一回目の請求が終わり、いろいろ再提出書類とか確認事項を経て合意書が届き返送したのが12月12日。その間には第二回目の書類を書いているのですが、この週末前に入金されました。仕事は少しずつあるものの失業補償と併用しないといけないので切実ですが、これでなんとかまとまったお金があれば心の余裕も少しできます。明日は100均でちょっと買い物しようかなと思います。
浪江町町民からは非難されそうですけどあることを思いつきました。
半分帰れて半分居住不可能ならいっそのこと全部瓦礫や汚泥の処分場として用地を提供するっていうのはどうなのかなと。その分土地家屋は国に買い上げてもらい、同時に東電の補償は続けてもらい、それに伴う雇用は浪江町民優先にしてもらう。すると南相馬市や広野町・楢葉町が解除になったときにも住民が戻れるかなと。
中間貯蔵に30年ですよ。しかも放射能の帯びた瓦礫や浄水場から出る汚泥の引き取り先が無いという現実。どこかで一挙に引き受けなければ復興はありえない。浪江町広いですからいっそのこと潔く国民の為引き受けるべきだと思います。
道路は国道六号線はダメだろうから、建設途中だった常磐道を開通させ、相馬から福島に抜けるあぶくま道路を完成させる。鉄道も迂回して山側を通すルートを作る。
東北電力も新たな原発の開発は中止と決まったようです。今まで行われてきた漁業補償はどうなるのか?用地買収の終わっているところはどうなるのか?先行きは全くの不透明。
町が消えるのはとてもつらいです。しかし汚いことを押し付けあっても仕方ない。復興の足枷は浪江町が率先して引き受ける!くらいの心意気を見せてもいいじゃありませんか?そして新しい場所でコミュニティーを保ちつつ新しい街を作っていく。
だってね?仮設にいて帰りたいと願っているのは70代以上です。30年後は?働き盛りの30代から40代は子供が優先ですから帰りたくないという。雇用もないし。ならば日本国の為犠牲になる・・というのは言い方が嫌ですけど、誇りをもって町を活用していただきたいと考えてみました。
三年後には仮設も終わる。借り上げ住宅支援も終わる。借り上げ住宅はまだいい。自分で家賃を払っていれば住み続けられるのですから。恒久的住宅の建設も帰れるか帰れないかでかなり速度が違ってくる。場所の確保も必要ですからね。簡単ではない。
体は滅べども名は滅ばず。最終処分場になった故郷浪江町。東日本大震災において嫌なことを全部引き受けた浪江町。
復興だ帰還だと机上の空論はもういいです。だって除染しても住めないなら同じ。一メートル先に空気のカーテンがあっても安心できるわけがない。
それでなくても浪江や飯館は騙されていたのですからね。線量の高い地域に逃げても意味がなかった。最初からあのマップが公表されていたなら郡山やいわき市に行きましたよ。結果この飯坂町は線量が低いし住みやすいので満足ですけど・・・。本当にあの時携帯がつながって泊めてくれる?という勝手なお願いに快く引き受けてくれて一か月半も居候させてくれた親戚に感謝です。本当に命の恩人です。しかも子供のしつけもしてくれた。いままで他人と暮らしたことが無かったし、アパートでの生活もしたことがなかったし、我慢が出来ていなかった。この震災で少し大人になってくれたかなと思います。自分も含めてね。
しかし入金するときには何の連絡もないんだなあ。良いけど。突然残高が増えているのでびっくりする。今後の生活を考えると使えないのですが、クリスマスと正月はやらないとね。
近くに大きな神社があるので初詣に行こうと思います。
今年は年賀状も飾りもないけれど、一家全員無事に年を越せる幸せをかみしめていきたいと思います。
メリークリスマス。聖夜にサンタは住所が変わったから来ないけど。。。。って話したら大丈夫。そのうち来るからと・・・・。本気かな?今欲しいものは猫さんの嫁です。なかなかいない。
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