二〇二五年二月十一日(火)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
聞いて聞いてタマね、変化球見つけてきた。「玉露」って書いて「ぎょくろ」って言うんだ。とっても美味しいお茶みたいだよ。台所の棚の奥のほうにこっそり置いてあった。
あ?確かに変化球といやあそうだけど。しかしタマさん、そんなところまで覗き込むかなあ。こだわり出したね「玉」に。けっこう深いぞ。
えへん。今日はもひとつあるんだ。「玉杯」って書いて「ぎょくはい」って言うんだ。赤門とかなんとかと関係あるらしいよ。これはちょっと古い雑誌の切れ端に書いてあった。
残ってたっけ?えらく暗い部屋でかなり隅のほうをごそごそ突っついてたみたいけど。
タマの飼い主、実はいろいろ考えて名付けてくれてたんだって思った。
ちなみに言うとだな、もっといろいろあるんだ。見てごらん。
「堂谿公謂昭侯曰、今有千金之玉巵、通而無当、可以盛水乎、昭侯曰、不可、有瓦器而不漏、可以盛酒乎、昭侯曰、可、対曰、夫瓦器至賎也、不漏可以盛酒、雖有乎千金之玉巵、至貴、而無当、漏不可盛水、則人孰注漿哉
(書き下し)堂谿公(どうけいこう)、昭侯に謂いて曰わく、今、千金の玉巵(ぎょくし)有り、通じて当(そこ)無し、以て水を盛るべきかと。昭侯曰く、不可なりと。瓦器(がき)有りて漏らさず、以て酒を盛るべきかと。昭侯曰わく、可なりと。対(こた)えて曰わく、夫れ瓦器は至賎(しせん)なるも、漏らさざれば以て酒を盛るべし。千金の玉巵有りと雖も、至貴なるも当(そこ)無く、漏りて水を盛るべからざれば、則ち人孰(た)れか漿(しょう)を注(そそ)がんや。
(現代語訳)堂谿公(どうけいこう)が韓の昭侯に向かって言った、『今、千金の玉の杯があるとして、筒ぬけで底がありませんが、それで水を容れられましょうか』。昭侯は『だめだ』と言った。『素焼きの杯があって水が漏れないとすれば、それに酒を容れられましょうか』。昭侯は『だいじょうぶだ』と言った。そこで堂谿公は答えた、『そもそも素焼きの器は最も粗末な器ですが、それでも水が漏れなければ酒を容れられます。千金もする玉の杯でも、貴重ではあっても底がなくて、水がこぼれて容れられないというのでは、人はだれもそこに飲み物をついだりはしません』」(「韓非子3・外儲説右上・第三十四・P.169~171」岩波文庫 一九九四年)
全然わかんないな~。こんなの反則じゃないの?
そうでもない。「千金の玉杯」だよ。ふつうの国語辞典には簡略化した意味しか載ってないだけのことでね。いわゆる「常識人」なら誰でも知ってる。
どんな意味?
「玉(たま)の盃(さかずき)底無きが如(ごと)し」って言うんだ。百兆円の投資でも使い物にならなかったら国家破産覚悟しとけってこと。
タマ思い出した。猫の手でよかったら貸してあげるよ無利子で。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。FKAツイッグス。アルバム「LP1」の頃はとてもユーモラスな演出で好感を持って聴いたわけだがそんな中にもどこか痛々しさの欠片のようなものを漂わせてはいた。わざわざ大げさなまでに自分の顔面にべたべたペイントするだけでなくぐにゃぐにゃ変形させて見せるMVなど。けれども黒人アーティストの作品はジャズにせよブルースにせよヒップホップにせよまるでどこにも痛みのないようなものはない。かといって自虐性ばかりを売りにしてきたわけでは全然ない。それにしても今作はアルバムのアートワークからしておぞましいホラーさながら。ところが歌声は相変わらずFKAツイッグス。