二〇二五年二月十八日(火)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
タマね、江戸時代に「踊る猫」がいたらしいって話聞いてきた。飼い主知ってる?
うん、結構有名だよ。「甲子夜話」って当時のエッセイに載ってる。
「先年角筈(つのはず)村に住給へる伯母夫人に仕(つかゆ)る医、高木伯仙と云(いへ)るが話(はなせ)しは、我生国は下総(しもふさ)の佐倉にて、亡父或夜睡後に枕頭に音あり。寤(さめ)て見るに、久く畜(か)ひし猫の、首に手巾を被りて立(たち)、手をあげて招(まねく)が如く、そのさま小児の跳舞(とびまふ)が如し。父即枕刀を取て斬んとす。猫駭走(おどろきはしり)て行所を知らず。それより家に帰らずと。然(しかれ)ば世に猫の踊(をどり)と謂(いふ)こと妄言にあらず」(「甲子夜話1・巻二・三十四・P.36」東洋文庫 一九七七年)
下総(しもふさ)?
今の千葉県北部あたりかな。こんなのもある。
「猫のをどりのこと前に云へり。又聞く、光照夫人の〔予が伯母、稲垣候の奥方〕角筈(つのはず)村に住玉ひしとき仕(つかへ)し婦の今は鳥越邸に仕ふるが語(かたり)しは、夫人の飼(かひ)給ひし黒毛の老猫、或夜かの婦の枕頭に於てをどるまま、衾引かつぎて臥(ふし)たるに、後足にて立(たち)てをどる足音よく聞へしとなり。又この猫、常に障子のたぐひは自ら能(よく)開きぬ。是諸人の所知なれども、如何にして開きしと云(いふ)こと知(しる)ものなしと也」(「甲子夜話1・巻七・二十四・P.127」東洋文庫 一九七七年)
へえ、この話にも「角筈(つのはず)」って出てくるんだ。
こりゃめちゃめちゃ有名だよ。今の西新宿から歌舞伎町一丁目、新宿三丁目あたりをいうんだけど、だいたいJR新宿駅周辺一帯に相当する。
だから踊るの?。
いや、必ずしも繁華街だからってことじゃないよ。紀州熊野からはるばる東国へやってきた在俗のお坊さんで与兵衛って人がいたらしい。在俗でなおかつ僧侶のことを真言宗で「優婆塞」(うばそく)っていうんだけど「優婆塞」(うばそく)は隠語だからふだんは使わない。でも髪型が独特で鹿の角みたいなんだ。で「角筈(つのはず)」と呼ばれて広がった。
与兵衛さんも踊って有名になったのかな。
たまには踊ったかも知れないけどそれだけじゃ名前は残らない。夜になるとまだまだ寂しかった当時の新宿一体の新田開発に乗り出して一大生活圏の基礎を作ったところに才覚があったってところか。今もし生きてたとしたら地方の里山保全活動とかやってそうな感じ。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。エセル・ケイン。ジャンル化すればダーク・アンビエントということになるのだろう。現実がホラーを越えてしまっている世界でもしホラー映画がまたひとつ作成されたとしよう。その映画音楽が今や日常化した現実のホラー性に揺さぶりをかけるほどの音楽になり得るかどうか、おそらく無理なのではという諦観ただよう昨今。そこで映像はいったん別として、現実生活の開き直った明るすぎる暴力的ホラー政治が横行する中で、大人たちのマッチョでありながら時おり無防備な首筋にオルゴールを持った無表情な幼児が背後からチーニングの壊れた音でじわじわ疵を刻みつけ次第に内部から滲み出てくる痛みを浸透させつつ、ホラー化した現実に微々たるものだとはいえ確かに違いのあるダークな世界のことを思い出してはくれまいかと耳を傾けさせる方法についてこのごろ考えていた。できるとすればありふれたゾンビではなく幽霊的なもの。明瞭なノイズではなく息も絶えだえに擦れ去っていく廃墟のリヴァーブ。