ツレは昔、北海道の炭鉱閉鎖により内地に強制的に移住させられた経験を持ちます。しかも小学校卒業まで三か月という中途半端。おかげで中学にはなじめず、もともとお勉強も好きな方ではないらしく、そのまま私立の高校を何とか卒業したものの、定職は長く続かずまあでも車関係というところでは一貫していたんですけどね。
で、今回震災にあって、警戒区域になった原子力発電所敷地内に事務所があったのですが、使えないので協力会社はたいてい親会社の近くということでいわき市に移ったんですが、これがまた問題。
いわきと言えば炭鉱の町。しかも成功例。フラガールじゃないですけど、あまりなじめない街だと嘆きが入る。永住しろって言うんじゃないんだから我慢して欲しいんだけど。まあ人生において二回も三回も町を追い出されるって経験は戦争意外にあまりないでしょうね。
私自身は根無し草なので、母親が中通から浜通りに嫁に来て、離婚しそのまま水商売を始めていたので、生まれた町・育った町・大学では首都圏・就職も首都圏・結婚してから故郷に戻ったとはいえ生まれ育った家ではないので愛着も薄い。
なので何処にいってもそれなりに暮らすっていう、適応力はあるはずなんですけど、結局親戚を頼るのはやっぱりしかたないです。あの震災だもの。藁にもすがる思いですよ。藁より充分良い生活してましたが。
今回新築してみてやはり定住は大切なのかなと思いました。娘が警戒区域内の家で育てていたバラや花をもう一度植えたいというので注文。犬も迎えに行くし。友達も出来たので暮らしぶりは私よりなじんでいる感じ。息子は受験生でいわき市の大学に推薦を貰えるかもしれないということで、親子で詰所に住んでもらうことになりますが。
やはりこの震災で家族がバラバラになったと悲観てきな報道が多かったのですが、改めてツレが愚痴をこぼすと「そうなのかも」と思い始めました。距離的には日帰りの出来る範囲なのですが、サマータイムなので始業時間は早いし、二構成なので結構きつい。諦めて詰所を整理して快適に過ごせるように金は出すからと説得。
今年はエアコンじゃなく団扇を支給です。
いわき市は良い街。浜通りでは一番大きいし、東京まで特急電車があるし。炭鉱の街ってところだけ除けばツレも少しは変わってくれると思うんですが、何しろASだしなあ。
仕事辞めたいと言い出すし。でも50歳を過ぎたら無理。何とかあと10年は頑張って貰わないと・・・・。本人も分かっている。だから自宅に帰ってきたときには歓待しようと思ってます。
猫飼うか?と聞いたらいらないというし。ネコでもいたら結構違うと思うんですけどね。主末ごとに連れ帰るのもかわいそうかな。
家賃はいらない詰所だから心配はないけれど、新築の家のローンが始まるので今までのようには行かないでしょうね。って副業があるのでなんとかやってますけど。
家族の大切さというかつながり絆というか・・・・。甘えも時には許すべきかなと思っている今日この頃。
頑張れよツレ!
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