カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

パスタ など

2017-07-22 | エッセイ

 パスタをよく食べる。外食ではなく家で。茹でれば出来上がるのだからこんなに簡単なことはない。茹で時間も袋に書いてあるからその通りにやればよい。それに、長い間置いておいても腐らない。思えばパスタというのはそのほとんどが乾麺で、保存食としてもよく考えられたもの、ということだった。これに似たものは世界中にいくらでもあって、和食ではうどん、冷や麦、素麺などの乾麺。素麺などはものによっては綺麗に細く揃い、表面がスベッとしてしているようでもありで、食べるのが惜しくなるようなものもある。
 パスタは、普通に言うとスパゲッティだ。スパゲッティのナポリタンというのがあるけれど、外で食べて実は旨いと思ったことがないのだ。いつもそこそこナポリタンだな、普通に旨いなと思って食べていたのだがそのうち飽きてしまい、店でも注文しなくなった。ここ20年くらいは、長いな・・・、食べるとすれば、もっぱらカルボナーラかボンゴレだ。ナポリタンは大昔に新宿のどこかのレストランで食べたら使われていたハムが悪かったらしく、柄にもなく腹痛を起こした記憶がある。でも、個人的にイタリア料理は全般的に旨いと感じ、中華と並んで好きな料理のひとつだ。カルボナーラはクリーム感が好きだし、ボンゴレも魚介好きにはたまらない。
 ナポリタンの話だが、以前イタリアを旅した時、ローマでガイドブックに書いてある、大衆的ではあるけれどランチなどに食べてとても満足のいくという店のそのナポリタンというのを食べたことがあるのだが、これもなんだか麺が太くて、コシはあるもののそのコシがどこかへ行ってしまったかというくらい柔らかく伸びた感じだった。やはりそこそこだった。本場のイタリアのローマで・・・。ナポリへ行って食べなきゃならんという分けでもないだろう・・・。
 ナポリタン、作る側からすると結構難しいのかもしれない。ナポリタンは日本ではメニューとして、レストランというか食堂ともいうべき店だと、その前に置いてあるガラスのショーケースの中の、だいたいパスタ類の筆頭に並んでいる。ミートソースと共に・・・。筆頭とはいえ、列の端の方なので僕の場合あまり見ないことが多い。すぐカルボナーラへと目が行くのである。話はそれるが、これと似た感じでやはりその手の昔からある食堂系レストランのガラスケースには、カレーという種類の一品が大概あり、棚の端の方に時としてほこりをかぶったように並んでいる。カレーというのは食堂系では定番ではあるが、店にはあるのが普通なのだが、端の方なのである。真ん中辺りはステーキだのハンバーグだのが並んでいるのだ。

 話は脱線していくのみだが、小学生の頃、給食にスパゲティミートソースが出た時は全くもって画期的だった。教室から我らガキどものおぉー!という歓声が沸きあがった。男も女も騒いでいた。それまでは、毎日変わらず安い食パンだったのだ。ときとしてその耳は乾燥して堅く、歯ごたえが十分ありすぎるくらいのものだったし、それでも何とも思わず、だから、柔らかな焼きたてのようなパンが出た日には、教室が嬉々とした感じなった。それがスパゲティだなんて! それも、お盆に並んだその白く丸い玉は、柔らかく温かくすらあったのだ。歓声どころではなかったのである。ガキども、麺の匂いと共に、発狂しそうだった。それも、もう半世紀くらい前のことになった。



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訪れた街を思い起こして  

2017-07-22 | エッセイ



出典:ラージャスターンの丘陵城塞群(wikipediaから)

 

出典:世界遺産オンラインガイドから
https://worldheritagesite.xyz/contents/jaisalmer-fort



 かつてインドへ旅した時、ジャイサルメールという街で数日過ごしたことがあった。乾燥した砂漠地帯にある街でその街の中心には小高い丘に建つ城砦があった。インドへ行った時のことは、旅日記、メモ書き、スケッチなどを含めて「また日が暮れる」というタイトルで紀行本として出版されている。もう自分の中で時間は流れ、時代は移ろい、随分昔のこととなった。その本の中でジャイサルメールの街について少し書いている。ジャイサルメールは砂漠の長距離のバス旅がその街で一息ついた感じで、のんびりできた記憶がある。インドで訪れた街の中でも好みの街のひとつだ。数日の滞在期間を取って安宿に宿泊し、街を歩きまわった。乾いた空気と夕陽に映える城砦の印象が網膜に映る残像のように今でも残っている。毎日、城壁を見上げては散策した。見上げているだけではなく、城壁の中にも見物に入り、街を見て味わいつつ歩いた。城壁内には石造の建物が並び人も住んでいた。自分にはその城砦の壁もそうだったが、城砦内の建物の石の連なりもとても印象に残った。そういったことを記憶している。その黄色味を帯びた石は何と言う石だろう?とも思った。見て、良かったからだ。後にそのスライドなどを見た時などに、ついでにその石についても少しばかり調べた記憶がある。ガイドブックには御影石と書いてあるものがあったように思う。今、ネットで調べられるようになり、調べたらウィキペディアなどには黄色い砂岩と出ていた。それとは別に旅の話としてネット上に書かれているものは結構あって、御影石と書かれてあるものもあり、大理石と書かれてあるものもあるようだ。砂岩?・・・。そうだったのかな?・・・。特に印象に残ったのは城壁の中にある街のその壁である。城砦を外から見た時のその城壁ではなくて・・・、もちろんこれも良いのだが・・・。
 薄れた記憶を辿る。あの少し硬そうな光沢さえ僅かにありそうなあの黄色味を帯びた石が? そういう風には見えなかったように思う・・・。どちらかというと大理石のような感じだった・・・。建物の壁には崩れかけたところもあったように思う。年月の中で風化していて、それもまたいい感じだった。ネット上の写真などで見ると城砦の一部には明らかに砂岩と分かる茶色い砂岩は使われているようだ。城砦の外壁もそんな感じだ。茶色のインド砂岩は見てすぐにそれと分かるものだ。そして、いろいろな色のものがあり、ジャイプールの「風の宮殿」と呼ばれる建物にもやはり砂岩が使われていて、これは赤みを帯び、ジャイプールは別名、ピンクシティーの名でも知られている。ジャイサルメールの方はもしかすると城砦の建物全体として数種類の石が使われているのかもしれないが、これは想像である。
 彼の地は暑いところだ。連日のように晴れた暑い日が延々と続く。自分の場合、その時は旅そのものが目的のような感じで、旅の名所などをよくよく見ても大してよく見てもなく、熱気でボーッとなった頭にはほとんど何も残らなかったりしたものだ。




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