私の家系には成人病のDNAがあるらしい。
それも男の方に顕著に見られる。
私の祖父は父方も母方も私が生まれたときにはすでに亡くなっていた.
父方の祖父は高血圧・脳卒中が原因で、母方の祖父の死亡原因は聞いていないけれど、お酒が大好きな人だったらしいから、こちらも成人病が原因らしい。
父も直接の死因ではないにしても脳卒中をやっている。
そしてお酒大好き・・・
それに反して両祖母とも長生きで今の平均寿命より大分長生きでした。
母もそうだったから、一族の男と女は両極端みたい。
さて肝心の私なんですが、祖父たちのDNAをしっかり受け継いでいるようです
ただお酒を好きという因子は受け継がなかったようだ。
多分アルコールを分解する酵素が極端に少ないらしいから、お酒が好きでも飲んだら危ないかも。
一次分解でアルコールがアセトアルデヒドで止まってしまうのか・・・お酒を飲んで寒気を感じてしまう。
顔だけ熱くなって体が震えるとか・・・と言うことで私はここ30年でビールをコップで1杯飲んだかどうか
これは宴席での乾杯の際に、少し嘗めた程度のトータルということです。
(関係ないのですが、最近のTVCMにはビールお酒などが氾濫していて腹立たしい思いがします)
父の生前の話ですが、脳卒中で倒れた後、伊豆の修善寺の温泉病院で母が付き添ってリハビリの療養をした時期がありました。
私は根が親不孝ですが、見舞いにはかなり行ったのです(これが見舞いと言えるのならばですが)
見舞いに行く時は週末千葉を夜中に出ます、東名沼津から南下して修善寺の病院の下を流れる狩野川に(夏ならば)午前2時辺りに着くのがベストタイム。
実はこの時間から川の近くの街灯の灯りを頼りに川釣を始めます。
ヤマメ(アマゴ)・ハヤ(赤腹)・オイカワなどが狙いです。
これが日の昇るまで、せいぜい6時辺りまでのお楽しみ。
川から上がったら、少し休んで橋のたもとの町内の温泉銭湯につかり、それから父の見舞いという手順。
見舞いとは名ばかりでした・・・まさに
眠い時は病人の父のベッドで寝ていましたし(本人は温泉プールで運動中)、お見舞いの食べ物を当てにしていましたから。
そんなダメ息子でも見舞いに来れば嬉しかったようで>>>そこにつけこんでいた。
さて、この病院のメインは温泉プールでのリハビリですが、運動では散歩なども奨励されていました。
それともう一つ、病院の先生は将棋なども薦めていたようです。
リハビリ患者同士が指していて、私も暇なら誰かと将棋を指すように薦められました。(実際には相手がいなかったのでやりませんでした。)
囲碁もいいはずなんだけれど、これはたまたまなのかやっていませんでした。
想像するに将棋の場合は折りたたみ盤と駒のセットで、重さが違いますね。
囲碁の場合は折りたたみ盤はともかく、石は多少重いし落としたら大変、ベッドなどでは安定性に問題があるのかな。
そういうことが原因か、たまたま碁を打つ人がいなかったのか・・・ま、囲碁と将棋は多分脳の活性化でリハビリに向いているらしい。
ここまでは父の話、ここからは自分の話です。
私も脳卒中ではないけれど、軽い脳梗塞を経験しました。
だから、それが無ければもう少し強い・・・と、言っておきます(たぶん)。
運動機能としては当初右手と右足に違和感があったりしましたが、だんだん薄れてきてはいます。
ただ走ったり、ボールを投げたりは今でもダメですが。
それでもこうしてパソコンでキーボードを叩いているのですから不幸中の幸いということでしょう。
そういう意味でも碁は私の楽しみでもありリハビリでもあるわけです。
実際のところ私の棋力は以前と以後では少し違うだろうな、多分半石ぐらい違うかもしれないと自分では思っています。
最近はうっかり凡ミスとか、集中力不足が多少は解消されてきているとは思うのですが、今度は病気とは関係なく老化という敵とも闘わなくてはいけないので、因果関係は複雑です。
リハビリといえば同僚で職場復帰はしたけれど、実態はリハビリ中状態に近い人がいます。
彼は仕事は健康な時の半分もできないから、本人もつらいでしょうね。
彼は健康な時は碁を打っていてほぼ私と同じくらいだったらしい。
しかし病気(くも膜下出血)以後は少し棋力が下がったようだ。
らしいというのは、職場の昼休みに碁に誘って2,3回打ったのですが、私とは対局していないので直接の感じは分からない。
棋力はともかく、リハビリという意味ではどんどん碁を打つほうが良い。
私はそう思うのですが、世の中そういう風にも行かないらしい
一般的な見方としては碁は遊びです=確かにその通りです
だから仕事が人の半分もできないのに、碁=遊びには熱心と受け止める人が多いようです(完全に近く直してから社会復帰するか、仕事がリハビリであるとして仕事をさせるかの方針がはっきりしていないのも問題です:だから一人分として100%の仕事ができない人でも配属されれば一人分の配置とされるからグループの負担が増えるのです)。
そんなことで本人も、おおっぴらに碁を打つのを控えているようなところも見えるのです。
全くややこしい世の中ですね。
だからドクター的権威がある人と仕事を統括している人が、「リハビリも兼ねてどんどん打ちなさい」と言ってくれるといいのです。
TVなどで一般論としては分かっていても、身近なところでは感情論的なものもあるようです。
それも男の方に顕著に見られる。
私の祖父は父方も母方も私が生まれたときにはすでに亡くなっていた.
父方の祖父は高血圧・脳卒中が原因で、母方の祖父の死亡原因は聞いていないけれど、お酒が大好きな人だったらしいから、こちらも成人病が原因らしい。
父も直接の死因ではないにしても脳卒中をやっている。
そしてお酒大好き・・・
それに反して両祖母とも長生きで今の平均寿命より大分長生きでした。
母もそうだったから、一族の男と女は両極端みたい。
さて肝心の私なんですが、祖父たちのDNAをしっかり受け継いでいるようです
ただお酒を好きという因子は受け継がなかったようだ。
多分アルコールを分解する酵素が極端に少ないらしいから、お酒が好きでも飲んだら危ないかも。
一次分解でアルコールがアセトアルデヒドで止まってしまうのか・・・お酒を飲んで寒気を感じてしまう。
顔だけ熱くなって体が震えるとか・・・と言うことで私はここ30年でビールをコップで1杯飲んだかどうか
これは宴席での乾杯の際に、少し嘗めた程度のトータルということです。
(関係ないのですが、最近のTVCMにはビールお酒などが氾濫していて腹立たしい思いがします)
父の生前の話ですが、脳卒中で倒れた後、伊豆の修善寺の温泉病院で母が付き添ってリハビリの療養をした時期がありました。
私は根が親不孝ですが、見舞いにはかなり行ったのです(これが見舞いと言えるのならばですが)
見舞いに行く時は週末千葉を夜中に出ます、東名沼津から南下して修善寺の病院の下を流れる狩野川に(夏ならば)午前2時辺りに着くのがベストタイム。
実はこの時間から川の近くの街灯の灯りを頼りに川釣を始めます。
ヤマメ(アマゴ)・ハヤ(赤腹)・オイカワなどが狙いです。
これが日の昇るまで、せいぜい6時辺りまでのお楽しみ。
川から上がったら、少し休んで橋のたもとの町内の温泉銭湯につかり、それから父の見舞いという手順。
見舞いとは名ばかりでした・・・まさに
眠い時は病人の父のベッドで寝ていましたし(本人は温泉プールで運動中)、お見舞いの食べ物を当てにしていましたから。
そんなダメ息子でも見舞いに来れば嬉しかったようで>>>そこにつけこんでいた。
さて、この病院のメインは温泉プールでのリハビリですが、運動では散歩なども奨励されていました。
それともう一つ、病院の先生は将棋なども薦めていたようです。
リハビリ患者同士が指していて、私も暇なら誰かと将棋を指すように薦められました。(実際には相手がいなかったのでやりませんでした。)
囲碁もいいはずなんだけれど、これはたまたまなのかやっていませんでした。
想像するに将棋の場合は折りたたみ盤と駒のセットで、重さが違いますね。
囲碁の場合は折りたたみ盤はともかく、石は多少重いし落としたら大変、ベッドなどでは安定性に問題があるのかな。
そういうことが原因か、たまたま碁を打つ人がいなかったのか・・・ま、囲碁と将棋は多分脳の活性化でリハビリに向いているらしい。
ここまでは父の話、ここからは自分の話です。
私も脳卒中ではないけれど、軽い脳梗塞を経験しました。
だから、それが無ければもう少し強い・・・と、言っておきます(たぶん)。
運動機能としては当初右手と右足に違和感があったりしましたが、だんだん薄れてきてはいます。
ただ走ったり、ボールを投げたりは今でもダメですが。
それでもこうしてパソコンでキーボードを叩いているのですから不幸中の幸いということでしょう。
そういう意味でも碁は私の楽しみでもありリハビリでもあるわけです。
実際のところ私の棋力は以前と以後では少し違うだろうな、多分半石ぐらい違うかもしれないと自分では思っています。
最近はうっかり凡ミスとか、集中力不足が多少は解消されてきているとは思うのですが、今度は病気とは関係なく老化という敵とも闘わなくてはいけないので、因果関係は複雑です。
リハビリといえば同僚で職場復帰はしたけれど、実態はリハビリ中状態に近い人がいます。
彼は仕事は健康な時の半分もできないから、本人もつらいでしょうね。
彼は健康な時は碁を打っていてほぼ私と同じくらいだったらしい。
しかし病気(くも膜下出血)以後は少し棋力が下がったようだ。
らしいというのは、職場の昼休みに碁に誘って2,3回打ったのですが、私とは対局していないので直接の感じは分からない。
棋力はともかく、リハビリという意味ではどんどん碁を打つほうが良い。
私はそう思うのですが、世の中そういう風にも行かないらしい
一般的な見方としては碁は遊びです=確かにその通りです
だから仕事が人の半分もできないのに、碁=遊びには熱心と受け止める人が多いようです(完全に近く直してから社会復帰するか、仕事がリハビリであるとして仕事をさせるかの方針がはっきりしていないのも問題です:だから一人分として100%の仕事ができない人でも配属されれば一人分の配置とされるからグループの負担が増えるのです)。
そんなことで本人も、おおっぴらに碁を打つのを控えているようなところも見えるのです。
全くややこしい世の中ですね。
だからドクター的権威がある人と仕事を統括している人が、「リハビリも兼ねてどんどん打ちなさい」と言ってくれるといいのです。
TVなどで一般論としては分かっていても、身近なところでは感情論的なものもあるようです。