カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

タイトルのみ・・・ノーコンテンツ

2009-12-11 | エッセイ
現代の、ある一連の諸問題についての、タイトル。(タイトルのみ) 
1.サブリミナルもしくはサブリミナル的なもの、もしくは現代の中で、より広義
  の意味でのメタファーによる誘導も含めたサブリミナル的であるような手法の
  危険性について。
2.スケープゴートについて、そしてその犠牲者について、その危険性につい
  て。
3.搾取、及び現代の中で広義の意味での搾取について。
4.ストレスについて。
5.マスコミニュケーションと受け手の人々について、その間のズレについて。

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旅の予約などで感じること・・・・・

2009-12-11 | エッセイ

 インターネットを使いだして、ほぼ半年余りが経過した。その間ネットを利用していろいろと試し、トラブルもあり感激したこともありで、感じることが多かった。
 ホテルや旅館の予約の事で、ネットを使う以前から感じていたことなのだが、ネット予約による料金と例えば電話予約による料金とで差が生じることが多いようで、やはり問題だと思う。価格差が数百円の単位だとまだそれほど感じないのだが数千円になってくると、そこまでの差が付けられますか、と言いたくなる。ネットで申し込むのと電話で申し込むのと何処に違いがあるのか、というところである。対象としているのは宿泊するホテルの部屋のことである。ネットで申し込んだからと言って何かその部屋が変わるかと言うとそんなことがあるはずもない。部屋はバーチャルなものではなく、現実のものとしてそこにあるだけだ。ネットか電話かで違いは生じず、生じるとすれば申し込んだ時の受け手のちょっとした手続き上のことだけだろう。口頭によるコミュニケーションの取り方が上手い人ならどうということはないはずである。後は申し込む側のマナーの問題。
 ネットの良いところは、空き室などを一覧で見つつ、受け手を煩わすことなく選定できるところだ。ここだけが実は突出した利便性なのだと思う。やってみると分かる。旅の予定が、いまだ流動的である場合はなおさら効果的だ。それと、建物のプラン上の問題などから派生した、少し小さめで狭いけれど何とか支障なく使える部屋、というのもあったりして、これは格安料金になっていたりすることが多い。こういうのは電話で口頭で話すと、フロントの係が言い落とすことがある。全部の種類を言うわけにもいかないのだろうし、客が求めているものを電話の話から瞬時に判断し、数ある部屋から勧められるものをすべて伝える、というのはかなり熟練の業だろう。忙しさにかまけて言い忘れることもあるかもしれない。この辺がネットだと一覧で載せてあるから見る方も時間をかけて考えることができるし、確実で楽である。
 私の場合はネットから受ける旅のホテル、旅館の予約に関しての恩恵はここら辺りで十分だと思う。同じ部屋なのに申し込みの仕方の違いだけで料金が違う、というのは道理に照らし合わせても理解できない。そのような宿泊所が少なくなることを望みたい。キャンセル時の問題はこれはもう、マナーの問題だ。掛け持ちで押さえるだけ押さえておいて、という人もいるのだろう。それも度を越せばお笑いものだ。
 ネットの利便性と少しの問題点を感じている今日この頃である。

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スキー

2009-12-09 | エッセイ

 昨年の年末、年の瀬も押し迫って友人とスキーに出かけた。信州の白馬八方尾根でその年を納めようということだった。私、友人、共についぞスキーのことなど忘れており、私はここ2,3年で1回だけ、友人に至ってはもう10年以上も行っていないという始末。私は下手の横好きで、たいして上手くもなくウェアーなどに凝ることもなく、楽しめればいいという程度。友人は私より上手くはあるが何十年振りかで、普段からの運動不足と仕事の忙しさからくる不摂生とで体力的に不安、といった体であった。私も日頃、少しは運動しているとはいえ使う筋肉もまるで違うし、寒くて最初にスキー板を履いた時から二人とも何かぎこちなかったのである。若い人のかなり多くがスノーボードを履いていた。その行列にまじって、二人仲良く、えっちらおっちらとペンギンのように歩き、最初のペアーリフトへ慣れないスキー板を引きずるようにしてスタンバイしたのである。ペアーリフトが機械音を立てて廻って来た。それっとばかり二人並んで進み出たつもりだったのだが、私が一瞬遅れたのである。タイミングが合わなかったのである。運の悪いことに私は、内側にいた。そして見事に、そのペアーリフトに引っかかるようになりながらズルリと倒れたのである。倒れた私に絡まるようにしてタイミング良く座れそうになっていた友人もスキー板をバタバタとさせながら、倒れた。すっ転がった私たちにいち早く気付いた係りの人が、リフトをすぐに止めてくれた。あの時の係りの人には感謝しております。ブザーが倒れた私たちをあざ笑うかの如くブーブー鳴ったような気がする。ペアーリフトというのはゲレンデの一番下の最初のところにあることが多い。もう、ドショッパナからこれであった。そんなものである。見ていると、そんなところでリフトを止めるヤツなど居やしないのであった。みんな器用にこともなげに乗って行く。こちらは稀なる二人なのであった。白馬の八方尾根のペアーリフトを止めた、剛の者はこの私です、友人に責任はありません。嗚呼。しかし、その後は何とか体もほぐれてきて、二人とも久々のスキーを十分楽しんだのであった。

 

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木枯らし

2009-12-07 | エッセイ

 今日は夕方になってからぐっと冷え込み風が一段と強くなった。気象用語でそう呼べるかどうか知らないが、木枯らしが吹いた、と言いたい。手がかじかんだ。ジョグ&ウォークを夜やるので、季節ごとの気温の変化には敏感になる。昨日と今日で気温がまるで違うのが皮膚を通して分かるのだ。
 ジョグ&ウォークというのは私が名付けたもので、なるべく気持ちに負担なく続けられるようにとジョギングとウォーキングをテキトーに組み合わせたもので、とにかく2足歩行で進めば良いという代物である。何のことはない、走っていて疲れたら歩き、また走りたくなったら走る、というものである。体調が悪い時は歩いてばかり、となるのだがそれでよいことにしているのが、このジョグ&ウォークである。目新しいことは何一つないというこの運動方法は、しかしテキトーであるだけにずっと続いている。途中何年間の中断も含めて30年くらい。人の少ない夜に行うので、精神的にも落ち着き、歩いている時はものを考えもし、何かのアイデアが出ることもある・・・ときどき。夜、屋外の新鮮な空気、有酸素運動による呼吸、無理のない運動、などなど、瞑想の条件にも通じるのかもしれないが、瞑想というとすぐに神秘だの霊感だのを言い出す人もいるのでこの辺にしておく。
 とにかく、長年続けている、リフレッシュする貴重な時間なのである。以前はトレーニングジムでのウェートトレーニングも含めてやっていたのだが、ストレスからか高脂血症、高尿酸血症と診断され、そちらの方はやめた。いわゆるメタボと言われるもので、医者の忠告で、かなり必死になって検査数値を落とし、今は何とか正常値におさまっている。
 このところ数年、ほぼ有酸素系である。白筋系から赤筋系へかなり移行したということである。
 ジョグ&ウォークのときは、アルファー波が確実に出ていると思う。

 これから寒くなりそうだ。鍋物に絶好の季節、ウィンタースポーツの季節・・・コレステロールに気を付けねば。私が若かりし頃(今でも若いつもりなのだが)、スキーのゲレンデとくれば、松任谷由実のBGMが定番だった。

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2009-12-04 | エッセイ




自宅近くの麻生川に雁が飛来して来ている。

・・・・・投稿してみたものの、何か気になって、今、

百科事典を広げているところだ。

果たして雁か、と思ったわけだが

鴨?かも・・・

鴨かもなどと言ってみつつ事典の写真を見ると

鴨の方が概して首が短めのようだ。

しかしこの写真では判然としない。

実際に見たときの記憶をたどると、首短め、だったようだから

どうやら鴨のようだ。

鳥に対しては

その程度の判別の知識しか持ち合わせていない。

今日、日中はこの季節にしては暖かく、よく晴れていて

街には人が多く出ていた。

 

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本と読書・ジルドゥルーズの本について

2009-12-03 | エッセイ

 本の読み方にもいろいろあって、例えば雑誌などで軽いものなどだと適当に流し読みしたり、また、小さな話が羅列的に詰め込まれたりしているものだと、後ろの方から読んでみたり適当に開いたところから読んでみたりする。本の種類にもよるし、またこちらの状態でも読み方が変わって来たりする。ただ、私の場合は買ってきた本は、そのつもりで買ってくることが多いので、流し読みであっても、一部分であってもとにかく読んでみることがほとんどである。しかしそうならない例外が一冊だけあった。それが、哲学者のジル・ドゥルーズの書いた「差異について」という本である。
 この本に対する私の態度は、自分でも不思議だった。そう、もう忘れかけているが10年か15年くらい、あるいはそれ以上前に買ったきり、本棚に置いたままずっと読まなかったのである。よく言う、積ん読というものなのだろうが私は読むつもりで買ってきたものをそうしておくことはまずないのである。買った本は必ず読むから本棚にある書籍も多くはない。買って来て、大事にその小さな、薄めの、それでも自分にとってかなり重要で読みごたえのありそうな予感のする本を保管するような気分で、置いたままにしていたのである。こういうことは初めてだった。そういう予感がそれほど強くすることもまた稀であったのだ。そしてその存在をしばらく忘れていて、数カ月したときにその本が本棚にあるのを見て、ああ、まだ読んでいないなと思うのだった。それでよかったのだ。それを繰り返しつつ、10年以上も読まなかったのである。その時の心境は、まだ読んでいないからこれからじっくり読むことができる、これから楽しみがある、というものだったように思う。決して、つまらないものであろうとは思っておらず、全く逆の予感がしていたのである。それは、読書家と呼ばれる人には遠く及ばずとも、いろいろと本を読み漁ってきた者にはたらく独特の勘である。私とその本はそういう関係であった。後で分かったことだが、それは当たっていたようだ。私はそのことが分かる数年前に、自分でも不可解なことに、その本を古本屋に持っていって売ってしまっていた。読まないまま、真新しい本を古本屋に売るということも自分には生まれてこの方ないことだった。そして、あれだけ読むことを楽しみにしていたのに、そうしたことに対し何の後悔も持たなかったのである。
 先日、ふとその本を読みたいと思い、図書館へ行った折に読んでみたのである。8割がたざっとではあるが読んだ。内容は、期待に違わぬものだと思った。そして、正確に理解するには、深く何度でも読まねばならないかもしれない、と感じたことも予想通りだった。
 自分としては、不思議な読書体験の一つだったと思う。その薄めの、散文的な、固有名詞のほとんど出てこない一冊は、稀な本だったのだ。
 著者である、ジル・ドゥルーズ氏は、14年ほど前に自死したという。昨日知った。自死したことは知っていたが、それほど前のことだとは思っていなかったのである。
今年か去年あたりに新聞紙上などで話題になり彼をよく知る弟子や読者が評論などを載せたりしていた。気になったのでそれらの記事は読んだ。それで自死であったことを知ったのだが、それがいつ頃のことであったかは知らなかったのである。ずいぶん前に亡くなっていたわけだ。しかしなぜ、そのような結末を自ら選んだのだろう。純粋で歳をとっても少年のような目を失わなかった人だときく。肺病を患い、人工肺で生存していたらしく、アパートから投身自殺したそうだ。70歳。病を悲観したのだろうか。
 私個人にとってのことだが、何から何までが不思議で異質な読書体験を与えた一冊だった。


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絵ハガキと旅

2009-12-01 | アート

                

                                   
                                       drawing                     may2009

 旅先から、時々ではあるけれどハガキを出す。おそらくは旅に出てはいないであろう知人か、あるいは旅で知り合った人などに。旅の途上で、その旅で訪れた土産物屋に出すこともある。概して、怠けがちなのだが、そもそも強制されない気ままさが良いのだ。私は建築の設計が本業だが、上のdrawingは建築とは直接は関係がない。建築のためのdrawingとは違うのだが、描きたいから描いている。私が描いたものだ。単純に絵、である。気が向くと知人に送ったりするのだが、今回、旅先から送ったら宛先に行き当たらない、とのことで送り返されてきた。送った先は以前、事務所で働いてくれていた伊勢原市に住む若者である、というより以前は若者であった、私ともども。歳月はいつの間にか流れているのである。引っ越したのか、はたまた、何処かで倒れて病院にでもいるのか・・・。あるいは、たぶん、元気一杯なのだろう。よくあることだ。
 このdrawingは旅先で描いたものではなく、あらかじめ描いて用意して行ったものである。このような絵は旅先ではなかなか描けないもので、用意して持って行って、言ってみれば、旅先で絵ハガキでも買ってその場で送る、といった感覚に近いものだった。7月の初め、丁度梅雨の頃の旅で、青森の下北半島、恐山への旅の時の話である。他、数名に送った。
 旅先からの絵ハガキやメールなど、貰うと嬉しいものだ。特に、その地のリアルタイムの画像や文が、送り手と重なって書かれてあったりすると感激もひとしおである。
 ハガキやメールなど、送ったり受け取ったりするシチュエーションは様々である。

                      

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