白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ469

2025年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二五年二月十日(月)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

タマね、「玉」って言葉のバリエーションでまたひとつ見つけたよ。「玉鉾」(たまぼこ)って言うらしいんだ、蒲鉾(かまぼこ)じゃなくて。

 

冷蔵庫に「カニカマ」買って置いてあるんけど、でもそれを仄めかしてるわけじゃないみたいだね。

 

単純化しないでくれる?失礼な。

 

玉鉾かあ。道とか里とかに掛かる「枕ことば」で使うときもあるけど道自体を指すこともある。華やかな歌ならこんなのかな。

 

「このほどは知(し)るも知(し)らぬも玉(たま)ぼこのゆきかふ袖は花の香(か)ぞする/藤原家隆」(「新古今和歌集」『新日本古典文学大系 新古今和歌集・P.50』岩波書店 一九九二年)

 

わ~華やかそう。猫としてはそばではしゃいで遊んでほしくなるような歌だね。

 

でもこれね、どっかで聞いたことない?こういうのが先にあるんだ。ひとつは超有名。

 

「これやこの行(ゆ)くも帰(かへる)も別(わかれ)つつ知(し)るも知(し)らぬもあふさかの関/蝉丸」(「後撰和歌集」『新日本古典文学大系 後撰和歌集・P.323』岩波書店 一九九〇年)

 

あ、タマも聞いたことある!テレビでやってた。

 

もうひとつ。候補だけど。

 

「あめふれば笠取(かさとり)山のもみぢばは行きかふ人の袖(そで)さへぞてる/壬生忠岑」(「古今和歌集・P.74」岩波文庫 一九八一年)

 

む、二つあるのかあ。猫がやったらきっと泥棒猫って呼ばれてるかも。

 

はは、本歌取りっていうのさ。しかし最近のトピックがあったなあ。ほら、世の中に溢れかえってるデマ情報問題だけど昨日少し触れた万葉集の頃からすでにあったのさ。「玉ぼこ」に戻ろう。

 

「人言(ひとごと)の讒(よこ)しを聞きて玉桙(たまほこ)の道にも逢はじと言へりし我妹(わぎも)」(「万葉集3・巻第十二・2871」『日本古典文学全集 万葉集3・P.292』小学館 一九七三年)

 

どういうこと?

 

他人が噂してまわってる讒言とか誹謗中傷、今で言うデマ情報を真に受けた恋人がね、うっかり道端で逢いそうになっても無視すると宣言されてしまったって話。

 

は~。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。FKAツイッグス。アルバム「LP1」の頃はとてもユーモラスな演出で好感を持って聴いたわけだがそんな中にもどこか痛々しさの欠片のようなものを漂わせてはいた。わざわざ大げさなまでに自分の顔面にべたべたペイントするだけでなくぐにゃぐにゃ変形させて見せるMVなど。けれども黒人アーティストの作品はジャズにせよブルースにせよヒップホップにせよまるでどこにも痛みのないようなものはない。かといって自虐性ばかりを売りにしてきたわけでは全然ない。それにしても今作はアルバムのアートワークからしておぞましいホラーさながら。ところが歌声は相変わらずFKAツイッグス。


Blog21・「キャラ」としての「現実」

2025年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム

千葉雅也はいう。

 

「いろいろな多様性が承認を求めるようになった一方で、より細かな手法による自己の隠蔽が逆説的にその向こうに隠された闇を予感させること、およびそれが惹起するだろうエロティシズムが、新たな文化を形成しつつあるように思われる」(千葉雅也「未来人の全身タイツ」『群像・3・P.48』講談社 二〇二五年)

 

アームカバーやレッグカバーの「機能性」とは別に、千葉雅也はそれらにある種の「キャラ性」を感じるとともに「コスプレ風の要素」摂取への抵抗感減少、「現実のアニメ化」を指摘している。

 

ちなみに「コスプレ」のひとつに「ゾンビ」を上げることは今でもできるだろう。ただゾンビ風コスプレには「ぼろぼろで血まみれでどす黒い包帯」が付きもので、そこらへんがなんだか「アニメ/映画」的なのかもしれない。ところでしかしなぜゾンビなのか。

 

アームカバーやレッグカバーの「機能性」とは別に、現在五十七歳の読者の記憶を「惹起」させたのは小学生・中学生時代にときおり見かけた「包帯(姿)」である。実際に何らかの怪我をしているわけではない。ある日突然、腕あるいは脚に包帯を巻きつけた姿で登校してきて早退する。クラスの誰でも構わないという「任意」の「匿名性」も兼ね備えている。今思えば「機能性」とは真逆の、どこか痛々しい「包帯(姿)」で出現する生徒が少数だがいた。そしてその姿は無傷であるにもかかわらず頑なに言語化を拒む「特権性」を帯びて見えた。

 

もっとも、コスプレゾンビのように「ぼろぼろで血まみれでどす黒い包帯」であるわけはなく、むしろもし本当にそこに傷があるとすれば傷をぴたりと覆い隠しきれいに巻き付けられた包帯は小さいにもかかわらず必ずそれとわかる金属製の医療器具できちんと止められていなければならない。それは「より細かな手法による自己の隠蔽が逆説的にその向こうに隠された闇を予感させること、およびそれが惹起するだろうエロティシズム」という条件を満たすに十分なようにおもえた。

 

あれはなんだったのだろう。そして今はどんなふうに変容しているのだろう。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリにいついて1063

2025年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリにいついて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「ecol4」

曲をON。猫は部屋に入るなり軽く壁に爪を立てて三秒ほど自己主張。すぐ飼い主の椅子のそばを少々うろつく。主にパソコン机の下。金属音は昔なつかしい板金加工所から漏れ聞こえていたものに近い。テンポは同じだがいろいろ変化しつつ打たれていたベース音が5:39でいったん鎮まり方向性を変える。ベースはリズムを刻まずリズムを崩しつつ揺蕩う。猫はいつの間にか本棚部屋で横になりお腹を見せてくつろいでいる。10:02からベースが再びリズムを復帰させる。それまでのあいだに何種類かの金属音が反響するが猫は何度もパソコン机の下へもぐり込んでまた出てきてを繰り返す。