白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

自由律俳句──二〇一七年二月十九日(2)

2017年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム

引き続きカフカ。「城」は一端措いて、ここでは「審判」(「訴訟」とも言う)。

「『なんて汚いんだここじゃ何も彼(か)も』、とKは頭をふりふり言った、女はKが本に手を出すまえに、前掛けで、少くとも上っつらの埃(ほこり)だけははらいのけた。Kが一番上の本を開くと一枚のいかがわしい絵があらわれた。男と女が裸で寝椅子(ねいす)に腰をおろしている絵で、絵描(えか)きの卑(いや)しい意図ははっきりと見てとれたが、絵があまりにも拙劣なので、結局は要するに一人の男と一人の女が──あまりにもからだばかり画面からとび出していて、極度にしゃっちょこばって坐(すわ)っていて、誤った遠近法のためにやっとのことで並んで向きあっている男と女が、見てとれるというだけのものであった。Kはそれ以上めくるのをやめて、二冊目の本は扉(とびら)だけ開けてみた、それは<グレーテが夫ハンスより受けし苦しみ>という題名の小説だった。『これがここで学ばれる法律書というわけだ』、とKは言った、『そんな人間どもにぼくは裁かれるってわけだ』」(カフカ「審判・P.84」新潮文庫)

「『もちろん』、と女は言った、『あなたに助力を申しでたときだって、一番最初にあの人のことを考えたくらいよ。彼がそんな身分の低い役人だなんて知らなかったけど、でもあなたが言うんだからきっとそうなんでしょうね。それでも、彼が上に差しだす報告書には、やはりなにがしかの影響力はあるんだと思うわ。それに彼は実にたくさん報告書を書くのよ。役人どもはみな怠け者だとあなたは言うけど、みんながそうというわけじゃない、とくにこの予審判事はそうじゃない、彼は非常にたくさん書くのよ。たとえばこの前の日曜なんか、裁判が夕方までつづいて、全員が帰ってしまっても、予審判事はホールに残っているんで、わたしがランプを持ってってやらなくちゃならなかった、うちには小さな台所用ランプしかないんだけど、彼はそれで満足してくれて、すぐ物を書きはじめたわ。そうこうするうちわたしの夫も帰ってきました、あの日曜日はちょうど休暇をとっていたんです、そこで二人で家具を運んできて、部屋を元通りにした、それからこんどはおとなりの人がきて、わたしたちはロウソクの光でおしゃべりをしたわ、要するに、わたしたち予審判事のことなどすっかり忘れて、そのまま寝てしまったんです。突然夜中に、あれはもうずいぶん夜更(よふけ)だったにちがいないわね、目を醒(さ)ますと、ベッドのわきに予審判事が立ってるんです、片手でランプをさえぎって、光が夫の顔に落ちないようにしているんです、そんな用心する必要はないのに、わたしの夫は、光が落ちたくらいじゃ目を醒まさないくらい眠りが深いのよ。わたしあんまりびっくりしたから、あやうく叫び声をあげそうになったけど、予審判事はとてもやさしかった、声をたてないようにって注意して、わたしの耳にささやくんです、いままで書きものをしていたんだ、いまランプを返しにきたところだ、おまえの寝姿を見たことは決して忘れないだろうって。わたしこんなことをすっかりお話したのも、予審判事が本当にたくさんの報告書を書くってことを、あなたに知ってもらいたかったからよ、とくにあなたのことについてね、なぜって、あなたの訊問は日曜日の法廷の主要題目の一つだったんですものね。あれくらい長い報告書がまるっきり意味がないなんてことはありえないわ。でもそればかりではなしに、いまの話からもあなたにわかったでしょうけど、予審判事はわたしに言いよろうとしてるのよ、だからまさにこの最初の時にこそ──だいたい彼がわたしなんかに気づいたのはこれが初めてにちがいないんだから──わたしは彼に大きな影響力を持つことができるわけよ。彼がわたしに気があるっていう証拠なら、まだほかにもいくつもあるわ。たとえばきのう彼はわたしに絹の靴下(くつした)を贈ってくれたわ、彼がたいへん信用して自分の協力者にしている例の大学生を通じて、わたしがいつも集会室の掃除をしてくれるからっていう口実でね、でもそんなのはただの口実よ、だってこの仕事はわたしの役目にすぎないんだもの、そして夫はそのためにお給金をもらってるんですもの。ともかくきれいな靴下なのよ、見て』──そう言って彼女は脚をのばし、スカートの膝(ひざ)までたくしあげて、自分でも靴下をしげしげと見つめた──『たしかにきれいな靴下だわ、でもだいたい上等すぎて、わたしには向かないみたいね』」(カフカ「審判・P.88~89」新潮文庫)

「突然彼女は話を中断して、彼を落着かせようとするように手をKの手に重ねて、ささやいた、『しっ、ベルトルトがわたしたちを見てるわ』。Kはゆるゆる視線をあげた。会議室のドアのところに一人の若い男が立っていた、小さな男だった、真直ぐとはいいかねる脚の持主で、短くてまばらで赤っぽい総(そう)ひげを、ひっきりなしに指でいじりまわしては、威厳をつけようと試みていた。Kはその男を強い好奇心で見つめた、これこそ彼がいわば初めて目(ま)のあたりに見た、法律学という得体のしれぬものを学んでいる学生、いずれいつか高い地位の役人になるであろう男であった。ところが大学生のほうは一見Kのことなぞ少しも気にかけている様子ではなかった、彼はひげのなかからちょっと指を一本抜きだして女に合図しただけで、そのまま窓ぎわに歩いていった。女はKのほうに身をかがめて、ささやいた。『気をわるくしないでね、おねがい、わたしのことをひどい女だなんて考えないで、あいつのとこへいかなくちゃいけないのよ、ほんとにいけすかないったらありゃしない、あのひん曲がった脚を見てよ。でも、すぐ戻ってくるわ、そしてあなたと一緒に出ていくわ、あなたが連れてってくれるんだったらどこへだってついてゆくわ。そうしたらわたしにどんなことをしてもかまわない、ここからできるだけ長いあいだ離れてさえいられたら、どれで幸福なんだもの、むろん永久におさらばできればそれに越したことはないけど』」(カフカ「審判・P.90」新潮文庫)

「彼女はまだKの手をさすっていたが、ふいに跳びあがると窓のほうへ駆け出した。Kは思わず女の手をとろうとして空を摑んだ。女は本当に彼の気を唆(そそ)った、なぜ女の誘惑に乗ってはいけないのか、いろいろ考えてみたけれどももっともな理由が見つからなかった。女は裁判所のためにおれをひっかけようとしてるんだ、という気もちらと頭をかすめたが、そんな異議も彼は苦もなくはねのけてしまった。どんな具合にして女に彼をひっかけることができるというのか?彼はいつだって、少くともこと彼に関する限り、この裁判機構全体をだって即座にぶちこわせるほどにも、自由でありつづけてきたではなかったか。こんな自分へのわずかな信頼さえ、彼は持つことができないのか?それに助けたいという女の申しこみには真正らしいひびきがあったし、おそらくまた価値のないものではなかった。そして予審判事やその一味にたいしては、かれらからこの女を奪いとって自分のものにしてしまうくらい効果的な復讐(ふくしゅう)はないに違いなかった。そうなればいつかきっと、予審判事がKについての嘘(うそ)八百の報告書づくりに骨折ったあと、深夜女のベッドが空(から)なのを発見する、といった事態だって起らぬものでもない。そしてそれが空なのは、女がKのものとなったからなのだ、窓ぎわにいるあの女、粗い重い布地の黒服につつまれたあのあたたかいからだが、ただもうKだけのものとなったためなのだ」(カフカ「審判・P.90~91」新潮文庫)

「こんな具合にして女についてのかずかずの疑念をふりはらってしまうと、彼には窓ぎわの二人のひそひそ話がいささか長すぎるような気がしてきだした、彼は初めは指の関節で、それから拳骨(げんこつ)で、演壇を叩いた。大学生は女の肩ごしにちらと彼のほうを見たが、べつに気にもしなかったどころか、ぐいとからだを女に押しつけてみせさえして、彼女を抱きしめた。彼女は男の言い分に注意深く聞きいっているかのように、深ぶかと頭をしずめていた。彼女がかがむと、男はそれで話をとくに中断させることもなしに、音たかく彼女の首筋にキスした。女の言い分では大学生が彼女に横暴をはたらいていて困るということだったが、これで彼の横暴ぶりは証明されたと思い、Kは立上がって、部屋のなかを行ったり来たりしはじめた。大学生のほうを横目で見やりながら、どうやったら出来るだけ早くきゃつをおんだせようか、とそればかり思いめぐらしていたので、大学生が、明らかにKの徘徊(はいかい)──それはもうときとしてどしんどしん足踏みしているに近かった──に気を乱されて、こう文句を言ったのは、Kにはまんざらでないこともなかった。『いらいらしてるんだったら、出てったっていいんだぜ。本当ならきみはもっと早く出ていってよかったんだ、だれもひきとめやしないんだから。そうだとも、きみは出てゆくべきでさえあったんだよ、むろんぼくが入って来たときすぐに、それもできるだけ早く』。この言葉のなかにありとあらゆる憤激が爆発しているらしかったが、いずれにしろしかしそのなかにはまた、気にくわぬ被告に話しかける未来の司法官の傲慢(ごうまん)もふくまれていたのだった」(カフカ「審判・P.91~92」新潮文庫)

「Kは男のすぐそばに立ちどまって、微笑しながら言った。『いらいらしている、それは本当だ、しかしこのいらいらは、きみが出てってくれさえすれば、それで容易に方がつくんでね。しかしひょっとしてきみが──学生さんだそうだから──ここへ勉強しに来たっていうんなら、よろこんでこの場を明けわたすさ、そしてそのご婦人と出ていきましょうよ。ともかく、裁判官にでもなろうっていうんなら、もっともっと勉強しなくちゃならないやね。ぼくは司法制度なんてとくに精(くわ)しい者でもなんでもないが、きみがいまからもう破廉恥(はれんち)に使いこなすことを心得てる、そのきみの乱暴なしゃべり方じゃ、まだまだ充分とは言えんくらいのことはわかるよ』。『こいつをこんなふうに勝手に歩きまわらしといちゃいけなかったんだ』、とKの侮蔑(ぶべつ)的な言辞への解説を女にしようというように、大学生は言った、『失敗だったな。予審判事にはちゃんと言っといたのに。せめて訊問(じんもん)のあいだはこの男を部屋に閉じこめとくべきだったんだ。あの予審判事はときどきわけのわからぬことをするよ』。『くだらんおしゃべりだね』、とKは言って、女のほうに手をのばした、『さあ行こう』。『ははん、そういうわけか』、と大学生は言った、『だめ、だめ、この人を渡すわけにいかないんだ』。そして、見かけによらぬ馬鹿力(ばかぢから)を出して女を片手で抱きあげると、背をまるめとろんとした目で女を見あげながら、ドアのほうに駆けだした。そのさいKにたいするある種の怖れが、見誤りようもなくうかがえたにもかかわらず、彼はさらにKを刺戟(しげき)しようとして、空いたほうの手で女の腕を撫(な)でたり押したりしてみせた。Kは、彼をひっつかまえて、事と次第では絞め殺してやるくらいのつもりで、並んで二、三歩走りだしたが、女が言った。『むだだからよして、予審判事が迎えによこしたのよ、あなたと行くわけにいかなくなったわ、このちびの乱暴者が』、と言って彼女は大学生の顔を手で撫でまわした、『このちびの乱暴者がわたしを放しっこないわ』。『そしてあなたも放されたがっていないんだ!』、とKが叫んで、大学生の肩に手をかけると、その手に彼はいきなり噛(か)みついてきた。『やめて!』、と女は叫んで、Kを両手で押しのけた、『やめて、やめて、それだけはやめてよ、一体何を考えてるの!そんなことしたら、わたしが破滅しちゃう!放してやって、おねがい、彼を放してやって!この人は予審判事の命令に従ってるだけ、わたしを判事のとこへ連れていくだけなのよ』」(カフカ「審判・P.92~94」新潮文庫)

「腰をおろすかおろさぬうちにKはあたりを見まわした。天井の高い大きな部屋で、こんなところに入れられたら弁護士の依頼人たる貧乏人たちはみなおろおろしてしまうに違いなかった。お客が巨大な机に向うときの小刻みの足どりが目に見えるようだった。Kはしかしまもなくそんなことを忘れ、ぴったりとからだを寄せて彼を脇凭(わきもた)れに押しつけんばかりにしている看護婦のことしか眼中になくなった。『わたしのほうから呼ばなくても』、と彼女は言った、『あんたのほうから出て来てくれるだろうと思ってたのよ。だって変だったじゃないの。初めは入ってくるなりわたしのことをじろじろ見つめていたくせに、それからこんなに待たせておくなんて。ところでわたしのことレーニって呼んでね』。この話しあいのときを一瞬でもむだにしたくないというように、早口に、やぶから棒に彼女はつけ加えた。『よろこんで』、とKは言った、『しかしその変だという点に関していうと、レーニ、それはすぐ説明がつく。第一に、年寄りたちのおしゃべりを聞いていて理由なくとび出すことができなかった、第二に、ぼくが向う見ずな人間じゃなくてむしろ内気だということ、それにきみだって、レーニ、一跳びで手に入りそうには見えなかったしね』。『それはうそよ』、とレーニは言って、背凭れに腕をのせKを見つめた。『そうじゃなくてわたしが気に入らなかったんでしょう、いまだってきっと気に入らないんでしょう』。『気に入るなんて大したことじゃないさ』、とKは逃げの返事をした。『まあ』、とほほえんでみせ、Kの言葉とこの小さな叫びによって彼女が一種の優位を得ることになった。そのためKはしばらく黙っていた。いまは暗がりに目が慣れたので調度の細部の見わけもつくようになった。とくに目をひいたのはドアの右手にかかっている大きな絵で、彼はもっとよく見ようと少しからだを前にかがめた。法官服を着た男の絵だった。高い玉座のような椅子に坐っていて、椅子の金色が絵からきわだって見えた。ただその絵の奇妙なところは、この裁判官は落着きと威厳をもってそこに坐っているのではなくて、左腕は背と脇の凭れにしっかと押しつけているが、右腕はしかしまったく宙に浮き手先だけが脇凭れを摑(つか)んでいることで、それはまるで次の瞬間にもたぶん激昂(げきこう)して猛烈な勢いでとびあがり、なにか決定的なことを言うか、判決を下すかしようとしているかのようだった。被告はたぶん階段の足許(あしもと)にいるのだろうが、絵には黄色い絨緞をしいた階段の上の部分しか描かれていなかった」(カフカ「審判・P.149~150」新潮文庫)

「『ひょっとするとこれがぼくの裁判官かもしれないな』、とKは指で絵を指しながら言った。『あの人なら知ってるわ』、とレーニは言って絵を見上げた、『ここへもよく来るのよ、若いときの絵だと思うけど、でも、あの人がこの絵にちょっとでも似てたことがあるなんて考えられないわ。なにしろまるでちびなんだから。それでも絵にはあんなふうに寸法を拡大して描かせたのよ、彼もここのみなさんと同じく見栄(みえ)っぱりなんだから。わたしだって見栄っぱりで、だからあんたに気に入られないのが非常に不満だわ』。この最後の意見にたいしKはただレーニを抱いて引きよせることで答え、彼女はおとなしく頭を彼の肩にのせた。しかし前半のことについてはこう言った。『どんな身分の人だい?』『予審判事よ』、と彼女は言い、彼女を抱いているKの手をとって指をもてあそび始めた。『またしても予審判事か』、とKはがっかりして言った、『身分の高い役人は隠れているんだな。でもやつは玉座のような椅子に坐ってるじゃないか』。『みんな作りごとよ』、とレーニは顔をKの手の上にかがめてかがめて言い、『本当は古い鞍覆(くらおお)いをかぶせた台所の椅子に坐ってるのよ。でもあんたはそんなふうにいつも訴訟のことばかり考えてなくちゃいけないの?』、とゆっくりつけ加えた。『いや、そうじゃない』、とKは言った、『どうやらぼくはあまりにも考えなさすぎるらしいんだ』。『あんたの犯してる過ちはそれではないわね』、とレーニは言った、『わたしが耳にしたところではあんたは非常に強情なんですって』。『誰がそんなこと言った?』彼女のからだを胸に感じ、そのゆたかで黒い、きつく巻いた髪を見下しながらKはきいた」(カフカ「審判・P.150~152」新潮文庫)

「『それまで言っちゃしゃべりすぎることになるわね』、とレーニは答えた、『だから名前はきかないでちょうだい、それよりあんたの欠点を直して、これからはそんなに強情を張らないようにしたらどうなの。この裁判所にたいしてはだれも逆らうことができないのよ、みんな結局は白状してしまうのよ。この次のときはだから白状しなさいな。そうやって初めて逃れる可能性も与えられるのよ、白状して初めて。もっともそれだって他人の助けがなければできっこないけれど、この助けのことなら心配しなくてもいいわ、わたしが自分でしてあげるから』。『きみは裁判所のことも、裁判所で必要な嘘(うそ)のこともよく知ってるね』、とKは言って、彼女があまりにも強くからだを押しつけてくるので彼女を膝に抱きあげた。『このほうがいいわ』、と彼女は言って、膝の上でスカートを直したりブラウスのしわを伸ばしたりして居ずまいを直した。それから両手で彼の首っ玉にしがみつき、からだをそらし、しげしげと彼を見つめた。『するとぼくが白状しないかぎりきみは助けることができないっていうの?』とKは小当りに聞いてみた。おれにはどうも女の助力者ばかり集まるようだぞ、初めはビュルストナー、それから廷吏の細君、それからこの小娘だ、と彼はほとんどいぶかる思いで考えた。この娘はどうやらおれにたいしわけのわからぬ欲求を感じているらしい。膝の上に坐っているようすはどうだ、まるでここしかちゃんとした居場所はないというようじゃないか!『そうよ』、とレーニは答えゆっくり首を振った、『そうでなければ助けることはできないわ。でもあんたはわたしの助力なんかいらない、そんなものはどうでもいいと思ってるんでしょう、あんたは強情我慢で、ひとの意見なんか聞かない人だから』。それから間をおいて彼女はこう訊ねた。『あんたには恋人があって?』『いや』、とKは言った。『まさか、そんな』、と彼女は言った。『うん、本当はいるんだ』、とKは言った、『まあ考えてもみてくれよ、ぼくは彼女を捨てたのにまだその娘の写真を持ち歩いている始末さ』。せがまれて彼がエルザの写真をみせると、彼女は膝の上でからだをまるめて写真をじっくりと眺(なが)めた」(カフカ「審判・P.152~153」新潮文庫)

「それはスナップ写真でエルザが酒場で好んで踊る旋回ダンスの瞬間をとったものだった。スカートがまだ回転したひだのままひろがっていて、彼女は両手をひき締まった腰にあてがい、首筋をのばし横を向いて笑っていた。笑いがだれにむけてのものかは写真からはわからなかった。『コルセットを強く締めすぎてるわね』、とレーニは言って、彼女の考えではそれらしく見えるところを示した、『この人、わたしには気に入らないわ、鈍感で粗野な感じね。ひょっとしたらあんたにはやさしくて親切なのかもしれないけど、写真で見るとどうもそうらしいわね。こんなに大きくて強い娘はやさしく親切にするしかしようがないものよ。しかしこの人あんたのために自分を投げだせるかしら?』『しないだろう』、とKは言った、『彼女はやさしくも親切でもないし、ぼくのために自分を投げだしもしないだろう。ぼくのほうもこれまでそのどっちも求めたことはないんだ。実を言えばこの写真をきみみたいにじっくり見たことさえないんだよ』。『つまりあんたはこの人をあんまり問題にしてないってことね』、とレーニは言った、『つまり彼女は恋人なんかじゃないってことね』。『いや』、とKは言った、『ぼくは前言を撤回はしないよ』。『じゃあ彼女は恋人だってことにしときましょう』、とレーニは言った、『でもあんたは彼女を失うとか、あるいはほかのだれか、たとえばこのわたしと取り換えることになっても、別に惜しいとは思わないんでしょうね』。『なるほど』、とKは微笑(ほほえ)んで言った、『それも考えられないことじゃない。しかし彼女はきみにくらべて一つだけ大きな長所があるんだ。つまり、ぼくの訴訟のことをぜんぜん知らないって点だよ。仮に知ったとしても彼女は訴訟のことなんか考えようともしないだろうけどね。彼女ならぼくに譲歩しろとすすめたりしないと思う』。『そんなこと長所とは言えないわ』、とレーニは言った、『彼女にそのほかの長所がないんだったらわたしは勇気をなくさないわ。どこか肉体的な欠陥はないの、その人?』『肉体的な欠陥だって?』、とKはきき返した。『ええ』、とレーニは言った、『というのはわたしにはちょっとした欠陥があるのよ、ほら』。彼女が右手の中指と薬指をひろげてみせると、そのあいだにほとんど短い指の一番上の関節まえ水掻(みずか)きがついているのだった」(カフカ「審判・P.153~155」新潮文庫)

「暗いため彼女が何を見せようとしたのかKがすぐにはわからないでいると、彼女は彼の指をもっていって、じかに触らせた。『なんという自然のたわむれだ』、とKは言って、手全体を一瞥(いちべつ)してからこう付加えた、『なんてかわいらしいけづめだ!』Kが驚嘆しながら二本の指をひらいたり閉じたりしているのをレーニは一種の誇りがましい様子で眺めていたが、やがてKが彼女にすばやくキスして手を放すと、『まあ!』、と彼女はすかさず叫んだ、『あんたはわたしにキスしたのね!』口をあけたまま急いで彼女は膝頭で彼の膝によじのぼった。Kはなかば呆(あき)れかえって彼女のするのを見ていたが、いまこれほど身近になると、彼女から胡椒(こしょう)のようなぴりっとする刺戟臭(しげきしゅう)がただよった。彼女は彼の頭を抱きよせ、彼の上にかがみこんで首にキスしたり噛(か)んだりし、ついに彼の髪にまで噛みついた。『あんたはわたしに乗りかえたのね!』、と彼女はときおり叫びをあげた、『よくって、あんたはわたしに乗りかえたのよ!』そのとき彼女の膝がすべって、かすかな悲鳴とともに彼女はあやうく絨緞(じゅうたん)の上に落ちかかったが、Kが支えようとして抱きあげると、逆に彼女によって引きおろされた。『もうあんたはわたしのものよ』、と彼女は言った」(カフカ「審判・P.155~156」新潮文庫)


自由律俳句──二〇一七年二月十九日(1)

2017年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇一七年二月十九日作。

(1)沖縄が消えそうなテレビ談笑している

(2)死ねば復讐できない卒業

(3)素晴らしい脚がパートだ

(4)盛りのついた住人に防音壁が要る

(5)制服わんさか吸い込んで行った静かな駅舎

(6)生きててよかった殺せる

☞「歩けば歩く程到底抜け出る事の出来ない曇った世界の中へ段々深く潜(もぐ)り込んで行く様な気がする」(夏目漱石「坑夫・P.8」新潮文庫

漱石の小説の主人公は価値観の異なる世界へ移動する時、いつも奇妙な感覚を覚えている。この特異な時間感覚について漱石はほとんど常に次のような描写を差し挟む。

「不安に追い懸けられ、不安に引っ張られて、已(やむ)を得ず動いては、いくら歩いてもいくら歩いても埒(らち)が明く筈がない。生涯片付かない不安の中を歩いて行くんだ。とてもの事に曇ったものが、一層(いっそ)段々暗くなってくれればいい。暗くなった所を又暗い方へと踏み出して行ったら、遠からず世界が闇暗くなって、自分の眼で自分の身体が見えなくなるだろう。そうなれば気楽なものだ。意地の悪い事に自分の行く路は明るくなってもくれず、と云って暗くもなってくれない」(夏目漱石「坑夫・P.8」新潮文庫)

「その時一種妙な心持になった。この心持ちも自分の生涯中にあって新しいものであるから、序(ついで)に此処(ここ)に書いて置く。自分は肺の底が抜けて魂が逃げ出しそうな所を、漸く呼びとめて、多少人間らしい了簡になって、宿(しゅく)の中へ顔を出したばかりであるから、魂が吸(ひ)く息につれて、やっと胎内に舞い戻っただけで、まだふわふわしている。少しも落ち附かない。だからこの世にいても、この汽車から降りても、この停車場(ステーション)から出ても、又この宿の真中に立っても、云わば魂がいやいやながら、義理に働いてくれた様なもので、決して本気の沙汰(さた)で、自分の仕事として引き受けた専門の職責とは心得られなかった位、鈍い意識の所有者であった。そこで、ふらついている、気の遠くなっている、凡(すべ)てに興味を失った、かなつぼ眼(まなこ)を開いて見ると、今までは汽車の箱に詰め込まれて、上下四方とも四角に仕切られていた眼界が、はっと云う間に、一本筋の往還(おうかん)を沿うて、十丁ばかり飛んで行った。しかもその突当りに滴(したた)る程の山が、自分の眼を遮(さえぎ)りながらも、邪魔にならぬ距離を有(たも)って、どろんとしたわが眸(ひとみ)を翠(みどり)の裡(うち)に吸寄せている。──そこで今云った様な心持になっちまったのである」(夏目漱石「坑夫・P.47~48」新潮文庫)

「前に云った通り自分の魂は二日酔(ふつかえい)の体(てい)たらくで、何処までもとろんとしていた。ところへ停車場(ステーション)を出るや否や断りなしにこの明瞭な──盲目(めくら)にさえ明瞭なこの景色にばったり打(ぶ)つかったのである。魂の方では驚かなくっちゃならない。又実際驚いた。驚いたには違いないが、今まであやふやに不精々々に徘徊(はいかい)していた堕性を一変して屹(きっ)となるには、多少の時間がかかる。自分の前(さき)に云った一種妙な心持ちと云うのは、魂が寝返りを打たないさき、景色が如何(いか)にも明瞭であるなと心附いたあと、──その際(きわ)どい中間に起った心持ちである。この景色は斯様(かよう)に暢達(のびのび)して、斯様に明白で、今までの自分の情緒(じょうちょ)とは、まるで似つかない、景色のいいものであったが、自身の魂がおやと思って、本気にこの外界(げかい)に対(むか)い出したが最後、いくら明かでも、いくら暢(のん)びりしていても、全く実世界の事実となってしまう。実世界の事実となると如何な後光(ごこう)でも有難味(ありがたみ)が薄くなる。仕合せな事に、自分は自分の魂が、ある特殊の状態に居た為──明かなりと感受する程の能力は持ちながら、これは実感であると自覚する程作用が鋭くなかった為──この真直な道、この真直な軒を、事実に等しい明らかな夢と見たのである。この世でなければ見る事の出来ない明瞭な程度と、これに伴う爽涼(はっきり)した快感を以て、他界の幻影(まぼろし)に接したと同様の心持になったのである。自分は大きな往来(おうらい)の真中に立っている。その往来は飽くまでも長くって、飽くまでも一本筋に通っている。歩いて行けばその外(はずれ)まで行かれる。慥(たしか)にこの宿(しゅく)を通り抜ける事は出来る。左右の家は触(さわ)れば触る事が出来る。二階へ上(のぼ)れば上る事が出来る。出来ると云う事はちゃんと心得ていながらも、出来ると云う観念を全く遺失して、単に切実なる感能(かんのう)の印象だけを眸(ひとみ)のなかに受けながら立っていた」(夏目漱石「坑夫・P.49~50」新潮文庫)

「その山は距離から云うと大分(だいぶん)ある様に思われた。高さも決して低くはない。色は真蒼(まっさお)で、横から日の差す所だけが光る所為(せい)か、陰の方は蒼(あお)い底が黒ずんで見えた。尤もこれは日の加減と云うよりも杉檜(すぎひのき)の多い為かも知れない。ともかくも蓊鬱(こんもり)として、奥深い様子であった。自分は傾(かたぶ)きかけた太陽から、眼を移してこの蒼い山を眺めた時、あの山は一本立(いっぽんだち)だろうか、又は続きが奥の方にあるんだろうかと考えた。長蔵さんと並んで、段々山の方へ歩いて行くと、どうあっても、向うに見える山の奥の又その奥が果しもなく続いていて、そうしてその山々は悉(ことごと)く北へ北へと連なっているとしか思われなかった。これは自分達が山の方へ歩いて行くけれど、只行くだけで中々麓(ふもと)へ足が届かないから、山の方で奥へ奥へと引き込んでいく様な気がする結果とも云われるし、日が段々傾(かたぶい)て陰の方は蒼い山の上皮(うわかわ)と、蒼い空の下層(したがわ)とが、双方で本分を忘れて、好い加減に他(ひと)の領分を犯し合ってるんで、眺める自分の眼にも、山と空の区画が判然(はんぜん)しないものだから、山から空へ眼が移る時、つい山を離れたと云う意識を忘却して、やはり山の続きとして空を見るからだとも云われる。そうしてその空は大変広い。そうして際限なく北へ延びている。そうして自分と長蔵さんは北へ行くんである」(夏目漱石「坑夫・P.51」新潮文庫)

「際限なく北へ延びている」。とすれば出発点へ戻ってくるはずだ。しかし漱石作品はそこまで馬鹿ではない。資本主義社会における「延びている」こととは何か。延長とはどういうことか。漱石は既に英国留学を経て世界を、グローバル世界を経験している。延長は「いくら歩いてもいくら歩いても埒(らち)が明く筈がない。生涯片付かない不安の中を歩いて行く」という言葉で言い表わされている。この延長可能な機構の可動性を増殖させる力が、西欧資本主義の神髄であることも漱石は黙ってではあるが実は的確に把握している。ただ経済的な仕組みについて、研究対象を定めて絞り込み、その限りでのみ精密に理論化して発表し得たのはマルクスだが、漱石は小説という方法で近代日本資本主義に課せられた試練とその悲喜劇を語らせる方向へ向ったとも言える。その側面を見ればドストエフスキーに近いと言える。だがさらに漱石は性愛について、経済力あるいは階級問題を交わらせたり、あえてすれ違わせてみたりと様々な実験を行った。この実験的な方法を突き詰めていくうちに時々思いがけずエロティックな場面となって現われてこざるを得ないことにはっきり気づいたのは恐らく「虞美人草」執筆中だろう。

さて、カフカ。官僚主義的機構分析。ここからはより本格的にドゥルーズ&ガタリから引用しようと思う。なので、先にカフカから次の部分に目を通しておきたい。カフカ論読解のため引用にしては数が多過ぎると思うかもしれない。実は少な過ぎるのだが。順々に見ていこう。

「『彼らも、自分の値打ちをよく知っていて、掟(おきて)のもとで出所進退をするお城では、静かに、上品にかまえています。これは、何度も確かめたことですから、まちがいありません。この村へやってきても、従僕たちのあいだにその名残(なご)りがかすかにみとめられることがあります。もっとも、名残りにすぎませんけれども。普通は、お城の掟が村ではあの人たちにとって完全に通用しないとわかっていますから、まったく人が変ったようになります。もはや掟ではなく、飽くことを知らぬ衝動に支配された、乱暴で手に負えない烏合(うごう)の衆になってしまうのです。彼らの破廉恥さかげんは、とどまるところを知りません。村にとってなによりもありがたいことに、あの人たちは、許可がなければ縉紳館から出ていけないのです。けれども、縉紳館では、なんとかして彼らと仲よくやっていこうとしなくてはなりません。フリーダは、それに手を焼きました。それで、従僕たちをおとなしくさせるのにわたしを使えるということは、フリーダにとって願ったり叶(なか)ったりだったわけです。こうして、わたしは、二年以上もまえから、すくなくとも週に二度は従僕たちといっしょに馬小屋で夜をすごします」(カフカ「城・P.366~367」新潮文庫)

「馬小屋で夜を」。言うまでもなく一般家庭の「若い美人」は「官僚機構の中間管理職付近」の人間と少しでも近づこうとして体を捧げる。そうでないと一家は食べていくことができない。その中間項の役割を取り持つのは官僚主義的民間有力資本の言葉である。

「父は、以前まだわたしといっしょに縉紳館へ来れたころは、酒場のどこかで居眠りをして、あくる朝わたしがもっていく報告を待っていました。報告することは、あまりありませんでした。わたしたちは、あの朝の使者をいままでのところまだ見つけだしていません。彼は、彼を非常に高く買っているソルティーニにいまでも仕えているそうで、ソルティーニがさらに遠くの官房へ引っこんだとき、いっしょについていったということです。たいていの従僕たちは、わたしたちとおなじように、あれ以来ずっとその使者に会っていないのです。その後彼を見かけたという者もいますが、たぶん、思い違いでしょう。こういうわけで、わたしの計画は、ほんとうは失敗におわったことになるのですが、それでも、完全な失敗だったわけではありません。確かに、わたしたちは、まだあの使者を見つけてはいません。それに、父は、何度も縉紳館へ出かけては、そこで夜をあかし、おそらくわたしにたいする同情もそれに加わって(もっとも、父がまだ他人に同情心を起すことができるかぎりにおいてのことですけれども)、最後のとどめを刺されるような気の毒な結果になってしまいました。父は、もうほとんど二年近くまえから、さっきごらんになったとおりの容態です。それでも、どうやら母よりも父の容態のほうがまだもっているのは、まったくアマーリアのたいへんな努力のおかげです。それでも、わたしが縉紳館で手に入れることができたものは、お城とのある種のつながりです。わたしが自分のしたことを後悔していないと申しあげても、どうか軽蔑なさらないでください」(カフカ「城・P.367」新潮文庫)

「たぶんあなたは、たいしたつながりもあったもんだ、と考えていらっしゃるでしょう。お考えのとおり、たいしたつながりではありません。わたしは、いまではたくさんの従僕たち、この二年間にお城から村へお見えになったほとんどすべての人たちの従僕を知っています。いつかわたしがお城へ出かけていくようなことがあったとしても、知らないところへ迷いこんだというようなことにはならないでしょう。もちろん、わたしが知っているのは、村にいるときの従僕にすぎません。あの人たちは、お城ではまったく別人になってしまって、もうだれのことも見わけがつかないでしょす。村でつきあった相手となると、なおさらそうにちがいありません。馬小屋のなかでは、お城で会えるときを楽しみにしている、などと調子のいいことを何百回も言っていたくせにね。おまけに、わたしは、そういう約束があの人たちにとってなんの意味ももっていないということをとっくに経験ずみでした。けれども、いちばん大事なのは、そういうことではありません」(カフカ「城・P.367~368」新潮文庫)

「わたしは、従僕たちを通じてお城とつながりがあるだけでなく、たぶんつぎのような可能性もあるかもしれないし、また、それに期待をかけているのです。つまりね、わたしとわたしのすることを上から見ていらっしゃる人がいて──いうまでもなく、あの大勢の従僕たちを監督するのは、お役所の仕事のなかでもきわめて重要な、苦心の多い部分ですわ──とにかく、わたしをそうして見ていてくださる人は、おそらくわたしのことをほかの人たちよりもやさしく判断してくださるだろうし、また、わたしが細々ながらも自分の家族のために戦い、父の苦労や努力を受けついでいることもわかってくださるだろう。わたしが期待をかけているつながりというのは、こういうことなのです。そんなふうに見てくださっていると、わたしが従僕たちからお金を受けとって、家計の足しにしているということも許してくださるかもしれません』」(カフカ「城・P.368」新潮文庫)

何か途轍もなく低劣なエピソードであるかのように見える。が、今の日本政府が打ち出しており、野党共闘にはとてもではないが打破できない状況を、実際に支持している日本の有権者/納税者/市民が、上から見下ろして嘲笑しつつつひと言たりとも口を差し挟めるような社会ではなかった。しかし結果的にこのような無惨な情況を最終的に崩壊させたのは何であったか。ロシア革命と第二次世界大戦である。だからといって「人間は愚かな生きものだ」と大袈裟に嘆いて見せても、嘆いている人もまた人間であることには何ら変りはない。むしろ逆に自分だけは違うと言いたがっているかのようで、周囲から見れば顰蹙この上ない。

「『ところで、わたしたちは、お城では、わたしたちにあたえられるものだけで満足しなくてはなりませんが、こちらの村では、わたしたちの手でやれることもあるかもしれません。ほかでもありません、あなたのご好意を確保しておくこと、すくなくとも、あなたに忌避されないように用心することが、それです。あるいは、これがいちばん大事なことなのですが、あなたとお城とのつながりがなくなってしまわないように(わたしたちは、それがあってこそ生きていけるのですもの)、わたしたちの力と経験を生かしてあなたを守ってあげることです。ところで、そのためには、どうやるのが最善の方法でしょうか。わたしたちがあなたに近づいても、あなたに疑われないようにするには、どうやったらいいのでしょうか。と言いますのは、あなたは、ここではよそ者なので、あらゆる方面に疑いの眼を光らせておいでにちがいないし、また、そうなさるのが当然だからです。おまけに、わたしどもは、世間から軽蔑されていますし、あなたは、世間の人たちの考えに影響されていらっしゃいます。とりわけ、許嫁者(いいなずけ)のフリーダを通じてね」(カフカ「城・P.380~381」新潮文庫)

「たとえばですよ、わたしどもに毛頭そういうつもりがなくても、あなたに近づいていくと、フリーダと対立してしまって、そのことであなたの感情を傷つけるかもしれません。そうならないようにするには、どうしたらよいのでしょうか。バルナバスがおとどけした手紙のことになりますが、わたしには、それがあなたの手に渡るまえに、くわしく読んでおきました。もちろん、バルナバスは、読んでいません。使者にはそういうことが許されないのです。この手紙は、最初見たところ、古びたものですし、さして重要なものでないとおもわれたのですが、あなたに村長のところへ行くようにと指示してありますので、重要なものだということがわかりました。ところで、わたしたちは、この手紙のことであなたにたいしてどういう態度をとればよかったのでしょうか。わたしたちがこの手紙の重要さを強調すれば、あきらかに重要でないものを過大に評価し、手紙をとどけるだけが役目のくせにわざとあなたに嘘(うそ)を教え、自分たちの利益ばかり追求して、あなたのことはないがしろにした、と疑いの眼で見られたことでしょう。それどころか、そのことによって、あの手紙が価値の低いものだとあなたに思いこませ、こころならずもあなたをだますようなことになったかもしれません」(カフカ「城・P.381」新潮文庫)

「他方、わたしたちがこの手紙にたいした価値をあたえなくても、おなじように疑われたことでしょう。と言いますのは、それならそんなつまらない手紙をとどけるような仕事になぜ汲々(きゅうきゅう)としているのか、なぜ言葉と行動が矛盾したようなことをしているのか、なぜこの手紙の受取人であるあなただけでなく、手紙を託した差出人までもあざむくのか、そもそも差出人が手紙を託したのは、受取人にわざわざ要(い)らぬ説明なんかして、手紙の価値を下げてもらうためではなかったはずだ、ということになってしまうからです。そして、この両極端の中道を歩むこと、つまり、手紙を正しく判断することは、まったく不可能なのです。手紙は、たえずその価値を自分で変えるものです。それがきっかけで、こちらはいろいろと思案をかさねるわけですが、これには際限がありません。思案をどこで打切るかは、偶然によってきまるだけです。したがって、そこから出てきた意見も、偶然のものでしかありません』」(カフカ「城・P.381~382」新潮文庫)

「当地には、こんなことわざがあります。おそらくもうご存じかもしれませんが、<お役所の決裁は、若い娘っこの返事のように煮えきらない>というんです」(カフカ「城・P.289」新潮文庫)


自由律俳句──二〇一七年二月十七日(2)

2017年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

めりはりを付けよう。

「たとえば、プロレタリア文化についてあまりに多くのことを、あまりに軽々しく弁じたてる人々にたいしては、われわれは心ならずも、不信と懐疑の念をいだきがちである。われわれにとっては、手はじめには、真のブルジョア文化で十分であろう。手はじめには、とりわけまぎれもない前ブルジョア形の文化、すなわち、官僚的、農奴的などの文化なしにやっていければ、まずまずであろう。文化の問題では、性急と奔放は、なによりも百害がある」(レーニン「量はすくなくても、質のよいものを」・「レーニン全集33・P.508」大月書店)

「時を失わずに、正気にかえらなければならない。──われわれはとにかくなにかを知っているとか、あるいは真に新しい機構を、真に社会主義的、ソヴェト的等々と呼ぶにあたいする機構を建設するための要素を、われわれはかなり大量にもっているとか、考えることは、なによりも有害であろう」(レーニン「量はすくなくても、質のよいものを」・「レーニン全集33・P.509」大月書店)

「われわれは、もう五年間もわれわれの国家機構に空騒ぎしてきたが、それはまさに空騒ぎであって、五年たって立証されたことは、それが役にたたぬこと、あるいはそれが無益なこと、あるいはそれが害になることだけであった。それは空騒ぎであって、仕事をしているようにみせかけてきたが、実際にはわれわれの施設やわれわれの頭脳をだめにしてしまったのである。いまや、事態をかえるべき時である。量はすくなくても、質の高いものを、という準則をとらなければならない。しっかりした人材があたえられる見込みがすこしもないのにいそぐよりは、二年あとでも、あるいは三年あとでもよい、という準則をとらなければならない」(レーニン「量はすくなくても、質のよいものを」・「レーニン全集33・P.511」大月書店)

「率直に言おう。労農監督部は、現在のところ、いささかも権威をもっていない。わが労農監督部の機関ほどわるくつくられている機関はなく、また、現在の条件のもとではこの人民委員部の責任を問うことができないことは、だれでも知っている。──私の考えでは、職員の定員のあらゆる一般的な基準は、ただちに、また決定的に、一掃すべきである。労農監督部の職員は、まったく特別にえらび、もっとも厳重な審査にもとづいたうえでなければ、えらんではならない。仕事がいいかげんにおこなわれ、これまたなんの信頼の念もおこさせないような人民委員部、またその言葉が無限に小さな権威しか持ちえないような人民委員部をつくったところで、実際になんの役にたとうか?このようなことから抜けでることが、われわれがいま念頭においているような種類の改造における、われわれのおもな任務であるとおもう」(レーニン「量はすくなくても、質のよいものを」・「レーニン全集33・P.512」大月書店)

「私は、労農監督部の現在の指導者またはこの部に関係している人のうちのだれにむかっても、労農監督部のような人民委員部は、実際になんの必要があるのかを、彼が良心にしたがって私に告げることができるかどうか、聞きたい。私がおもうには、この質問は、彼が節度感を見いだす助けになるであろう。わが国でずいぶんたくさんおこなわれた改組の一つ、つまり、労農監督部のような見込みのない事がらの改組には携わりがいがないか、あらゆる人に尊敬の念をおこさせる(その等級や称号がそれを要求するからというだけでなしに)ことのできるようなものを創出することを、真にその任務として設定するか、どちらかである。もし忍耐する覚悟がなく、この問題に何年かをかけないのなら、全然これに取りかからないほうがよい」(レーニン「量はすくなくても、質のよいものを」・「レーニン全集33・P.513」大月書店)

「私の考えでは、われわれが最高労働研究所その他のような、きわめて急ごしらえのいろいろの施設のうちから、最小限のものをえらび、それが適当に組織されているかどうかを検討すべきであり、それが真に現代科学の任にたえ、われわれに科学の保障するものをすべてあたえうるようになっているときにのみ活動をつづけることをゆするべきである。そうすれば、何年かのうちに、その仕事を適当にすることができるようになる施設を、──言いかえれば、労働者階級、ロシア共産党、わが共和国の全住民大衆の信頼を博しながら、系統的に、確固として、われわれの国家機構の改善のために活動することのできる施設をもつことを期待するのは、けっして空想的ではないであろう。その準備活動は、いますぐにもはじめることができよう。もし労農監督部が、いまの改造案に同意するならば、同部は、ただちに準備に取りかかり、いそがずまた必要なばあいには、かつてやったことをやりかえるのを拒否することなく、その任務を完了するまで一貫して活動することができるであろう」(レーニン「量はすくなくても、質のよいものを」・「レーニン全集33・P.513~514」大月書店)

「わが国の新しい労農監督部は、フランス人がpruderie〔猫かぶり〕と呼び、われわれが笑うべき気取り、または笑うべきもったいぶりと呼んでさしつかえない性質、また、われわれの官僚主義に、すなわちソヴェト官僚主義にも党官僚主義にも極度に有利な性質からは、へだたっているものとおもう。ついでに言っておけば、われわれの官僚主義は、ソヴェト機関だけでなく、党機関にもある」(レーニン「量はすくなくても、質のよいものを」・「レーニン全集33・P.516」大月書店)

「スターリンは粗暴すぎる。そして、この欠点は、われわれ共産主義者のあいだや彼らの相互の交際では十分がまんできるものであるが、書記長の職務にあってはがまんできないものとなる。だから、スターリンをこの地位からほかにうつして、すべての点でただ一つの長所によって同志スターリンにまさっている別の人物、すなわち、もっと忍耐づよく、もっと忠実で、もっと丁重で、同志にたいしてもっと思いやりがあり、彼ほど気まぐれでない、等々の人物を、この地位に任命するという方法をよく考えてみるよう、同志諸君に提案する。この事情は、とるにたりない、些細なことのようにおもえるかもしれない。しかし、分裂をふせぐ見地からすれば、また、まえに書いたスターリンとトロツキーの間柄の見地からすれば、これは些細なことではないとおもう。あるいは、些細なことだとしても、決定的な意義をもつようになりかねないそういう種類の些細なことだとおもう」(レーニン「大会への手紙~覚え書のつづき~・一九二二年十二月二十四日付の手紙への追記・一九二三年一月四日」・「レーニン全集36・P.704~705」大月書店)

コジェーヴ。ヘーゲル「パロディ化」(ギャグ化ではない)大作戦の続き。

「ところで、すでに見て来たように、《実在する世界》における(《未来》が優位を占める)《時間》の現前が(他者の《欲望》に向かう)《欲望》と呼ばれ、それを実現する《行動》が《人間》の存在そのものである以上、この《欲望》は人間特有の《欲望》であった。したがって、《世界》における《時間》の実在的現前が、《人間》と呼ばれることになる。《時間》は《人間》《であり》、《人間》は《時間》《である》。『精神現象学』において、ヘーゲルは『人間』という語を避けており文字でもってはっきりとこう述べているわけではない。だが、『イエナの講義』では彼は『《精神》は《時間》である』と述べている。ところで、『《精神》』はヘーゲルにおいて(そしてとくにこの文脈では)『《人間の》《精神》』或いは《人間》を、ことに集団としての《人間》を、つまり《国民》ないしは《国家》を意味し、結局は《全人類》、すなわち時間的-空間的に現存在する総体における、つまりは《世界史》の総体における《人類》を意味する」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.205」国文社)

「《時間》(むろん、《歴史的時間》、それも《未来→過去→現在→》という律動をもつ《時間》)は経験的、すなわち空間的な全実在における《人間》《である》。すなわち、《時間》は《世界-内-人間》-の-《歴史》《である》。実際、《人間》が存在しなければ《世界》の中に《時間》は存在しないであろうし、《人間》を宿さぬ《自然》は《実在する》《空間》でしかないであろう。動物もまたたしかに欲望をもっており、自己の欲望に基づき行動し、実在するものを否定する。すなわち、人間とまったく同じように飲みかつ食べる。だが、動物の欲望は《自然的》である。それは《存在する》ものに向かい、したがって存在するものによって《限定され》ている。したがって、《このような》欲望に基づき遂行される否定する行動は《本質的な》否定を行うことができず、存在するものの《本質》を変えることができない。したがって、その《全体》において、すなわちその《実在》において、《存在》はこのような『自然的』欲望によっては変様されず、それに基づいて本質的に変化するわけでもない。《存在》は自己《同一》に留まり、そのようなわけで《空間》であり、《時間》ではない。たしかに動物も自己の生きる《自然的世界》の様相を変貌せしめるが、しかしその動物は大地から受け取ったものを大地に返し死んで行く。その子孫もこれを《同じように》反復する以上、《世界》の内に生ずる変化もまた同じように反復される。したがって、《自然》全体としては、或るがままに留まる。それに反し、《人間》は自己の《闘争》と《労働》という《否定する行動》によって、すなわち他者の《欲望》に向かう、つまり《自然的世界》には実際に現存在していない何物かに向かう《非》-自然的な《人間的欲望》から生まれる《行動》によって、《本質的に》《世界》を変貌せしめる。ただ《人間》だけが《本質的に》創造し破壊する。したがって、自然的実在は、人間的実在を含まぬ限り《時間》を含まぬことになる。ところが、人間はみずから作り上げた《未来》の観念に基づき本質的に創造し破壊する。この《未来》の観念は、実在的現在において、他者の《欲望》に向かう《欲望》の形で、すなわち《社会的》《承認》を求める《欲望》の形で現われる。そもそも、《このような》《欲望》から生まれる《行動》が《歴史》を生み出すのであり、したがって、《歴史》の存在しないところに《時間》は存在しないのである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.205~206」国文社)

「以上のことから、『《時間》は経験的に現存在する《概念》そのものである』という文は、《時間》が《世界-内-人間》及びその《実在する歴史》《である》、ということを意味することになる。だが、ヘーゲルはまた『《精神》は《時間》である』とも述べている。すなわち、《人間》は《時間》《である》とも述べている。我々はこれが意味するものを今しがた見て来たばかりであった。それによれば、《人間》は他者の《欲望》に向かう《欲望》、すなわち《承認》を求める《欲望》であり、すなわちこの《承認》を求める《欲望》を充足せしめるために遂行される否定する《行動》、すなわち尊厳を求める血の《闘争》、すなわち《主》と《奴》との関係、すなわち《労働》であり、すなわち終局において普遍的で等質な《国家》と、この《国家》において、そしてこの《国家》により実現される《全人類》を開示する《絶対知》とに至る歴史的発展である。要するに、《人間》が《時間》《である》と述べることは、ヘーゲルが『精神現象学』において《人間》に関して述べたことをすべて述べることにほかならない。それはまた、現存在する《宇宙》、及び《存在》それ自身が、このように捉えられた《人間》が存在《可能》であり自己《実現》できるようなものでなければならない、と述べることである。したがって、前に挙げられた他の図式的な定式がプラトンやアリストテレス等の全哲学を要約しているように、《精神》と《時間》とを同一化するこの一文は、ヘーゲルの全哲学を要約しているわけである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.206」国文社)

「だが、このような図式的な定式においては、《概念》が問題となっていた。ここでヘーゲルもまた単に『《精神》は《時間》である』と述べるばかりか、『《時間》は〔経験的に〕現存在する《概念》である』とも述べている。たしかに、これは同一の事態を二つの異なった表現で述べたものである。《人間》が《時間》《である》ならば、そして《時間》が『経験的に現存在する《概念》』《である》ならば、《人間》は『経験的に現存在する《概念》』《である》と述べることが可能となるし、実際《人間》はそうである。すなわち、《世界》において言葉を話す唯一の存在者である以上、人間は受肉した《ロゴス》(或いは《言説》)、つまり肉となりそれによって《自然的世界》において経験的な実在として現存在する《ロゴス》《である》。《人間》は《概念》の〔経験的〕《現存在》であり、『経験的に現存在する《概念》』は《人間》である。したがって、《時間》が『経験的に現存在する《概念》』であると述べることは、──とりもなおさず、ヘーゲル『精神現象学』において捉えたように《人間》を捉える限り、《時間》が《人間》である、と述べることである。したがって、『精神現象学』においてヘーゲルが《人間》について述べていることは、すべて《時間》についても妥当することになる。逆に、《世界》における《時間》(すなわち《精神》)の『現われ』ないし『現象学』に関して述べうることは、──すべてヘーゲルが『精神現象学』において述べていることになる。以上のことから、《時間》と《概念》との逆説的な同一化を把握するためには、『精神現象学』全体を知らねばならぬことになる。一方において、問題となっている《時間》がそこでは《過去》を通り《現在》を限定する《未来》が優位を占める《人間的、歴史的な時間》であると知らねばならず、他方では、ヘーゲルがどのように《概念》を定義しているかを知らねばならない。したがって、私には、ヘーゲルにとり《概念》が何であったかを手短に述べることが残されているわけである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.206~207」国文社)

少し休憩しよう。身も心も持ちそうにない。

「元来人間というものは自己の力量に慢じて皆な増長している。少し人間より強いものが出て来て窘(いじ)めてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない」(夏目漱石「吾輩は猫である・P.12」新潮文庫)


自由律俳句──二〇一七年二月十七日(1)

2017年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇一七年二月十七日作。

(1)求人広告ふやけている駅ビル前の水溜まり

(2)葬式出せそうにない恐縮している

(3)干されても干されても死んだ

(4)売りに行ったきり探しに出る花街

(5)髪もてあます新学期バケツを運ぶ

(6)謝罪に行った殺された

☞「デヴィッド・ヒューム。バークレーが出て物だけは打崩したが、心と神だけは依然として存在を認識せられていた。しかるにここに蘇格蘭地(スコットランド)からデヴィッド・ヒュームなる豪傑が出て来て研究に一層歩を進めて遂に心も神も一棒に敲(たた)き壊したのは痛快の至りである。彼の第一の著書は『人性論』(倫理問題に向って実験的方法を試みたるもの)で、これは彼の大著述であってしかも彼の二十五、六歳の時の製産物である所を見ればよほど頭脳の勝(すぐ)れた人に相違ない。不幸にしてこの大著述は、折角(せっかく)の労力にも関せず、世間の人から一向注意を惹(ひ)かなかった。彼は後年自家の学説を『死生児』と評したのはこれがためである。そこで彼はこの著述を書き直して一般の人にも解るようにした。それが『人間の堕性に関する研究』となり、『情感論』となり、また『道徳原理に関する研究』となった」(夏目漱石「文学評論(上)・P.75~76」岩波文庫)

「彼の説によると、吾人が平生(へいぜい)『我』(イゴー)と名づけつつある実体は、まるで幻影のようなもので、決して実在するのではないのだそうである。吾人の知る所はただ印象と観念の連続に過ぎない。ただこの印象や観念の同種類が何遍となく起って来るので、修練の結果として、これらの錯雑紛糾するものを纏め得るために、遂に渾成(こんせい)統一の境界に達するのである。だから心などいう者は別段にそれ自身に一個の実体として存在するものでないというのがヒュームの主張の一つである。次に、因果の概念というのもまた習慣の産物として出現するに過ぎないのである。吾人はここの甲という印象を受ける。次に乙という印象を受ける。かくして甲乙従伴する印象を何遍(なんべん)となく同一の順序に経験するうちには、甲の印象を受けるや否や習慣の結果として自ずから乙の印象を期待するようになるのが自然の数(すう)である。かくの如く因果の念という者は習慣から出て来るものだから、もしこれを応用しようとするならその習慣を構成する経験の範囲内に限られるるのは当然の話である。経験的に与えられた己知件(きちけん)から出立して漫(みだ)りに経験の領域以外に逸出して、徒(いたず)らに超絶的の議論に移るのは明かに不法である。従って神とか不滅とかを口にするのは不法である。これがヒュームが世人からして懐疑派といわるる所以(ゆえん)である」(夏目漱石「文学評論(上)・P.76~77」岩波文庫)

「さてこの懐疑という態度は英国人全体の態度としては受取り難いかも知れぬが、十八世紀の英国人の態度としては調和している所がないでもないように思われる。なるほどヒュームのように哲学的に理論的にここまで押し詰めた者は沢山あるまい。また多くの人間のいる事だからその中には信心家も無論あったろう。忠実なる基督教信者もあったろう。しかしながら概して社会の調子が懐疑的ではあるまいかと察せられる。信仰が余り強くなって、世の中はこんな者だと中途で妙に悟(さと)ったような所からいっても、根本的の事は分らなくても構わんというような調子のある処からいっても、むやみに物に熱中するのを軽侮するような気風からいっても皆この懐疑的な態度を具えているように見える。さて全体の社会にこんな空気が充満しているというと哲学的に物を研究するにもこんな気風で手を著(つ)け出す。こんな気風で手を著け出して、こんな方面から物を見、物を考えて煎(せん)じ詰(つ)めて行くと、やはりヒュームのような結論に達しはせぬだろうか。しかも一度学説的に此処(ここ)まで到達して見ると、一時の臭味に感染した感情的なそもそもの始まりは綺麗(きれい)に消えて、全く普遍的に効力のあるような、古今東西に通ずるような、抽象的な理論となってあらわるるのではなかろうか。この出来上がった所だけを見てヒュームの考は一代の気風を反射しておらぬという事はいえまいと思う。果してそうであるとすればこんな哲学者のような、普通の人に直接の興味を与えぬ事でも何らかの興味があるのみならず、文学を述べる前にヒュームの哲学を一言述べるのはかえって適切なことと思われる。ヒュームの感染したような気風が同じく文学の上にもあらわれて来ればなお更面白い事だと思う」(夏目漱石「文学評論(上)・P.77~78」岩波文庫)

今上げたセンテンスをもう少し要領よくまとめたものが次に相当する。

「意識の連続のうちに、二つもしくは二つ以上、いつでも同じ順序につながって出て来るのがあります。甲の後には必ず乙が出る。いつでも出る。順序において毫(ごう)も変る事がない。するとこの一種の関係に対して吾人は因果の名を与えるのみならず、この関係だけを切り離して因果の法則というものを捏造(ねつぞう)するのであります。捏造というと妙な言葉ですが、実際ありもせぬものをつくり出すのだから捏造に相違ない」(「文芸の哲学的基礎」・「漱石文芸論集・P.48」岩波文庫)

しかし漱石に課せられた課題はそれだけではない。勿論、当時の東京帝国大学の教壇に立って論じるだけでも特にこれといった問題はなかったばかりか、それだけでも相当大した成果であった。だが漱石は、その論理をただ単に披露して見せるだけでは物足らず、また、それだけでは何か本来の学問の姿とは違っていると考えていたふしがある。そしてこの「ふし」は折れているわけだが、折れた「ふし」なら折れた「ふし」のそのままを描くにはどうすればよいか。漱石がぶつかった問いは埋めようにも埋め切ることができない不可能な問いでもあった。だが、差し当たり実際に小説の中に溶かし込んで「実演して見せねばならない」と思っていたに違いない。次のようにこっそりとではあるが、しかし決定的な文章を拾うことができる。

「人間のうちで纏(まとま)ったものは身体だけである。身体が纏ってるもんだから、心も同様に片付いたものだと思って、昨日と今日とまるで反対の事をしながらも、やはり故(もと)の通りの自分だと平気で済ましているものが大分ある。のみならず一旦責任問題が持ち上がって、自分の反覆を詰(なじ)られた時ですら、いや私の心は記憶があるばかりで、実はばらばらなんですからと答えるものがないのは何故(なぜ)だろう」(夏目漱石「坑夫・P.23~24」新潮文庫)

「代助は人と対応している時、どうしても論理を離れる事の出来ない場合がある。それが為め、よく人から、相手を遣り込めるのを目的とする様に受取られる。実際を云うと、彼程人を遣り込める事の嫌いな男はないのである」(夏目漱石「それから・P.130」新潮文庫)

とはいえ、代助は性格的に「やさしい」ので「人を遣り込める事」が「嫌い」なのだ、と解しては途方もない誤解である。代助は学問を知っている。ゆえに論理をないがしろにする議論は、たとえ冗談といえども「感情的/飛躍的/暴力過剰」に映るほかない。粗雑な論理は余りにも馬鹿っぽく思えて疲労ばかり蓄積されるため、ただ単に避けるに過ぎない。むしろ代助の倫理的態度はこうだ。

「彼は元来が何方(どっち)付かずの男であった。誰の命令も文字通りに拝承した事のない代りには、誰の意見にも露(むき)に抵抗した試(ためし)がなかった。解釈のしようでは、策士の態度とも取れ、優柔の生れ付とも思われる遣口(やりくち)であった。彼自身さえ、この二つの非難の何(いず)れかを聞いた時、そうかも知れないと、腹の中で首を捩(ひね)らぬ訳には行かなかった。然しその原因の大部分は策略でもなく、優柔でもなく、寧ろ彼に融通の利く両(ふた)つの眼が付いていて、双方を一時に見る便宜を有していたからであった。かれはこの能力の為(ため)に、今日まで一図に物に向って突進する勇気を挫(くじ)かれた。即(つ)かず離れず現状に立ち竦(すく)んでいる事が屢(しばしば)あった。この現状維持の外観が、思慮の欠乏から生ずるのではなくて、却(かえ)って明白な判断に本(もとづ)いて起ると云う事実は、彼が犯すべからざる敢為(かんい)の気象を以て、彼の信ずる所を断行した時に、彼自身にも始めて解ったのである」(夏目漱石「それから・P.251~252」新潮文庫)

ひと言で強引にまとめれば「代助=近現代の知識人=第二次大戦後の日本人」ということになろう。だからといって、何も古いタイプの評論家・批評家のように「決められない日本人から決められる日本人へ変わらなければならない」という論理は本当に現実的だろうか。逆に大いに疑問なのだ。というのは、余りにも単純過ぎるその種の議論は、ともすればいとも安易に軍事大国への再武装へ傾斜していくばかりで、傾斜すればするほど、他の諸大国から様々な暴圧を甘受しないわけにはいかなくなる。第一、貨幣流通も石油輸入も遮断されてしまう。日本人は全員死ぬか、できる限り早いうちに間違いを認めるほかない。それでもなお覚吾の上で再武装路線を決定したとしよう。それが決定されるや否や世界中で、どこへ行く時もどこへ行っても、ありとあらゆる軍事大国からすべての日本人が厳重な身体検査の対象になる。七十年以上も米軍の下でとことん「つかいぱしり」扱いされてきた隷属者根性に満ち満ちた奴隷精神の塊と化した国家だ。武装して軍事独立を果たせば一体どんなことを考え始めるだろうか。他の諸国民は、もちろん同盟国の一般市民も含めて、そんなふうに考えるのは極めて妥当かつ普通だろう。日本はもう長い間ずっと「去勢されて」きた。が、軍事大国への意志を完全に失ってしまったわけではまったくない。いろいろな形で残されている。アメリカを含めて世界が恐れていることは、余りにも長い間、実際に奴隷扱いしてきてしまった国民国家に対して、国際法上、軍事武装の権限をあっけなく与えてしまうことだ。完全に死んだわけではない「のら犬」に再武装の権限を与える。北朝鮮をもう一つこしらえる。誰がそんなことを許すのか。そのようなわかり切った条件は、空前絶後、いっさい与えられることはない。だが、どうしてもと言うのなら、何が何でも欲しければ、先にこっそり再武装して全世界に向けて単独で奇襲でも掛けるよりほか方法がないだろう。しかし一体どのような理由でか。

「彼の今の気分は、彼に時々起る如く、総体の上に一種の暗調を帯びていた。だから余りに明る過ぎるものに接すると、その矛盾に堪えがたかった」(夏目漱石「それから・P.132」新潮文庫)

「その上彼は、現代の日本に特有なる一種の不安に襲われ出した。その不安は人と人との間に信仰がない源因から起る野蛮程度の現象であった。彼はこの心的現象のために甚しき動揺を感じた。彼は神に信仰を置く事を喜ばぬ人であった。又頭脳の人として、神に信仰を置く事の出来ぬ性質(たち)であった。けれども、相互に信仰を有するものは、神に依頼するの必要がないと信じていた。相互が疑い合うときの苦しみを解脱(げだつ)する為めに、神は始めて存在の権利を有するものと解釈していた。だから、神のある国では、人が嘘を吐(つ)くものと極めた。然し今の日本は、神にも人にも信仰のない国柄であるという事を発見した。そうして、彼はこれを一(いつ)に日本の経済事情に帰着せしめた」(夏目漱石「それから・P.132~133」新潮文庫)

「神にも人にも信仰のない国柄である」、ゆえに「神にも人にも信仰のある国柄へ」変えようとして実際に変わった。変えるに耐えるだけのエネルギーがあった。しかし結果的に完成したのは「大日本帝国」並びに「大東亜共栄圏構想」であった。強大な軍事力を背景にして近隣諸国から遠く欧米に対してもどんどん脅迫し始めた。どうなったか。完膚なきまでに叩きのめされた。原爆投下に至ってはほとんど「巨大な人体実験」という有り様。しかしなぜ、そういう事態を発生させることができたのか。様々な条件が、ほとんど無数といってもいいくらいの諸条件が、徐々にではあるがきちんと整え上げられなければならない。それを可能にしたのは何か。とてもではないが「精神論」だけでは語れない条件があり余るほどあったのだ。なかでも、群を抜いて整備整頓されていた官僚主義的機構の問題。江戸時代から続く学問のための諸機関が果たしてきた役割の中にも、決して見逃すことのできない大きな価値が見い出される。手際の良過ぎる「反省なき習慣付け」という奇妙な作法。二〇世紀の戦争でも革命でも反革命でも、あらゆる軍事行動に伴って必ず要求されてくるのは常にそのことだ。戦争という行為は、何も強者だけの特権ではなく、むしろ弱者あるいは弱者に成りつつある人々が、現在置かれている境遇から脱却して立場を逆転させようとする巨大なエネルギーを一身に引き受け集中させる「魅力」を与え得る。ニーチェのいう「ルサンチマン」(劣等感/復讐欲)という「負の感情」をその精神的支柱とする。だから今や情報は金になる。いつ、どこで、誰が、どのようなことを考え、実施しようとしているか、あるいは実際に実施したか、その結果と影響はどうであるか、等々。価値が高く質も高い情報は高価で貨幣と交換される。資本主義社会の鉄の掟の一つである。

官僚主義的機構研究。カフカの続き。

「『確かに、彼は、官房にはいっていきます。でも、これらの官房は、ほんとうのお城でしょうか。官房がお城の一部だとしても、バルナバスが出入りを許されている部屋がそうでしょうか。彼は、いろんな部屋に出入りしています。けれども、それは、官房全体の一部分にすぎないのです。そこから先は柵(さく)がしてあり、柵のむこうには、さらにべつの部屋があるのです。それより先へすすむことは、べつに禁じられているわけではありません。しかし、バルナバスがすでに自分の上役たちを見つけ、仕事の話が終り、もう出ていけと言われたら、それより先へいくことはできないのです。おまけに、お城ではたえず監視を受けています。すくなくとも、そう信じられています。また、たとえ先へすすんでいっても、そこに職務上の仕事がなく、たんなる闖入者(ちんちゅうしゃ)でしかないとしたら、なんの役にたつのでしょうか。あなたは、この柵を一定の境界線だとお考えになってはいけませんわ。バルナバスも、いくどもわたしにそう言ってきかせるのです。柵は、彼が出入りする部屋のなかにもあるんです。ですから、彼が通り越していく柵もあるわけです。それらの柵は、彼がまだ通り越したことのない柵と外見上ちっとも異ならないのです。ですから、この新しい柵のむこうにはバルナバスがいままでいた部屋とは本質的にちがった官房があるのだと、頭からきめてかかるわけにもいかないのです。ただ、いまも申しあげました、気持のめいったときには、ついそう思いこんでしまいますの。そうなると、疑念は、ずんずんひろがっていって、どうにも防ぎとめられなくなってしまいます。バルナバスは、お役人と話をし、使いの用件を言いつかってきます。でも、それは、どういうお役人でしょうか、どういう用件でしょうか。彼は、目下のところ、自分でも言っているように、クラムのもとに配置され、クラムから個人的に指令を受けてきます。ところで、これは、たいへんなことなのですよ。高級従僕でさえも、そこまではさせてもらえないでしょう。ほとんど身にあまる重責と言ってよいくらいです。ところが、それが心配の種なのです。考えてもごらんなさい。直接クラムのところに配属されていて、彼とじかに口をきくことができる──でも、ほんとうにそうなのでしょうか。ええ、まあ、ほんとうにそうかもしれません。しかし、ではバルナバスは、お城でクラムという名前でよばれている役人がほんとうにクラムなのかということを、なぜ疑っているのでしょうか』」(カフカ「城・P.291~292」新潮文庫)

「柵」。この「柵」は動く。可動性を持つ。ドゥルーズ&ガタリはこう言う。

「司法は、むしろたえず伝わって来る音(言表)のようなものである。《法の超越性は、抽象的な機械だった。しかし法は、司法の機械状鎖列の内在性のなかにのみ存在する》。『訴訟』とは、あらゆる先験的な正当化をこなごなにすることである。欲求のなかには裁くべきものは何もない。裁判官自身が欲求で充満している。司法も単に欲求に内在するプロセスにすぎない。プロセスはそれ自体がひとつの連続体であるが、それは隣接性からできている連続体である。隣接したものは、連続したものに対立するのではない。むしろその逆で、前者は後者の部分となる構築物、しかも無限定に延長できる構築物であり、したがってまた分解でもある。──つまりそれはいつでも、隣りにある事務室、隣りの部屋である。バルナバスは《事務局に入って行きます。でもそこはやはり全事務局の一部分でしかなく、さらに柵がいくつもあるし、その先にはまだ別の事務局がいくつもあります。彼はかならずしもさらに先へ行くことを禁じられているというわけではありません──こうした柵をあなたもある決まった境界のように思ってはいけません──だから彼が通りすぎる柵もありますし、そうした柵は彼のまだ通り抜けていない柵と違っているようには見えません》。司法とは、可動的でいつでも位置が動く境界線を持った、欲求のこの連続体である」(ドゥルーズ&ガタリ「カフカ・P.103~104」法政大学出版局)

「鎖列には二つの面があるだけではない。一方で鎖列は分節的であり、隣接したいくつかの分節に拡がるか、あるいはそれ自体がいくつかの鎖列である分節にわかれている。この分節性は、多かれ少なかれ固いかしなやかなものでありうるが、しかしこのしなやかさは固さと同じように束縛するものであり、固さよりも窒息させる作用を持っている。たとえば、『城』では、隣接する事務局のあいだには可動的な柵しかなく、バルナバスの野心はそれによって一層狂気的になる。入って行く事務局のうしろに、かならずもうひとつの事務局があり、誰かが見たクラムのうしろには、いつももうひとりのクラムがいる。分節は権力であると同時に領域である。また分節は、欲求を領域化し、固定し、写真にし、写真またはぴったりあった衣服にはりつけ、欲求にひとつの使命を与え、そこからこの欲求と結びつく超越性のイメージを抽出することによって──このイメージと欲求自体が対立するほどに──、欲求を把握する。われわれはこの意味において、いかにそれぞれのブロック=分節が、超越的な法の抽象化によって規制されている、権力・欲求・領域性・領域回復の具体化であったかを知った」(ドゥルーズ&ガタリ「カフカ・P.176~177」法政大学出版局)

「しかし他方では、同じように、ひとつの鎖列には《非領域化のいくつかの点》があると言わなくてはならない。あるいは、これと同じことになるが、鎖列にはいつも《逃走の線》があると言わなくてはならない。この逃走の線によって鎖列自身が逃走し、おのれを脱出させるその言表行為またはその表現と、デフォルメしたり、変貌したりするその内容とを、同じように消失させると言わなくてはならない。あるいはまた、これも同じことになるが、鎖列は、分節を溶解させ、欲求をそのあらゆる具体化・抽象化から解放させるか、少なくともそういう具体化・抽象化に対抗し、あるいはそれらを破壊するために積極的に闘う、《限界のない内在性の領域》のなかに拡がるか浸透すると言わなくてはならない。この三つは、まったく同じことである。つまり、司法の領域は超越的な法に対立し、連続した逃走の線はブロックの分節性に対立する。また、非領域化の二つの大きな先端があるが、そのひとつは拡がって行く音または強度を持つ言語のなかへと表現をもたらし(写真に対して)、もうひとつの先端は(欲求のうなだれた頭に対して)、《ひっくり返りながらまっさかさまになって逃走する》という内容をもたらす。内在的な司法、連続した線、それに先端または特異性がきわめて能動的・創造的であるということは、それら自体が鎖列化され、機械を作るその仕方によって理解される」(ドゥルーズ&ガタリ「カフカ・P.177~178」法政大学出版局)


自由律俳句──二〇一七年二月十五日(2)

2017年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

アドルノは「個人とは何か」という点に極めて重要な照明を当てて述べる。他の「御用評論家」などののんきな態度は余りにも「甘過ぎる」としてあっけなく退けられている。「甘過ぎる」というのは常識的に考えて「危険」だからなのだが。言われてみれば当り前のこと。批判対象はナチス・ドイツと旧ソ連。その反省の上に立って、特に欧米では厳密に配慮する習慣が今なお存在する。一般市民もその程度のことは頭に入っている。その上であえて文学やスポーツやエンターテイメント活動に取りかかる。しかし今の日本ではこの程度の考えすら頭の中に入れておかなくても発言あるいは行動が許されてしまうという余りにも奇怪粗雑で危なっかし過ぎる自爆的状況。それが政治家であればなおさら許されてはばからないという戯け切った始末。アドルノの言葉は決して極論でも何でもない。とりわけヨーロッパではごく普通。常識的。ほんの少し手をのばせば背伸びしなくとも、実に若年の頃からじっくり身に付ける教育環境が整えられている。

「個人などというのはたとえて言えば毛筋一本残さず根絶やしにされる時代である、というのはまだ考えが甘い。完膚なきまでに否定され、連帯を通じてモナドの状態が解消されるのであれば、そこに自ずから個体の救いの道もひらけてくるわけで、もともと個体は普遍的なものと関係づけられることによって始めて個別者となるものなのである。ところで現状はそうしたことからよほど遠いところにある。かつて存在したものが根こそぎ消滅したというわけではないのだ。むしろ歴史的に命運の尽きた個人が、生命を失い、中性化され、無力化したていたらくで引きずられ、徐々に深間に引きずり込まれていくという形で禍いが生じているのである」(アドルノ「ミニマ・モラリア・P.201」法政大学出版局)

これほど平凡でわかりやすい議論もめったにない。にもかかわらずフランクフルト学派の創始者にして巨頭でもあるアドルノが、あたかも非現実的な極論を口にしてでもいるかのような思想家として取り扱われてしまう理由はどこにあるのか。煙たがられるのはなぜか。どんな種類のテーマであっても、そのテーマの根本的な部分に切り込んでくるからにほかならない。ところで、普段からそういう議論に慣れておかないとどういうことになるか。今後、世界の中で、世界に対して、日本国民は猛烈急速に転落し堕落し、気づけばどの国の政府からもまともに相手にされなくなっていくに違いない。そういう事態を避けるためには、多少の議論の場でもある程度は耐えられるように、可能な人材から徐々に、できる限り耐性を身に付けていくほかないだろう。そのことはたとえ、非力虚弱極まりない日本の大手マスコミであっても、というより、非力虚弱だからこそ、その克服のためを思えばいつでも十分同意できると思われる。

「社会主義運動が、現在、関心をもっているのは、──社会排外主義的《思潮》の歴史的起源、その諸条件、その意義と力の研究である。(1)社会排外主義はどこからきたか?(2)なにがそれに力をあたえたか?(3)これといかにたたかうべきか?こうした問題の提起だけが重大なことであって、問題を『個人的なこと』におきかえるのは、実践的には、詭弁家のたんなるごまかし、トリックを意味している。最初の問題にこたえるには、第一に、社会排外主義の思想的=政治的内容は社会主義内の従来のどれかの思潮と《つながり》がないかどうか?第二に、社会主義者を社会排外主義の敵と味方にわける今日の区分は、歴史的にこれに先行する従来の区分にたいして、実際的な政治的区分の観点からみて、どのような関係にあるか?この二つを究明しなければならない」(レーニン「第二インタナショナルの崩壊」・「第二インタナショナルの崩壊 他・P.78~79」国民文庫)

「社会排外主義とは、現在の帝国主義戦争における祖国擁護の思想をみとめ、この戦争では社会主義者が『自』国のブルジョアジーや政府と同盟することを正当だとし、『自国の』ブルジョアジーにたいするプロレタリア的=革命的行動を宣伝し支持することを拒絶することなどである。とわれわれは解している。社会排外主義の根本的な思想的=政治的内容が、日和見主義の基礎と一致することは、まったくあきらかである。それは《おなじ一つの》思潮である。日和見主義は、一九一四~一九一五年の戦争の状況のもとでは、まさに社会排外主義となる。日和見主義の主要な点は、階級協調の思想である。戦争は、この思想を最後までおしすすめ、通常の要因や刺激に戦争のもつ多くの臨時の要因や刺激をつけくわえ、特別な威嚇と暴力によって、団結していない普通の大衆を、ブルジョアジーと協調するよう強制する。この事情は、当然に、日和見主義の支持者の仲間をふやすものであり、多くの昨日の急進主義者がどうして日和見主義の陣営に投じるかを、十分に説明している」(レーニン「第二インタナショナルの崩壊」・「第二インタナショナルの崩壊 他・P.79」国民文庫)

「日和見主義は、大衆の根本的な利益を労働者のとるにたりない少数者の一時的な利益の犠牲に供することであり、いいかえるならば、プロレタリアートの大衆に反対する一部の労働者とブルジョアジーとの同盟である。戦争は、このような同盟を、とくに目につく、またどうしてもなくてはならないものにする。日和見主義は、資本主義発展の一時代、すなわち、特権的な労働者層の比較的平和で文化的な生存が、これらの労働者を『ブルジョア化』し、彼らに、自分の国の資本の利潤のおこぼれをあたえ、零落させられた極貧な大衆の困窮と苦痛と革命的気分から彼らをきりはなしたような時代の特殊性によって、数十年にわたってうみだされたものである。帝国主義戦争は、このような事態の直接の継続であり完成である。なぜなら、この戦争は、強大民族の《特権》のための、彼らのあいだでの植民地の再分割のための、他民族を彼らが支配するための、戦争だからである。小市民の『上層』または労働者階級の貴族(および〔労働者階級の〕官僚層)が自分の特権的地位を擁護し強化すること──これこそは、小ブルジョア的=日和見主義的希望と、戦時におけるそれにふさわしい戦術との当然の継続であり、これこそは、今日の社会帝国主義の経済的基盤である。──労働者を分断してこれを社会主義からひきはなすうえで『大国的な』、民族的な特権のもつ意義を、帝国主義とブルジョアがいかにたかく評価しているかをしめす二、三の例をあげよう。イギリスの帝国主義者ルーカスは、その著書『大ローマと大ブリテン』(オックスフォード、一九一二年刊)のなかで、現代のブリテン帝国における有色人種に完全な権利がないということを当然とみとめて(九十六~九十七ページ)、つぎのように指摘している。『わが帝国において、南アフリカにおいてのように白人労働者が有色人とならんではたらくときは、両者は同僚としてはたらくのではなく、白人労働者はむしろ、有色人の監督なのである』(九十八ページ)。社会民主主義反対全国同盟の前書記エルヴィン・ベルガーは、そのパンフレット『戦後の社会民主主義』(一九一五年刊)のなかで、社会民主主義者の行動をほめたたえ、彼らは『国際的・ユートピア的』、『革命的』思想(四十四ページ)をもたない『純粋の労働者党』に(四十三ページ)、『民族的』な『ドイツ人の労働者党』(四十五ページ)になるべきである、と述べている。ドイツの帝国主義者ザルトリウス・フォン・ワラウタースハウゼンは、国外投資にかんする著書(一九〇七年刊)のなかで、ドイツの社会民主主義者が民族的『公益』(四百三十八ページ)──これは植民地を獲得することである──を無視していると非難し、イギリスの労働者が、たとえば、彼らの移民受入反対闘争に見られるように、『現実主義』だといってほめたたえている。ドイツの外交家ルドルファーは、『世界政策の基礎』にかんする書物のなかで、資本が国際化したからといって、権力のため、勢力獲得のため、『過半数の株』(百六十一ページ)のための国の資本のはげしい闘争を、すこしもとりのぞくものではない、という周知の事実を強調し、このはげしい闘争は、それに労働者をひきこむものであることを述べている(百七十五ページ)。この本は、一九一三年十月付になっているが、著者はきわめて明瞭に、近代戦の原因としての『資本の利益』(百五十七ページ)についてかたり、『民族的傾向』の問題が社会主義の『中心問題』になっていること(百七十六ページ)、各国政府は、実際には、ますます民族的なものになりつつある(一〇三、百十、百七十六ページ)社会民主主義者の国際的な示威をおそれる必要はないと述べている(百七十七ページ)。著者は、さらに言う。もしも労働者を民族の結びつきからひきはなすならば、国際社会主義は、勝利するであろう。なぜなら、暴力だけではなにごともなしえないからである。だが、もしも民族的感情が勝利を占めるならば、国際社会主義は敗北をこうむるであろう(百七十三~百七十四ページ)と」(レーニン「第二インタナショナルの崩壊」・「第二インタナショナルの崩壊 他・P.79~82」国民文庫)

「なお、いうまでもないことだが、習慣の力、比較的『平和な』進化の旧慣、民族的な偏見、急転換にたいする恐怖と不信──すべてこうしたことが、日和見主義をつよめ、またあたかもほんの一時だけ、ただ特別の理由と動機があるためのようによそおって偽善的におそるおそる日和見主義と和解するのをつよめる補足的な事情としての役割を演じている。戦争は、数十年にわたって成長してきた日和見主義を変貌させ、これを最高の段階にひきあげ、その色あいの数と多様性を増大させ、その支持者の隊列をふやし、一群の新しい詭弁をもってその論拠を豊富にし、多くの新しい小川や水流を日和見主義の本流に、いわば合流させた。だが、本流はなくなってはいない。その反対である」(レーニン「第二インタナショナルの崩壊」・「第二インタナショナルの崩壊 他・P.80」国民文庫)

「社会排外主義とは、一定の程度まで成熟した日和見主義、すなわち社会主義政党の内部でこのブルジョア的な腫物が、《従来のままでは》存在することができなくなるまでに成熟したところの日和見主義である。社会排外主義と日和見主義とのきわめて密接な、きりはなすことのできないつながりを見たがらない人々は、個々のばあいや『特殊事例』をとらえて、これこれの日和見主義者は国際主義者になったの、これこれの急進主義者は排外主義者になったのという。だが、これは、《諸思潮》の発展にかんする問題での真にまじめな論拠ではない。第一に、労働運動における排外主義と日和見主義の経済的基礎はおなじ一つのものである。すなわち、それは、『自分の』国の資本の特権のおこぼれを頂戴し、プロレタリア大衆に反対し、一般に勤労者と被抑圧者の大衆に反対する少数上層のプロレタリアートと小市民の同盟である。第二に、これら二つの思潮の思想的=政治的内容は、おなじものである。第三に、だいたいにおいて、社会主義者を日和見主義的思潮と革命的思潮とにわける、第二インタナショナルの時代(一八八九~一九一四年)に特有の古い区分は、排外主義者と国際主義者にわける新しい区分に《対応している》」(レーニン「第二インタナショナルの崩壊」・「第二インタナショナルの崩壊 他・P.82」国民文庫)

「なぜそうなのか?ほかでもなく、ジュデクームの背後には、大強国のブルジョアジー、政府および参謀本部がひかえているからである。彼らは、あらゆる方法でジュデクームの政策を支持しながら、監獄や銃殺にいたるまでのあらゆる手段をつくして、ジュデクームの反対者の政策を阻止している。ジュデクームの声は、数百万部のブルジョア新聞によってひろめられている(ヴァンデルヴェルド、サンバ、プレハノフの声と同様に)が、彼の反対者の声は、合法出版物では聞くことが《できない》。なぜなら、この世には戦時検閲というものがあるからだ!日和見主義が、個々の人物の偶然のできごとでも、過失でも、怠惰でも、裏切りでもなく、一つの歴史的時期がうんだ社会的産物であることは、すべての人の一致した意見である。しかしながら、すべての人がこの真理のもつ意義をふかく考えているわけではない。日和見主義は、合法主義によって育成されている。一八八九~一九一四年の時期の労働者党は、ブルジョア的合法性を利用しなければならなかった。だが、危機がやってきたときには、非合法活動に移行する必要があった(ところで、このような移行は、多くの軍事的奸計と統合した最大の精力と決意とをもってする以外には、これをおこなうことはできない)。この移行をさまたげるためには、ジュデクーム《一人》で十分である。なぜなら、彼のうしろには歴史的=哲学的に言えば、『旧世界』全体がひかえているし、実践的=政治的に言えば、彼ジュデクームは、つねに、ブルジョアジーの階級敵のあらゆる軍事計画を、ブルジョアジーにもらしてきたし、またつねにもらすであろうからである」(レーニン「第二インタナショナルの崩壊」・「第二インタナショナルの崩壊 他・P.86~87」国民文庫)

コジェーヴ。ヘーゲル「パロディ化」大作戦の続き。

「問題の文章には、ヘーゲルの念頭に置く《時間》が、我々にとっては《歴史的》(かつ非生物的、非コスモス的な)《時間》としての《時間》であることがよく示されている。実際、この《時間》は《未来》が優位に立っていることによって性格づけられる。ヘーゲル以前の《哲学》が考察していた《時間》においては、運動が《過去》から《現在》を通り《未来》に向かっていた。それに反し、ヘーゲルの語る《時間》においては、運動が《未来》においてそれ自身を生み出し、《過去》を通り《現在》に向かっている。すなわち、《未来→過去→現在(→未来)》となっている。これこそは、本来《人間的》《時間》、すなわち《歴史的》《時間》に固有の構造である」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.202」国文社)

「この《時間》の《形而上学的》分析が《現象学的》(さらには人間学的)次元に投影された様子を実際に考察してみよう。《未来》によって生み出される運動、──これは《欲望》から生まれる運動である。むろんこれは、人間特有の《欲望》、すなわち創造的《欲望》、つまりは実在する自然的《世界》に現存在せず、現存在もしなかったものに向かう《欲望》から生まれる運動である。この欲望があって初めて、我々は運動が《未来》によって生み出されると言いうるのである。なぜならば、《未来》とは──まさに(いまだ)存在せず(過去にも)存在していなかったものだからである。ところで、周知のごとく、《欲望》自体は《不在》の現前である。例えば、私の中に水が《不在》であるから、私は喉が乾く。したがって、欲望は現在における未来の現前、すなわち水を飲むという未来の活動の現前を示している。だがしかし、水を飲もうと欲すること、これは何か《存在するもの》(ここで水)を欲することであり、したがって現在に基づき行動することである。だがしかし、或る《欲望》に向かう欲望に基づき行動すること、これは(いまだ)存在しないものに基づき、すなわち未来に基づき行動することである。他方、このように行動する存在者は、《未来》が優位を占める《時間》の中に存在する。逆に見るならば、《未来》が現実に優位を占めうるのは、実在する(空間的)《世界》の中にこのように行動する能力を具えた存在者がいる時だけである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.202」国文社)

「ところで、『精神現象学』の第四章において、ヘーゲルは、他者の《欲望》に向かう《欲望》は、必然的に《承認》を求める《欲望》である、──《主》を《奴》に対立せしめ、──《歴史》を生み出し、(《充足》によって決定的に廃棄されぬ限り)《歴史》を動かす《承認》を求める《欲望》であることを示している。したがって、《未来》が優位を占める《時間》は自分自身を実在化することによって《歴史》を生み出すことになる。このようにして生み出された《歴史》は《この》《時間》が持続する限りで持続し、この《時間》はこのような《歴史》が持続する限りでしか持続しない、すなわち《社会的》《承認》を目指して遂行される人間の活動が続く限りでしか持続しない」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.203」国文社)

「ところで、《欲望》が《不在》の現前ならば、それは──それ自体として捉えられるとき──経験的な《実在》ではない、すなわち《自然的現在》つまり《空間的現在》の中に肯定的な在りかたで現存在するのではない。それどころか、これは《空間》の中に、空隙や『穴』として存在する、──すなわち空虚や無として存在する。(純粋に時間的な《未来》が《空間的現在》の只中に現われ座を占めるのは、言わばこのような『穴』の中においてである)。したがって、《欲望》に向かう《欲望》は何物にも関係せず、だからこのような《欲望》を『実現すること』は──何物をも実現しない。ただ《未来》に関係するだけでは一つの実在に至らず、したがって現実に運動していることにもならない。他方、現在に(さらには空間的に)実在するものを主張したり、或いはそれを受け容れたりしても、我々は何物をも《欲せず》、したがって《未来》に自己を関係づけず、《現在》を乗り超えず、したがって自己を運動せしめてもいない。したがって自分自身を《実現する》ためには《欲望》は一つの《実在》に関係せねばならぬが、《肯定的な》在りかたでそれに関係することができない。したがって欲望は《否定的に》それに関係せざるをえない。したがって《欲望》は必然的に実在の或いは現在の所与を《否定する》《欲望》とならざるをえない」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.203」国文社)

「ところで、《否定された》実在するもの、──これは存在することを《やめた》実在するものである、すなわち《過去となった》実在するもの、或いは《実在する》《過去》である。《未来》によって限定された《欲望》が《現在》の中に実在するものとして(つまり充足された《欲望》として)現われるのは、実在するものを、すなわち《過去》を否定した限りでしかない。《未来》に基づき《過去》が(否定的に)形成されるときの在りかたが実在する《現在》の質を規定する。こうして《未来》と《過去》とによって限定された《現在》だけが、《人間的》ないし《歴史的》な《現在》である。したがって、一般的に、《歴史的》運動も《未来》から生まれ、《過去》を通り、《現在》において、或いは《時間的現在》としてそれ自身を《実現する》ことになる。 したがって、ヘーゲルが念頭に置いていた《時間》は《人間的》ないし《歴史的な時間》である。すなわち、意識的、意志的な《行動》の《時間》こそが、未来のための《企図》を、《過去》の認識から発し形成された《企図》を《現在》において実現するものである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.203~204」国文社)

「したがってここでは《歴史的時間》が問題となっており、ヘーゲルはこの『《時間》が《経験的に現存在する》《概念》そのものである』と述べる。差し当たり『《概念》』という用語のほうは脇に置いておこう。とすると、ヘーゲルは『《時間》が《経験的に現存在する》Xである、何物かである』と述べたことになる。さて、この主題はヘーゲルの(歴史的)《時間》の概念の分析そのものから演繹することができる。《未来》が優位を占める《時間》は、《否定し》、無化するときにのみ実在化され、《現存在する》ことができる。したがって、《時間》が存在するためには《時間》以外のものが存在していなければならない。この『以外のもの』はまず《空間》(言わば停止点)である。したがって、《空間》がなければ《時間》は存在せず、《時間》は《空間》の中に存在する何物かである。《時間》は《空間》(多種多様なもの)を《否定する》ものであるが、この時間が何物であり無ではないとすれば、それが《空間》を否定するものだけである。だが、抵抗する《空間》は内部が満たされている、つまりそれは広がりをもった《物質》であり、《実在する》《空間》、つまり《自然的》《世界》である。したがって、《時間》は《世界》の内に現存在しなければならず、したがってそれは、ヘーゲルが述べるように、『現存在する』何物かである。《空間》の中に《現存在》し、《経験的》《空間》の中、つまり《感覚的空間》或いは《自然的世界》の中に《現存在する》何物かである。《時間》はこの《世界》を絶えず過去の無の中に沈めることによってこれを《無化する》。《時間》はこの《世界》を《無化するもの》以外の何物でも《なく》、このように無化される《実在する》《世界》が存在しなければ、《時間》は純粋の無でしかないであろう。すなわち、《時間》は存在しないであろう。したがって、《存在する》《時間》、──これはまさに『経験的に現存在する』何物かである、すなわち《実在する空間》ないしは《空間的世界》の中に現存在する何物かである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.204~205」国文社)