カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

jazzのかかる店

2012-02-21 | エッセイ

町田のjazzのかかる店「NOISE」には町田に行った時は時々行く。以前にも当blogに書いたと思う。初めて入ったのは偶然である。数年前のことだ。ジョルナに何かしら用があり、その時見つけて入口の雰囲気で何の抵抗感も無く入ったと思う。その時は、CDの品ぞろえも少なかった。レコードの時代はとうに過ぎていた。店員も気さくで私がbluesも好きなのだけれどというと、やはり数のそれほど多くないCDの箱からbluesのものを見つけて、これかけてみましょうか、といったようなやり取りがあったのである。その時はしばらくそのbluesを聴いていてやはりjazzとはだいぶ違うな、ここはjazzの方が良いのかな、などと思ったりした。お客は、特に午後の時間帯は少なく、そういうやり取りをする余裕もあったのである。私はその時からの付き合いなのだが、その後、混むことも多くなった。ところで今回知ったのだが、NOISEの1号店は下北沢で1980年くらいからのことらしい。町田は2号店。知らなかったのである。しかし、どうりで・・・。というのは初めて入ったときに看板のロゴにどこか見覚えがあるような気がしたのだった。気のせいかもしれない。今でもそう思う。jazzに詳しくもなく、ましてやjazzの評論家でもないし、jazz喫茶を渡り歩く人間でもないが、jazzがかかっている喫茶店でコーヒーを飲むのは好きである。そういった程度である。町田のNOISEに初めて入ったのは数年前のことだが、それでもその看板には微妙に記憶を刺激する何かがあったのを覚えている。jazzに詳しい人にとっては、なんだその程度か、といったことかもしれないけれど。下北沢は私はその昔、仕事でもよく通った街で、汗と涙の場所である。80年代は特によく知っている。場所は知らないが下北沢の看板は歩きまわっているときにでも目に入っていたかもしれないし、笑われるかもしれないが昔どこか別の町でも見たような、そんな既視感が大いにあるのだった。当時、jazzのかかる店の看板は色、形は違えど、どこか共通した雰囲気を放っていたようにも思う。そして町田のNOISEに初めて入ったときのCDの少なさにどこか、どうしたのかなといったような感覚をかすかに持ったことも覚えている。初めてなのに、だ。ただ、何かそれで良いような気がしたのだ。あるいはぼつぼつそろえ始めたところだったのかもしれない。訊いたことはない。昨年は少し足が遠のいていたが、ライブの開催も始められていたらしい。好評で続けられれば良いけれど・・・。いろいろ嬉しいことだと感じる。

 

 

 その後、気になって少し調べていていたら下北沢のNOISE1号店は70年代にはあったようだ。正確に何年から始まったのかは今のところ分からない。どの記事も現在在る町田の2号店が80年からということや、1号店が下北沢にあったというところまでは書いているが、ほぼそこまでとなっている。インターネットの記事はよくこういったように横並びでそこまで、ということが多い。いずれにしろ、ゆうに30年以上も前の、もう古い話で、今店に来ている客などはその頃のことさえ知らない人が多いだろう。新しい感覚でやっている部分も多いと思う。
 「下北沢 NOISE ・・・・・」などと検索ボックスに入れていたら、「jazz喫茶、東北」などというのが出てきた。下北半島あたりを拾っているようだった。今の時期、寒そうだ。 また、下北沢の美容関係のクリニックなども拾う。喫茶店などとは全く違うものだけれど、お陰でいろいろ知ることができた。


 

 

 

 

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