私の部屋には本棚が2つあります、大きいほうは自分用ではなくて、家族の写真とか年賀状の資料とか辞書・参考書の類が並んでいます。
それと、いろんな記憶とか、ファイルです。
中には奥さんが高校生時代(大昔です)の映画のパンフレットまでも
小さい方が自分用で、ベッドから手が届くところにおいてあって、半分は物置代わりにもなっている。
他の本は押入れのダンボールの中で、自然科学とか歴史関係はそちら
(こういう保管方法は、本を持っているには違いないけれど、どういう意味があるか自分でも大いに疑問で、誰かが読んでくれる可能性を考えれば古本屋さんに持っていった方が好いかなとも思うのです。)
つまり手の届く範囲に有る小さな本棚の殆どは囲碁関係の本です。
それで、我ながら不思議なことをやっていたことに気がつきました。
私が囲碁関係の本を買って読むようになったのは大学生の時代からです。
当時は月刊誌の「囲碁クラブ」は毎月買って読んでいた。
何かの手違いで買いぞびれたと気は、「囲碁」だったかな、確かそのような月刊誌を買った記憶が有る。
その後日本棋院の会員になって「棋道」が毎月郵送されてきていた。
単行本では梶原先生の「序盤構想」とか「布石の本」が最初だったかな
加田先生の詰め碁の本にもお世話になりました。
そんなことで当時から30年以上も経っているので、買い求めた本を全て持っていたらかなりの量になるはずなんですが・・・
昔、私は引っ越し魔的なところがあって、ほぼ毎年引っ越していたので持ち物は必要最小限みたいな感じで、TV、冷蔵庫、洗濯機などは無いし、身の回りのものはみかん箱数個に収まってしまい、衣類は故郷から持ってきた柳ごおりに収まってしまいます。
後は布団だけですから、引越しはリヤカーで済みます。
そんなことで、本類はともかく雑誌類は保存しない習慣です
結婚後は、自分で整理しなくても、なぜか几帳面に片付けられてしまっていました
でも本の方は勝手に処分されませんでしたが、今あまり手元に残っていないのには理由がある。
もし、全て手元に残しておいたらかなりの量になります。
これは、本の山を金額に換算して見られたら、小遣い削減の理由にされそう
囲碁と縁の無い奥さんから見れば、似たような本を繰り返して買っているように見えるようです・・・そうかも知れないけれど。
また、これだけの本を読みながら今の棋力と釣り合っているか訊かれたら返事に窮する・・・
マアそんな心理もあり、また自分が読んだ本で、取り敢えずはすぐに再読予定ではなければなるべく人に勧めるようにしている。
普段それほど気前が言い訳ではないのですが、この点に関しては自分ではかなり太っ腹だとは思っています。
つまり、自分の碁敵であろうと自分の碁の最新ネタ本みたいなものを公開するようなものでしょうか。
但し、押し付けられる方は迷惑に感じている面も無くは無い?
「この本良いですよ」とか
「是非ためになるから読んで見てください」などと自分の読んだ本を渡すのは・・・もしかしたら「もっと勉強しなさい」みたいに嫌味かも知れないから、タイミングとかシチュエーションが難しい。
碁会所で2,3段で打っている人に「これが出来たら初段の詰め碁」みたいな本を「これを是非やってみて」と渡すのですから、やはり嫌味かな?
でも真意は「基本には何度でも立ち帰らなくてはいけない」と思っていますし、「初段の問題」でも3段が100%出来るわけでもないのです。
初段の問題=有段者としての基礎と考えたら、やはり大問題のはずなんだけど
マアそんなことで、今ベッドから手を伸ばして届く範囲に有る囲碁の本は40冊くらいか・・・
その中の1冊
「布石の要領」 本因坊・高川秀格 昭和31年11月 定価170円
古本特有の日焼けの色と独特の臭いがあります
これは数年前に古本屋に並んでいるのを買ったものです。
不思議ですね、自分の買った本は読んでしまったら人に押し付けて、自分では古本を買ってきたり・・・
しかも定価より高くなっている(1冊300円だったと思う)
昭和31年というところも買った理由かな?
これは私が小学校2年生の年
なんとなく新聞の棋譜を眺めていた時代です・・・だから当時から高川という名前は知っていたけれど、その時代その本を読んでも理解できたかどうか。
さて内容は、「中級者に書いた本をよりやさしくした」様なことが書かれている
確かに碁盤を3線で囲った地が136目で、4線の中の地が121目などの説明とか、シマリ・ハサミの名称の説明などが有るから初級者向けです。
ところが全195ページの65ページから「秀策流の布石」が出てくるから凄いスピードです。
考えてみると・・・
今はいろんなことを教える教材はシステマチックというか、教わる方が理解しやすいように考えられています。
だからこのように、基本的なことを教えた直後に「秀策」なんていう順番は無いでしょうね。
サアどちらが好いかはその人次第でしょうか
私の場合は、何も知らないのに棋譜を見ていて、知らないうちに打てたのだから、「いきなり秀策」に近いかも。
このいかにも古本という本を買ったのは他にも理由があるかも
そうですね・・・私が買わないとこの本は誰も手に取らなくて、捨てられてしまうような感じがした。
まるで捨て猫を拾うみたいな・・・
それと、いろんな記憶とか、ファイルです。
中には奥さんが高校生時代(大昔です)の映画のパンフレットまでも
小さい方が自分用で、ベッドから手が届くところにおいてあって、半分は物置代わりにもなっている。
他の本は押入れのダンボールの中で、自然科学とか歴史関係はそちら
(こういう保管方法は、本を持っているには違いないけれど、どういう意味があるか自分でも大いに疑問で、誰かが読んでくれる可能性を考えれば古本屋さんに持っていった方が好いかなとも思うのです。)
つまり手の届く範囲に有る小さな本棚の殆どは囲碁関係の本です。
それで、我ながら不思議なことをやっていたことに気がつきました。
私が囲碁関係の本を買って読むようになったのは大学生の時代からです。
当時は月刊誌の「囲碁クラブ」は毎月買って読んでいた。
何かの手違いで買いぞびれたと気は、「囲碁」だったかな、確かそのような月刊誌を買った記憶が有る。
その後日本棋院の会員になって「棋道」が毎月郵送されてきていた。
単行本では梶原先生の「序盤構想」とか「布石の本」が最初だったかな
加田先生の詰め碁の本にもお世話になりました。
そんなことで当時から30年以上も経っているので、買い求めた本を全て持っていたらかなりの量になるはずなんですが・・・
昔、私は引っ越し魔的なところがあって、ほぼ毎年引っ越していたので持ち物は必要最小限みたいな感じで、TV、冷蔵庫、洗濯機などは無いし、身の回りのものはみかん箱数個に収まってしまい、衣類は故郷から持ってきた柳ごおりに収まってしまいます。
後は布団だけですから、引越しはリヤカーで済みます。
そんなことで、本類はともかく雑誌類は保存しない習慣です
結婚後は、自分で整理しなくても、なぜか几帳面に片付けられてしまっていました
でも本の方は勝手に処分されませんでしたが、今あまり手元に残っていないのには理由がある。
もし、全て手元に残しておいたらかなりの量になります。
これは、本の山を金額に換算して見られたら、小遣い削減の理由にされそう
囲碁と縁の無い奥さんから見れば、似たような本を繰り返して買っているように見えるようです・・・そうかも知れないけれど。
また、これだけの本を読みながら今の棋力と釣り合っているか訊かれたら返事に窮する・・・
マアそんな心理もあり、また自分が読んだ本で、取り敢えずはすぐに再読予定ではなければなるべく人に勧めるようにしている。
普段それほど気前が言い訳ではないのですが、この点に関しては自分ではかなり太っ腹だとは思っています。
つまり、自分の碁敵であろうと自分の碁の最新ネタ本みたいなものを公開するようなものでしょうか。
但し、押し付けられる方は迷惑に感じている面も無くは無い?
「この本良いですよ」とか
「是非ためになるから読んで見てください」などと自分の読んだ本を渡すのは・・・もしかしたら「もっと勉強しなさい」みたいに嫌味かも知れないから、タイミングとかシチュエーションが難しい。
碁会所で2,3段で打っている人に「これが出来たら初段の詰め碁」みたいな本を「これを是非やってみて」と渡すのですから、やはり嫌味かな?
でも真意は「基本には何度でも立ち帰らなくてはいけない」と思っていますし、「初段の問題」でも3段が100%出来るわけでもないのです。
初段の問題=有段者としての基礎と考えたら、やはり大問題のはずなんだけど
マアそんなことで、今ベッドから手を伸ばして届く範囲に有る囲碁の本は40冊くらいか・・・
その中の1冊
「布石の要領」 本因坊・高川秀格 昭和31年11月 定価170円
古本特有の日焼けの色と独特の臭いがあります
これは数年前に古本屋に並んでいるのを買ったものです。
不思議ですね、自分の買った本は読んでしまったら人に押し付けて、自分では古本を買ってきたり・・・
しかも定価より高くなっている(1冊300円だったと思う)
昭和31年というところも買った理由かな?
これは私が小学校2年生の年
なんとなく新聞の棋譜を眺めていた時代です・・・だから当時から高川という名前は知っていたけれど、その時代その本を読んでも理解できたかどうか。
さて内容は、「中級者に書いた本をよりやさしくした」様なことが書かれている
確かに碁盤を3線で囲った地が136目で、4線の中の地が121目などの説明とか、シマリ・ハサミの名称の説明などが有るから初級者向けです。
ところが全195ページの65ページから「秀策流の布石」が出てくるから凄いスピードです。
考えてみると・・・
今はいろんなことを教える教材はシステマチックというか、教わる方が理解しやすいように考えられています。
だからこのように、基本的なことを教えた直後に「秀策」なんていう順番は無いでしょうね。
サアどちらが好いかはその人次第でしょうか
私の場合は、何も知らないのに棋譜を見ていて、知らないうちに打てたのだから、「いきなり秀策」に近いかも。
このいかにも古本という本を買ったのは他にも理由があるかも
そうですね・・・私が買わないとこの本は誰も手に取らなくて、捨てられてしまうような感じがした。
まるで捨て猫を拾うみたいな・・・