二〇二五年二月四日(火)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
飼い主に聞きたいんだけどさ、タマは黒猫でしょ?その反対は白犬さんなのかな。
あのね、そんな簡単なもんじゃないと思うよ。けど、そういえば白犬伝説ってあったなあ。中世の頃に京の都が荒れ果てて、まあ超えらいさんは別としても、そこそこ見かけるお金持ちから貧乏人まで子どもを育てていけない世帯が続出してた頃の話だね。生まれたばかりの捨て子が道端のあちこちで見うけられた。そんなある日のこと、ひとりの男が嵯峨野からの帰りに大極殿のすぐそばを通りかかると門の下に置き去りにされてる幼児の姿があった。都といっても中世は乱世だから夜になるとたくさんの野犬が出没するほどの荒れようでね、気になりながらも通りがかりの男は忙しくてそのまま通り過ぎたんだ。
そんなに捨て子が多かったの?今でいう所得格差ってやつ?
そんなもんじゃないよ。野犬も飢えてるもんだから捨て子は夜のあいだに食われちまうのが常だった。特に貧乏世帯の親たちにとっては耐え難い。ところがね、その男が見かけた幼児は次の日もまたその次の日もなぜか生きてるんだ。不思議におもって夜更けに様子をうかがってるとひと際巨大な白犬が現われた。それを見た他の野犬たちはびびって逃げ散った。見てると巨大な白犬はその幼児に添い寝しながらお乳を与えてやってるんだ。
「夜(よ)打深(うちふけ)て、何方(いずかた)より来るとも無くて、器量(いかめし)く大(おお)きなる白き狗出来(いできたり)ぬ。他の狗共(ども)皆此れを見て逃去(にげさり)ぬ。此の狗、此の児の臥したる所へ只寄(ただより)に寄れば、『早(はよ)う、此の狗の、今夜此(この)児をば食でむと為(す)る也けり』と見るに、狗寄(より)て児の傍(かたはら)に副(そ)ひ臥(ふし)ぬ。吉(よ)く見れば、狗、児に乳(ち)を吸(すわ)する也けり。児、人の乳を飲む様に、糸吉(いとよ)く飲む」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第十九・第四十四・P.130~131」岩波文庫 二〇〇一年)
驚いた男は毎晩見にくるようになった。でも白犬は目撃されてるのを鋭く察したのかもしれない。ある日のこと幼児も白犬も忽然と姿を消したきり二度と現われなかったって話だ。
へ~、そんな話はじめて聞いた。びっくりだよ。じゃあ巨大な黒猫さんの話ってないの?
あはは、招き猫に巨大な黒猫ってあるんだどね、なんでか知ってる?
なんで?
黒猫は不吉だって言われてたのはずっと昔の話でね、むしろ夜目が効くとか気配を消す技術に長けてるってことで大きな黒猫の招き猫が作られるようになったんだ。ミニサイズのも可愛いとか言われて結構繁盛してる。さらに世界中の本格ミステリ小説の世界じゃ鴉と黒猫とは切っても切っても切り離せない象徴だよ。文学からエンタメから映画まで富の象徴と言ってもいい。
むむ、でもタマはなるほど黒猫で毎度々々ご飯いただいてるんだけど、う~ん、そもそもタマの飼い主ってそんなに富と関係あるの?
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。FKAツイッグス。アルバム「LP1」の頃はとてもユーモラスな演出で好感を持って聴いたわけだがそんな中にもどこか痛々しさの欠片のようなものを漂わせてはいた。わざわざ大げさなまでに自分の顔面にべたべたペイントするだけでなくぐにゃぐにゃ変形させて見せるMVなど。けれども黒人アーティストの作品はジャズにせよブルースにせよヒップホップにせよまるでどこにも痛みのないようなものはない。かといって自虐性ばかりを売りにしてきたわけでは全然ない。それにしても今作はアルバムのアートワークからしておぞましいホラーさながら。ところが歌声は相変わらずFKAツイッグス。