お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

ヒエラルキーの崩壊⁉

2022-03-21 05:55:44 | 日記

ヒエラルキーの崩壊⁉

 

ヒエラルキーとは、ピラミッド形に上下に序列化された位階制の秩序や組織のことをいう。

現在では、軍隊や組織の官僚制的秩序をこう言うことが多い。

私も昨年までは、企業組織でヒエラルキー形態に属して長年生きてきた。

そして、その組織の一員として、何らかの糧を得て生きてきた。

しかし、ヒエラルキーが崩壊するってことは、自分自身、生活の糧を失うってことでもある。

ヒエラルキーが良いとか悪いとか、そんなことを言いたいわけではない。

今までは、ヒエラルキーから何らかの恩恵に浴していたので、少々の不満や理不尽さを我慢できた。

しかし、その恩恵にあずかれないとなったら、ヒエラルキーに属している意味もなくなる。

ヒエラルキーの崩壊は、自らの生き方を問われることである。

つまり、ヒエラルキーから、自立して「自分はどう生きるか」このことを問われることを意味する。

欧米や最近に若手起業家の組織に、よく見られるのは、文鎮型組織形態でトップ意外は全て横並びである。

正に、実力成果型組織形態と言える。

この形態の長短はいろいろ議論はあるが一つの組織体制として存在していることは事実である。

ヒエラルキーの崩壊と言われる大きな要因は、官僚制的秩序の弊害と、組織構造自体が持つ不平等性に

あると私は思っている。

※ ㊳ 2022/1/31 早朝の富士山です。


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人生は迷路のようなもの

2022-03-20 05:56:33 | 日記

人生は迷路のようなもの

 

迷路は、枝分かれした道の連続である。

どちらかの道は行き止まりで、どちらかの道がゴールにつながる道。

「どちらの道に進むのが正しいだろうか」と思いながら、進めるのが面白い。

迷路は、思考力と判断力が要求される頭脳ゲームと言える。

比較や想像をしながら進めるので頭を使う。

人生も同じようなものだと思う。

迷うとは、言い換えれば、よく考えるということ、迷う機会を通して成長する。

たとえば、進路に迷うとする。

Aという進路と、Bという進路がある。

2つの進路の詳細をよく調べ比較する必要がある。

未来を、予想したり、比較をしたり、配慮したりなどである。

迷うとは、頭を鍛えるトレーニングで、そして成長させる。

よく考えた上で、出した決断なら、きっと自分にとって正しい選択ができるはずである。

迷う機会を通して、考える力を身につけることで人生の迷路も面白いものと思えるだろう。
 
 
※ ㊲ 2022/2/26 夕方の富士山です。

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人間は一人で生きていくことはできない

2022-03-19 05:56:47 | 日記

人間は一人で生きていくことはできない

 

人間は生まれてから死ぬまで、成長と共に様々な環境の変化の中で生きている。

家族・友人知人・同僚・他人などの助けや支えを受けながら。

その程度は様々で、あるいは本人が知らない内に助けられていることもある。

他人から心配されていることもその一つである。

現役時代は、それが日常のように感じられ感謝しながら自分自身も逆の立場に立ったりして、お互いに切磋琢

磨して生き抜いている。

しかし退職し社会活動の歯車から離れるとその生活は一変してしまう。

自身を取り巻く人間関係が急に減少し、それ自体は当然のことと理解するしかない。

だからと言って、生活して行くうえには一人で生きていくのは難しい。

自分を取り巻く人達に、なんらかの形で支えられたり協力してくれることで生きていける。

今後益々、気力や体力が衰え、周囲の人に支えられて生きていくことに感謝しながら老いていく。

人間は死ぬまで一人では生きていけないと実感している今日この頃である。

 

※ ㊲ 2022/3/6 早朝の富士山です。


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生まれてきた理由がみつからないのは、そもそもそんなものはないからである

2022-03-18 06:04:53 | 日記

生まれてきた理由がみつからないのは、そもそもそんなものはないからである

 

昔、たまに「私は何のために生まれてきたのだろう?何か理由があるはずだ」と思ってた時がある。

「何かの使命を受けて成し遂げるために生まれてきたはず」と考えた時もあった。

しかし、いくら考え探しても、挙句の果てに両親に聞いたこともあったが、見つけることはできなかった。

そして気づいたのは、そもそも生まれてきた理由などはなく、見つかるはずもないということ。

もともと宝物がないのに、宝探しをしているようなものであった。

今思うと、馬鹿げた話である。

もしも、生まれた理由があれば、誰もが迷うことなく人生を苦労もせずに送ることができるはずである。

生まれた時に神様が「あなたはこのために生まれてきたのです。このために生きなさい」と教えてくれたら

迷わずその使命に邁進すればいい。

ある意味、つまらない人生とも言える。

生まれてきた理由を探しても見つからないのは、そもそもないからである。

だから、人生は迷ったり、苦しんだり、喜んだりして生きていく醍醐味があると思っている。

 

※ ㊱ 2022/2/9  早朝の富士山です。


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自分の名前は大きく書く

2022-03-17 04:47:37 | 日記

自分の名前は大きく書く

 

最近は、提出書類や登録等も殆どがネット上で処理で済むので自筆で名前を書くことが少なくなった。

私は字が下手くそなので助かっているが、時には書面に自筆で名前等を書く時がある。

もう何十年と書いている自分の名前だが、昔から変り映えのしないバランスの取りにくい名前である。

しかし、昔から共通してるのは大きく書くことである。

別に、意識的に大きく書いてる訳ではないが、自然と名前は大きくなる。

名前を書く字の大小によって隠された内面が透けて見えるような気がする。

自分の名前を書く時、小さな字で書く癖のある人もある。

名前が小さいと、なんとなく自分に自信がないようで、知らないうちに自分の存在感までが小さく感じるよう

な気がする。

不思議なもので、自信があるから名前が大きく書けるのではなく、名前を大きな字で書くから、自分に自信が

出てくると思う。

死ぬまで一生付き合い続け、最もよく目にする文字列が自分の名前である。

自分で書く名前に誇りを持つことは、自分に誇りを持つことである。

大きな字で名前を書く癖をつけると、自然と自分に自信がついてくるように思っているのだが。

 

※ ㉟  2022/2/26   朝の富士山です。


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