二〇二五年二月十六日(日)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
飼い主さ、今年から東北へ転勤になる人のこと言ってたじゃん。
うん。
タマ天気予報見てたよ。また冷えそうなんだって。
らしいね。さらにここ数年はどこもかしこも苦しい。
なんにもなしでいいの?
ん~そうだ。このまえタマ、枕ことばの「玉鉾」(たまぼこ)拾ってきてたな。別れの歌なんだけど思い出した。
別れって寂しいの?
必ずしもそうとは限らないな。
じゃあどうなの?
まあ聞いておけばいいよ。「玉鉾」(たまぼこ)は道にかかるって言っただろう。で、当時は陸奥国(みちのくのくに)といってね、今の東北地方へ転勤する同僚にだな、吹きつける風なんかが寒かったりするようだったら、形見の衣を送るから持ってってくれって歌。
「たまぼこのみちの山風寒(さむ)からばかたみがてらに着(き)なんとぞ思(おも)ふ/紀貫之」(「新古今和歌集」『新日本古典文学大系 新古今和歌集・P.258』岩波書店 一九九二年)
心づかいっていろいろあったんだね昔から。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。エセル・ケイン。ジャンル化すればダーク・アンビエントということになるのだろう。現実がホラーを越えてしまっている世界でもしホラー映画がまたひとつ作成されたとしよう。その映画音楽が今や日常化した現実のホラー性に揺さぶりをかけるほどの音楽になり得るかどうか、おそらく無理なのではという諦観ただよう昨今。そこで映像はいったん別として、現実生活の開き直った明るすぎる暴力的ホラー政治が横行する中で、大人たちのマッチョでありながら時おり無防備な首筋にオルゴールを持った無表情な幼児が背後からチーニングの壊れた音でじわじわ疵を刻みつけ次第に内部から滲み出てくる痛みを浸透させつつ、ホラー化した現実に微々たるものだとはいえ確かに違いのあるダークな世界のことを思い出してはくれまいかと耳を傾けさせる方法についてこのごろ考えていた。できるとすればありふれたゾンビではなく幽霊的なもの。明瞭なノイズではなく息も絶えだえに擦れ去っていく廃墟のリヴァーブ。