後には、私が発見しようと努めるべきなにかべつのものが隠れているのかもしれない、さまざまな物質的対象を示しているだけと考えられがちな判読できない象形文字のように、その表徴の表現するなんらかの想念が隠れているのかもしれないと感じながら、そのイメージを注意ぶかく凝視すべく精神の前にじっと固定していたのである。その解読はたしかに困難なものであったが、しかしその解読だけがなんらかの真実を読みとらせてくれるものだった。なぜなら、白日の世界において知性がじかに透かして把握する真実は、人生が印象としてわれわれに思いがけず伝えてくれる真実に比べれば、さほど深いものでも必然的なものでもないからだ。要するに、マルタンヴィルの鐘塔の眺めが与えてくれたような印象であろうと、不揃いなふたつの敷石やマドレーヌの味覚が与えてくれたような無意識の記憶であろうと、どちらの場合も、私が感じたものを考え抜くことによって、つまり私が感じたものを薄暗がりからとり出してその精神的等価物に転換するよう努めることによって、ひとつひとつの感覚をそれぞれの法則と思考を備えた表徴として解釈しなければならなかったのである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.454~455」岩波文庫 二〇一八年)
ここで「表徴」(しるし、シーニュ)と呼ばれているもの。もし生まれて始めて性犯罪被害を経験したとしてもその経験について性犯罪かどうかわからないというケースのままならそれは「判読できない象形文字のよう」なもののまま覆い隠されていただろう。ところが兆候や表徴、徴(しるし)というものについてプルーストにならえば「私が感じたものを考え抜くことによって、つまり私が感じたものを薄暗がりからとり出してその精神的等価物に転換するよう努めることによって、ひとつひとつの感覚をそれぞれの法則と思考を備えた表徴として解釈しなければならな」いとされる。「不法侵入」であり「暴力」であり「敵」であり、その計り知れない<おぞましさ>ゆえに「思考する」ほかなくなる。一度始まった思考の運動が主体的探求である以上、「好きなときにやめることができない」。
「超越論的探求の特性は、好きなときにやめることができないという点にある。根拠を規定するにあたって、さらなる彼岸へと、根拠が出現してくる無底のなかへと、急き立てられずにいることなどどうしてできよう」(ドゥルーズ「ザッヘル=マゾッホ紹介・P.173」河出文庫 二〇一八年)
兆候(しるし、シーニュ)。プルーストは登場人物「フランソワーズ」の名を上げてほんの僅かな「兆候(しるし、シーニュ)」を読み取る才能を有していたと書いている。
「フランソワーズに話を戻すと、私が人生で屈辱を味わうたびに、フランソワーズの顔にはあらかじめご愁傷さまとでも言いたげな表情がうかぶのに気づいた。召使いごときに同情されて腹を立てた私は、そうではなくて首尾は上々だったと言い張ろうとしたが、そんな嘘があえなく潰(つい)えるのは、フランソワーズがうやうやしく対応はするものの見るからに信用できないという顔をして自分の判断の無謬(むびゅう)を確信しているからである。フランソワーズは真実を知っていたのだ。しかしそれを口には出さず、おいしいものでまだ口がいっぱいのときにそうするように、ただ口をもごもごさせるだけだった。フランソワーズが真実を口に出さなかったと言ったのは、私が長いことそう信じていたからである。この時期の私は、真実はことばをつうじて他人に伝わるものだと、まだそう想いこんでいた。他人の発することばでさえ私の感じやすい精神に変わりようのない意味を伝えていたから、私を愛していると言った人が私を愛していないことなどありえないと考えていたのである。たとえば郵便で依頼さえすれば、司祭なり紳士なりが、あらゆる病気に効く万能薬なり、こちらの収入を何倍にもする手立てなりを無料で送ってくれると書いてある新聞を見たフランソワーズが、そのことばに疑いを差し挟めないようなものである(ところがそれとは正反対に、わが家のかかりつけの医者から鼻風邪に効くごく単純な軟膏をもらった場合は、どんなにひどい苦痛にも耐えるフランソワーズが、鼻をぐずぐずいわせて息をしなければならないのを嘆き、これでは『鼻がむしられて』どうしたらいいのかわからない、という始末である)。しかしフランソワーズがはじめて範を示して教えてくれたのは(私がそれを想い知るのはずっと後のことで、この書物の最後の数巻で見られるように、私にとってさらに大切な人物からずっと苦痛にみちた新たな範が示されるときである)、真実は公言されなくても顕在化することであり、ことばを待つまでもなく、ことばをなんら考慮しなくても、外にあらわれた無数の兆候から、いや、自然界における大気の変動に相当する人間の性格という領域における目には見えないある種の現象からでも、真実をもっと確実に入手できるかもしれないことである。これは私が自分で気づいてもよかったことかもしれない。なぜなら当時の私は、なんら真実を含まないことばをしばしば口にする一方、むしろ真実を自分の身体や行為によって無意識のうちに告白することが多かったからだ(そんな告白をフランソワーズはじつに正しく理解した)」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.143~144」岩波文庫 二〇一三年)
この後半部分。
「真実は公言されなくても顕在化することであり、ことばを待つまでもなく、ことばをなんら考慮しなくても、外にあらわれた無数の兆候から、いや、自然界における大気の変動に相当する人間の性格という領域における目には見えないある種の現象からでも、真実をもっと確実に入手できるかもしれないことである。これは私が自分で気づいてもよかったことかもしれない。なぜなら当時の私は、なんら真実を含まないことばをしばしば口にする一方、むしろ真実を自分の身体や行為によって無意識のうちに告白することが多かったからだ(そんな告白をフランソワーズはじつに正しく理解した)」
話が前後するわけではない。被害者はどうして自身のことを紛れもない「被害者の一人」だと理解するに立ち至ったのだろうか。「学んでいた」と言えるだろう。ところで「学ぶ」とはどういうことか。
「どうして小学生が突然『ラテン語の秀才』になったりするのか、どんなシーニュが(愛の欲求、または口に出せないような欲求においてであれ)彼の学習に役立ったのか、誰が知ろう。教師や両親が私たちに貸してくれる辞書で私たちが学ぶことなど何もない。シーニュはそれ自体のうちに、関係として不均質性を折り込んでいる。誰か《のように》することによってではなく、誰か《とともに》することによって私たちは学習するのであって、この誰かは学習する内容と相似の関係を持ってはいない」(ドゥルーズ「プルーストとシーニュ・P.30~31」法政大学出版局 二〇二一年)
兆候(しるし、シーニュ)。けれども「兆候(しるし、シーニュ)」は「学習」されなければ読み取ることができない。大事なことが書かれてある。「教える-教わる」関係。
「シーニュはそれ自体のうちに、関係として不均質性を折り込んでいる。誰か《のように》することによってではなく、誰か《とともに》することによって私たちは学習する」
有名な比喩として「泳ぎ」を例に取った箇所。
「泳ぐ者の運動は、波の運動に似ていない。実際のところ、わたしたちが砂のうえで再生する水泳指導員の体の動きは、わたしたちが、波の動きをしるし(シーニュ)として実践的に把握してはじめて避けることを学ぶような当の波の動きに対しては、無力である。ーーーわたしたちは、『わたしと同じようにやれ』と言う者からは、何も学ぶことはない。わたしたちにとっての唯一の教師は、わたしたちに対して『私と共にやりなさい』と言う者であり、この教師は、わたしたちに、再生するべき所作を提示するかわりに、異質なもののなかで展開するべきいくつかのしるし(シーニュ)を発することのできる者なのである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.74~75」河出文庫 二〇〇七年)
次に「学ぶ」ことと「知る」こととの違いについて。
「<学ぶ>とは、問題(《理念(イデア)》)という対象性(オブジェクティテ)に直面して遂行される主観的な行為にあてはまる名称である。それに対して、<知る>とは、概念の一般性、あるいは解決の規則の平穏な所有だけを指示している」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.435」河出文庫 二〇〇七年)
後者<知る>は与えられた問題=《理念(イデア)》=《多様体》に対してあらかじめ準備されていた既成概念を暗記することでしかない。ところが前者<学ぶ>は《多様体》としての問題=《理念(イデア)》をそれぞれ主体的に引き受け思考・探究するということになるだろう。
再び「泳ぎ」を<学ぶ>ということ。
「泳ぎを学ぶということは、わたしたちの身体のもろもろの特別な点を、対象的〔客観的〕な《理念(イデア)》のもろもろの特異な点との共役的関係に置いて、問題的な場を形成することである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.436」河出文庫 二〇〇七年)
なお、学習・探究だけでなく「失望」もまた「思考」を開始させる要因となり得る。
「失望とは、探究あるいは学習にとって根本的な契機である。つまりシーニュのそれぞれの領域において、自分の探していた秘密を対象が与えてくれないとき、私たちは失望させられる。そして失望とはそれ自体多元的で、それぞれの方向にそって変化可能なものである」(ドゥルーズ「プルーストとシーニュ・P.46」法政大学出版局 二〇二一年)
プルーストはいう。
「ヴァントゥイユの知られざる作品をよみがえらせた敬愛の情がモンジュヴァンの乱脈をきわめた環境から生まれたとすれば、現代の最高傑作かもしれない作品が、全国学力コンクールやブロイ流の型にはまった模範的教育から生まれたのではなく、競馬場の『パドック』や大きなバーへ通いつめる暮らしから生まれたのだと考えると、私はこれにもやはり驚かずにはいられなかった」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.417~418」岩波文庫 二〇一七年)
<学ぶ>とはそういうことを言うのではないかと。それは決して「一人だけ」でできる作業ではない。「共役的な」<学び>。何人もの人間と重層的システムが時間的空間的広がりを持って始めて可能になるに違いない。
しかし今回は何が?ある種の性犯罪が。ある種の性犯罪を合理的に推し進めつつ同時に隠蔽もする多様な系と、それら多様な系をその都度組み合わせ組み換えることも可能な仄暗い世界、言い換えれば「性犯罪のための公理系」が。