昨日の話にだいぶダブりますが、私はこれまでに碁を打ったことが無い人にも碁を伝えたい。
そう考えた時に、その人がどうしたらその気になるかが大きなテーマです。
そこで初めての人を誘うキャッチフレーズは
「数千年の歴史が有る、史上最も面白いゲーム」
「脳の活性化、ボケ防止」
「さまざまな人と付き合える」
など考えたけれど、もう一つインパクトが無い気がします。
それでも自分にとってはこれで充分ですが・・・初めての人には向かないか
ともかく説明をしながら誘うことになるでしょう
4月の大学キャンパスのクラブ勧誘みたいかも知れませんが・・・
「数千年の歴史」はこれは事実だから問題ないし、一つのものが多少形を変えたとしてもこれだけ愛好されてきたのにはそれなりの理由があるはずです。
「史上最も面白いゲーム」と私は心底思っているのだけれど、それは推測・推定であって証明するものというか、”面白度”みたいな秤が無い。
それに”面白い”ということ事態主観的な問題だと思われるでしょう
だからこういうフレーズを息子にぶつけても、「そうかも知れないけれど、オヤジの主観かもしれない」と悔しいけれどクールな反応です。
「ソニーの何とかいうゲームより碁の方が何倍も面白いし、ゲームの完成度が違う」といったところで、シュウティングかウィイレ専門の息子には通じない。
せめて敵さんがロープレファンだったら違っていたかな?
目から入ってくる情報に一瞬で反応して指先を動かす
それと「じっくり考えて、先のこと全体的なことを考える・・・」そこが大きな差ですね。
二番目の「ボケ防止」には思いで話が有る
お師匠さんの決まり文句の冗句は「碁はボケ防止に効果があるよ!」で使う場面が決まっています。
どんな時かというと、早打ちの対局で場面がドンドン進行していくのを見て、両者を冷やかしていうのです。
この場合「ボケ防止」と「中気の予防」があります。
”頭で考える効果”ではなくて”指の運動の効果”を強調してからかっています。
とすると超早碁はシュウティングゲームみたいなものかな?
反応が遅れたために倒されてゲームオーバーは無いけれど、左手に7,8個石を持って待ち構えているのですから・・・但しその石を打たずに、新たに碁笥から石をつまんで打つ人もいるから二重におかしいですね。
両者早くてペッタンペッタンというリズムがあればそれは”餅つき碁”とからかわれますが、餅つきなどはまだ可愛いほうで、もっと早いのは「機関銃」です。
こういう碁は間違っても棋譜を採ろうとしてはいけませんね・・・絶対不可能
さらに何かの弾みで石がずれたり、乱れたりした時にほぼ復元不能でしょうね
そういうところを何度も目撃しています。
さて超早打ちの人は対局数も多い・・・これはリアルなどで見てきました
仮に一局に150手打ったとして、その石の総重量が500gとして、そして年鑑2000局打つと・・・全て推定ではあるが
これは1トンの石を運んだことになります
4年で4トンのトラックに1杯分です
多いと思うか、何だその程度かと思うか?
しかし、年間30万個の石を運ぶのだから、病気の予防にはなっているかも知れない・・・これはあまり積極的に宣伝したくは無い気がする。
「脳の活性化」は大いに宣伝したい
「頭がいい人の遊びが碁」なのか「碁をやると頭がよくなる」のか鶏と卵?
いや、プロ、アマの強豪はともかく自分を見ていれば相当怪しい話です
「脳の活性化」は声を大にして言いたいけれど、「頭が・・・云々」は碁を敬して遠ざける逃げの理由にもされることも有るから注意が必要です。
アマの場合江戸川柳に「あの馬鹿に3つ置き」みたいに別の知恵みたいなことも有りそうですが、どうなんだろう。
一時スパーで「サカナサカナサカナ,魚を食べると、アタマアタマアタマ、頭がよくなる・・・」が流れていました。
「脳の活性化」で所謂教育ママは、自分は打たなくても子供を囲碁教室に連れてくるような気がする・・・自分の夫に「貴方!囲碁が打てないの!?」と言わないだろうか?
本当は教育ママ自身にも囲碁を打って欲しい。
ともあれ若い世代には「ボケ防止」は切実ではないでしょうから「活性化」で攻めましょう
「さまざまな人と付き合える」これは本当です。
普通なら顔を合わせないだろうと言う人と碁盤を挟むこともあります。
今の職場でも上司連中に囲碁に関しては立場が逆転したり・・・少なくとも趣味に関しては対等な付き合いになるのです。
最近は顔を合わせませんが、赤い絨毯の上をバッチをつけて歩いている人ともお互いに先生と呼び合っていました。
あちらは本物のセンセイでこちらはインチキのセンセイですが、向う先で3つ置かせていたから”センセイ”だったか。
もっとも失敗もありますが・・・
若い頃に勤めていた会社の社長が無類の囲碁好きで、ある時向う4子で対局しました。
やっつけてしまったと言うか、黒の思うようにはさせなかったと言うか・・・
「4つも置けば白も素人だから何とかなる」と思っていたでしょうね。
以後対局はありませんでした。
しかし、社長のロータリークラブの囲碁の集まりに私が車で送っていくことが多かったから・・・「君は仕事中だからここでお帰り」みたいなペナルティーだったか
昔みたいに会社のトップとか重役で囲碁を打つ人が少なくなっているみたいだから、囲碁を姑息な手段に使おうと思っても効果は少ないでしょう・・・が付き合いは広がる筈です
これは囲碁と言う趣味で自分の幅が広がると同時に、付き合い・行動と言う社会的な幅も広がるでしょう
そう考えた時に、その人がどうしたらその気になるかが大きなテーマです。
そこで初めての人を誘うキャッチフレーズは
「数千年の歴史が有る、史上最も面白いゲーム」
「脳の活性化、ボケ防止」
「さまざまな人と付き合える」
など考えたけれど、もう一つインパクトが無い気がします。
それでも自分にとってはこれで充分ですが・・・初めての人には向かないか
ともかく説明をしながら誘うことになるでしょう
4月の大学キャンパスのクラブ勧誘みたいかも知れませんが・・・
「数千年の歴史」はこれは事実だから問題ないし、一つのものが多少形を変えたとしてもこれだけ愛好されてきたのにはそれなりの理由があるはずです。
「史上最も面白いゲーム」と私は心底思っているのだけれど、それは推測・推定であって証明するものというか、”面白度”みたいな秤が無い。
それに”面白い”ということ事態主観的な問題だと思われるでしょう
だからこういうフレーズを息子にぶつけても、「そうかも知れないけれど、オヤジの主観かもしれない」と悔しいけれどクールな反応です。
「ソニーの何とかいうゲームより碁の方が何倍も面白いし、ゲームの完成度が違う」といったところで、シュウティングかウィイレ専門の息子には通じない。
せめて敵さんがロープレファンだったら違っていたかな?
目から入ってくる情報に一瞬で反応して指先を動かす
それと「じっくり考えて、先のこと全体的なことを考える・・・」そこが大きな差ですね。
二番目の「ボケ防止」には思いで話が有る
お師匠さんの決まり文句の冗句は「碁はボケ防止に効果があるよ!」で使う場面が決まっています。
どんな時かというと、早打ちの対局で場面がドンドン進行していくのを見て、両者を冷やかしていうのです。
この場合「ボケ防止」と「中気の予防」があります。
”頭で考える効果”ではなくて”指の運動の効果”を強調してからかっています。
とすると超早碁はシュウティングゲームみたいなものかな?
反応が遅れたために倒されてゲームオーバーは無いけれど、左手に7,8個石を持って待ち構えているのですから・・・但しその石を打たずに、新たに碁笥から石をつまんで打つ人もいるから二重におかしいですね。
両者早くてペッタンペッタンというリズムがあればそれは”餅つき碁”とからかわれますが、餅つきなどはまだ可愛いほうで、もっと早いのは「機関銃」です。
こういう碁は間違っても棋譜を採ろうとしてはいけませんね・・・絶対不可能
さらに何かの弾みで石がずれたり、乱れたりした時にほぼ復元不能でしょうね
そういうところを何度も目撃しています。
さて超早打ちの人は対局数も多い・・・これはリアルなどで見てきました
仮に一局に150手打ったとして、その石の総重量が500gとして、そして年鑑2000局打つと・・・全て推定ではあるが
これは1トンの石を運んだことになります
4年で4トンのトラックに1杯分です
多いと思うか、何だその程度かと思うか?
しかし、年間30万個の石を運ぶのだから、病気の予防にはなっているかも知れない・・・これはあまり積極的に宣伝したくは無い気がする。
「脳の活性化」は大いに宣伝したい
「頭がいい人の遊びが碁」なのか「碁をやると頭がよくなる」のか鶏と卵?
いや、プロ、アマの強豪はともかく自分を見ていれば相当怪しい話です
「脳の活性化」は声を大にして言いたいけれど、「頭が・・・云々」は碁を敬して遠ざける逃げの理由にもされることも有るから注意が必要です。
アマの場合江戸川柳に「あの馬鹿に3つ置き」みたいに別の知恵みたいなことも有りそうですが、どうなんだろう。
一時スパーで「サカナサカナサカナ,魚を食べると、アタマアタマアタマ、頭がよくなる・・・」が流れていました。
「脳の活性化」で所謂教育ママは、自分は打たなくても子供を囲碁教室に連れてくるような気がする・・・自分の夫に「貴方!囲碁が打てないの!?」と言わないだろうか?
本当は教育ママ自身にも囲碁を打って欲しい。
ともあれ若い世代には「ボケ防止」は切実ではないでしょうから「活性化」で攻めましょう
「さまざまな人と付き合える」これは本当です。
普通なら顔を合わせないだろうと言う人と碁盤を挟むこともあります。
今の職場でも上司連中に囲碁に関しては立場が逆転したり・・・少なくとも趣味に関しては対等な付き合いになるのです。
最近は顔を合わせませんが、赤い絨毯の上をバッチをつけて歩いている人ともお互いに先生と呼び合っていました。
あちらは本物のセンセイでこちらはインチキのセンセイですが、向う先で3つ置かせていたから”センセイ”だったか。
もっとも失敗もありますが・・・
若い頃に勤めていた会社の社長が無類の囲碁好きで、ある時向う4子で対局しました。
やっつけてしまったと言うか、黒の思うようにはさせなかったと言うか・・・
「4つも置けば白も素人だから何とかなる」と思っていたでしょうね。
以後対局はありませんでした。
しかし、社長のロータリークラブの囲碁の集まりに私が車で送っていくことが多かったから・・・「君は仕事中だからここでお帰り」みたいなペナルティーだったか
昔みたいに会社のトップとか重役で囲碁を打つ人が少なくなっているみたいだから、囲碁を姑息な手段に使おうと思っても効果は少ないでしょう・・・が付き合いは広がる筈です
これは囲碁と言う趣味で自分の幅が広がると同時に、付き合い・行動と言う社会的な幅も広がるでしょう