ひばかりぢゃわんは、二度あつい。
前回の寒天工場関連として、六次産業化には熱い心も必要ではないかなとい
う回となります。2007年の回ですが、よろしかったら。
↓
400年前に豊臣秀吉が朝鮮に出兵した時、藩主であった島津義弘によって
鹿児島県東市来町美山に連行された朝鮮陶工たちは、義弘の命令で薩摩焼を始
めました。そんな陶工たちの心情やいかばかりか。
そして彼らのそんな時代の代表作が、この「火計り茶碗」です。
朝鮮から持ってきた陶工と釉薬、陶工の技術で、火だけが日本のものであった
ことから「火ばかり茶碗」とよばれ、「火計り」の題名になっている。
と、これが「火計り茶碗」の由来。
ということで、美山で「火計り茶碗」の実物を目にしたときには、陶工たちの
心情や誇りとか心意気といったものに対して、心のなかに熱いものを感じずに
はおられませんでした。
そしてもうひとつ。
当時の陶工たちが創建した、村の北西に檀君を祀る玉山宮(現在の玉山神社)
にお参りしようとしたわたしは、お宮さんに通じる急な坂道の参道の途中で、
「火計り茶碗」と同じように、いやむしろそれよりも熱いかもしれないもの
を発見したのです。
・・・・それは お墓。
その墓石に彫られていた名前は・・・調所広郷。いわゆる笑左衛門のお墓だっ
たのです。
そのお墓のある理由ですが・・・
『弘化2年(1845年)薩摩藩の実権を握った調所広郷は、美山の窯の新造
を支援するとともに専売制度を改革し、住民の生活改善と生産増加を図った。
これにより苗代川の薩摩焼は広く全国に知られるようになった。』
ということで、美山の朝鮮陶工たちは、この調所の自分達への厚遇に謝し、も
って〔お墓も赦されなかったほどの〕彼の供養塔を玉山宮の参道の脇に立てて、
感謝していたというのですよ。
熱い・熱い話です。
[いまでこそ市内の天保山に銅像も建てられている調所笑左衛門ですが]調所が
刑死し一族が追放された後はお墓さえもなかっただろうと考えてさえいたのに、
その彼のお墓を建立していたという美山の方々の心意気は。
さすがは「火計り茶碗」を作られた方々のご子孫だな と、感心せずにはおら
れませんでした。
ということで今回は、美山で見たひばかりぢゃわんには、二度にわたってあつい
ものを感じずにはおられなかった。というおはなしでございました[美山に行か
れる折には、ぜひ玉山宮にも]。
◎ 冬になると朝鮮半島から飛来し、春とともに帰るツル。日本と
故郷の朝鮮を自由に行き来するツルの姿に、望郷の想いをたく
した陶工さんたち・・・ということで、ツルを題材とした焼き
物。これも、またいいんですよねぇ。
「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染」
前回の寒天工場関連として、六次産業化には熱い心も必要ではないかなとい
う回となります。2007年の回ですが、よろしかったら。
↓
400年前に豊臣秀吉が朝鮮に出兵した時、藩主であった島津義弘によって
鹿児島県東市来町美山に連行された朝鮮陶工たちは、義弘の命令で薩摩焼を始
めました。そんな陶工たちの心情やいかばかりか。
そして彼らのそんな時代の代表作が、この「火計り茶碗」です。
朝鮮から持ってきた陶工と釉薬、陶工の技術で、火だけが日本のものであった
ことから「火ばかり茶碗」とよばれ、「火計り」の題名になっている。
と、これが「火計り茶碗」の由来。
ということで、美山で「火計り茶碗」の実物を目にしたときには、陶工たちの
心情や誇りとか心意気といったものに対して、心のなかに熱いものを感じずに
はおられませんでした。
そしてもうひとつ。
当時の陶工たちが創建した、村の北西に檀君を祀る玉山宮(現在の玉山神社)
にお参りしようとしたわたしは、お宮さんに通じる急な坂道の参道の途中で、
「火計り茶碗」と同じように、いやむしろそれよりも熱いかもしれないもの
を発見したのです。
・・・・それは お墓。
その墓石に彫られていた名前は・・・調所広郷。いわゆる笑左衛門のお墓だっ
たのです。
そのお墓のある理由ですが・・・
『弘化2年(1845年)薩摩藩の実権を握った調所広郷は、美山の窯の新造
を支援するとともに専売制度を改革し、住民の生活改善と生産増加を図った。
これにより苗代川の薩摩焼は広く全国に知られるようになった。』
ということで、美山の朝鮮陶工たちは、この調所の自分達への厚遇に謝し、も
って〔お墓も赦されなかったほどの〕彼の供養塔を玉山宮の参道の脇に立てて、
感謝していたというのですよ。
熱い・熱い話です。
[いまでこそ市内の天保山に銅像も建てられている調所笑左衛門ですが]調所が
刑死し一族が追放された後はお墓さえもなかっただろうと考えてさえいたのに、
その彼のお墓を建立していたという美山の方々の心意気は。
さすがは「火計り茶碗」を作られた方々のご子孫だな と、感心せずにはおら
れませんでした。
ということで今回は、美山で見たひばかりぢゃわんには、二度にわたってあつい
ものを感じずにはおられなかった。というおはなしでございました[美山に行か
れる折には、ぜひ玉山宮にも]。
◎ 冬になると朝鮮半島から飛来し、春とともに帰るツル。日本と
故郷の朝鮮を自由に行き来するツルの姿に、望郷の想いをたく
した陶工さんたち・・・ということで、ツルを題材とした焼き
物。これも、またいいんですよねぇ。
「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染」