エリア25・28なんて思わせぶりに書きましたが、何のことはない午前1時から4時までの意味で、しかも勝手に名付けているから説明が要りますね・・・TVの深夜番組の案内みたいなもの
私にとってはこの時間帯が一番集中力がある時間帯だと思っている
そう思っているだけで、何か科学的な検査をしたら全然違うかもしれませんが、本人はそう信じている
そういう風に思い込んだのが高校時代に端を発しているから40年は経つ
団塊の世代で4当5落などと言う言葉があった時代です、受験生は深夜まで勉強をした・・・らしい(私はやらなかったので)
ラジオを聴きながらと言う時代です。
私の場合は5時ごろに帰ってくると7時か7時半までまず睡眠
(腹が減っては戦はできぬ=眠っておかねば起きていられない)
それで起きたら夕食と入浴・・・9時ごろには自分の部屋に閉じこもる。
「自分の部屋」と言うとなんかカッコいいみたいですが、5人兄弟の末っ子で7人家族ですから、もともとは自分の部屋は無しでした。
これではならじと強硬な手段に出て・・・
玄関脇の応接間形式のエレクトーンがおいてあった部屋を占拠して、そこに自分用の机手椅子、布団などを運び込んで既成事実を作っていった。
当時は応接間などと呼ばれる空間があった。
両親が憧れのマイホームを建てる時に、そういう名前の部屋もまた憧れだったのでしょうね・・・ライフスタイルとして、お客様と応接まで話をするような習慣などないのに。
我が家のお客は皆、居間=茶の間で話をする、そして裏庭に物置小屋があったから全く「応接間」は当初の目的の機能はなかったのです。
マア4畳程度の広さの物置みたいな場所ですが、時代から言って自分の部屋と言えるもの持ったのは素晴らしいと自分では思ってました。
だからこの部屋で夜9時くらいから朝6時くらいまでは自分の自由な時間です
この時間そっくり勉強をしていたり、今みたいにネットがあって囲碁などやれたら40年後の今は随分違っていたでしょうが・・・当時は殆ど本を読んでいた・・・何かを系統的に読むと言うよりどちらかと言えば乱読
民俗誌とか博物学?、各国別歴史、遺伝学に関する本などが好きでした
教科書は自慢ではないですが開かないけれど案外勉強にはなっていたかも・・・宿題程度はやりますが
朝6時頃に壁に寄りかかったまま寝てしまったり・・・ともかく明け方から8時まで寝ます>>>10分で支度をして朝食・・・学校は階段が勝負です。
教室が4階にあって職員室が2階・・・先生が教室に入るまでに飛び込めばセーフ。
つまり階段で追い抜くか、抜けないかが分かれ目
概ね1勝1敗ペースでしたから、膨大な遅刻度数>>>授業に遅れる時は思い切って1,2時間遅れ。
と言うことで、母親は校長先生に再三注意をされていた・・・が、私には何も言わなかった>>>できる親だったか、既に見離していたか!!。
ともかくこの時代から、深夜のから未明にかけて一番集中できました。
睡眠は夕方と明け方、さらに興味のない授業時間(これは先生たちのブラックリストに載っていたらしく、私は体格が大きいのに座席が真ん中の一番前に指定されていました=尤もここが灯台もと暗しなんだけれど)
この習慣が今でも治らないのですね
但し今は一応社会的にも責任があるわけで、運転もするし昔みたいなでたらめはできないのですが、それでも連休期間とかはどうしても昔の習慣が蘇ってしまいます。
そうだ囲碁とは関係ないのですが当時の思い出話
家から海に突き出した突堤までは自転車でせいぜい15分でした。
時として深夜に釣りに行ったものです・・・一人で
これは翌朝の味噌汁がアサリの予定なら都合がいい
これが餌ですからね
突堤に座り込んで朝まで黒鯛釣りをしたものです。
あまり大きいのは釣れませんでしたが20cmから25cmくらいのものは2,3匹釣れた。
それで朝6時までには帰ってくるのです。
ノビノビというよりいい加減な高校生活でしたね。
今も深夜時間は素直に眠れない気分です
しかし、寄る年波には勝てないので・・・宵の口9時ごろから12時ごろまで寝てしまうことが多くなりました・・・マア睡眠時間の手順を変えただけですね。
さて、そんなことで先日も25時頃にネットにお邪魔すると、連休の入り口でもあり、いつもの深夜より人が多かった。
私を入れて34人入室している
都道府県別に見ると、東京4、埼玉4、千葉3、大阪3、二人は兵庫、神奈川、岐阜、茨城、石川、北海道から九州までいますからネットは凄い(当たり前のことに感動します)
ところで最高点の人は398点・つまりプロと打つときは先でコミ4目半出し
マアそれで対戦成績がプロと互角に近いかどうかは知りませんが、規定ではそうなっている
ともかくこの人はサンサンで数人の別格みたいなアマです
その夜はその下に370点クラス・・・県の代表になったことがあるかそれに近い人が4人いた。
驚いたのですが、私の経験から見て恐らくPANDA・TAISEN・タイゼムでも3段くらいで打てそうな人は34人中25人はいると思われる。
残り9人のうち半分以上は有段だと思える
するとこの時間帯は高棋力の時間帯なのかも知れません。
但し、対局リストは5局あるけれど全ては「対局終了」している
と言うことは観戦したまま寝てしまったか・・・(これは私ぐらいでしょうか)
対局の棋譜を並べなおしているか、過去の棋譜「対戦記録・観戦履歴」を検索して並べているかも知れない。
もしくは、のんびり本でも読みながら、面白そうな対局が始まったら観戦しようと待ち構えているか?・・・さあどうなんだろう
休日前なら私の場合はエリア25・28は終わりは無制限
平日の場合は概ね28時・つまり午前4時=それなら3時間は眠れます
宵の口と合せ技6時間
この辺りは朝3時半頃に新聞屋さんたちが走る音が聞こえます
これが潮時と言うことです
私にとってはこの時間帯が一番集中力がある時間帯だと思っている
そう思っているだけで、何か科学的な検査をしたら全然違うかもしれませんが、本人はそう信じている
そういう風に思い込んだのが高校時代に端を発しているから40年は経つ
団塊の世代で4当5落などと言う言葉があった時代です、受験生は深夜まで勉強をした・・・らしい(私はやらなかったので)
ラジオを聴きながらと言う時代です。
私の場合は5時ごろに帰ってくると7時か7時半までまず睡眠
(腹が減っては戦はできぬ=眠っておかねば起きていられない)
それで起きたら夕食と入浴・・・9時ごろには自分の部屋に閉じこもる。
「自分の部屋」と言うとなんかカッコいいみたいですが、5人兄弟の末っ子で7人家族ですから、もともとは自分の部屋は無しでした。
これではならじと強硬な手段に出て・・・
玄関脇の応接間形式のエレクトーンがおいてあった部屋を占拠して、そこに自分用の机手椅子、布団などを運び込んで既成事実を作っていった。
当時は応接間などと呼ばれる空間があった。
両親が憧れのマイホームを建てる時に、そういう名前の部屋もまた憧れだったのでしょうね・・・ライフスタイルとして、お客様と応接まで話をするような習慣などないのに。
我が家のお客は皆、居間=茶の間で話をする、そして裏庭に物置小屋があったから全く「応接間」は当初の目的の機能はなかったのです。
マア4畳程度の広さの物置みたいな場所ですが、時代から言って自分の部屋と言えるもの持ったのは素晴らしいと自分では思ってました。
だからこの部屋で夜9時くらいから朝6時くらいまでは自分の自由な時間です
この時間そっくり勉強をしていたり、今みたいにネットがあって囲碁などやれたら40年後の今は随分違っていたでしょうが・・・当時は殆ど本を読んでいた・・・何かを系統的に読むと言うよりどちらかと言えば乱読
民俗誌とか博物学?、各国別歴史、遺伝学に関する本などが好きでした
教科書は自慢ではないですが開かないけれど案外勉強にはなっていたかも・・・宿題程度はやりますが
朝6時頃に壁に寄りかかったまま寝てしまったり・・・ともかく明け方から8時まで寝ます>>>10分で支度をして朝食・・・学校は階段が勝負です。
教室が4階にあって職員室が2階・・・先生が教室に入るまでに飛び込めばセーフ。
つまり階段で追い抜くか、抜けないかが分かれ目
概ね1勝1敗ペースでしたから、膨大な遅刻度数>>>授業に遅れる時は思い切って1,2時間遅れ。
と言うことで、母親は校長先生に再三注意をされていた・・・が、私には何も言わなかった>>>できる親だったか、既に見離していたか!!。
ともかくこの時代から、深夜のから未明にかけて一番集中できました。
睡眠は夕方と明け方、さらに興味のない授業時間(これは先生たちのブラックリストに載っていたらしく、私は体格が大きいのに座席が真ん中の一番前に指定されていました=尤もここが灯台もと暗しなんだけれど)
この習慣が今でも治らないのですね
但し今は一応社会的にも責任があるわけで、運転もするし昔みたいなでたらめはできないのですが、それでも連休期間とかはどうしても昔の習慣が蘇ってしまいます。
そうだ囲碁とは関係ないのですが当時の思い出話
家から海に突き出した突堤までは自転車でせいぜい15分でした。
時として深夜に釣りに行ったものです・・・一人で
これは翌朝の味噌汁がアサリの予定なら都合がいい
これが餌ですからね
突堤に座り込んで朝まで黒鯛釣りをしたものです。
あまり大きいのは釣れませんでしたが20cmから25cmくらいのものは2,3匹釣れた。
それで朝6時までには帰ってくるのです。
ノビノビというよりいい加減な高校生活でしたね。
今も深夜時間は素直に眠れない気分です
しかし、寄る年波には勝てないので・・・宵の口9時ごろから12時ごろまで寝てしまうことが多くなりました・・・マア睡眠時間の手順を変えただけですね。
さて、そんなことで先日も25時頃にネットにお邪魔すると、連休の入り口でもあり、いつもの深夜より人が多かった。
私を入れて34人入室している
都道府県別に見ると、東京4、埼玉4、千葉3、大阪3、二人は兵庫、神奈川、岐阜、茨城、石川、北海道から九州までいますからネットは凄い(当たり前のことに感動します)
ところで最高点の人は398点・つまりプロと打つときは先でコミ4目半出し
マアそれで対戦成績がプロと互角に近いかどうかは知りませんが、規定ではそうなっている
ともかくこの人はサンサンで数人の別格みたいなアマです
その夜はその下に370点クラス・・・県の代表になったことがあるかそれに近い人が4人いた。
驚いたのですが、私の経験から見て恐らくPANDA・TAISEN・タイゼムでも3段くらいで打てそうな人は34人中25人はいると思われる。
残り9人のうち半分以上は有段だと思える
するとこの時間帯は高棋力の時間帯なのかも知れません。
但し、対局リストは5局あるけれど全ては「対局終了」している
と言うことは観戦したまま寝てしまったか・・・(これは私ぐらいでしょうか)
対局の棋譜を並べなおしているか、過去の棋譜「対戦記録・観戦履歴」を検索して並べているかも知れない。
もしくは、のんびり本でも読みながら、面白そうな対局が始まったら観戦しようと待ち構えているか?・・・さあどうなんだろう
休日前なら私の場合はエリア25・28は終わりは無制限
平日の場合は概ね28時・つまり午前4時=それなら3時間は眠れます
宵の口と合せ技6時間
この辺りは朝3時半頃に新聞屋さんたちが走る音が聞こえます
これが潮時と言うことです