週刊文春を見たら野田聖子に関する記事があったが、またしてもわが目を疑った。
こちらに書かれているタイトルをご覧いただければわたしの驚きもうなづいていただけるかもしれません。
「野田聖子は県連幹部にも叱られフテ寝の日々」という記事はどうもさすがの週刊文春も野田聖子を批判せざるをえなくなったのか?と思わせるものであった。
週刊文春の選挙予測が全く外れたことに関してはすでにかなり批判されているし、いわゆる選挙妨害に関してもすでに佐藤ゆかり本人が法的処置をにおわせる発言をしていたと思うのだが、そうしたことと関係があるのだろうか???
また昨日は週刊文春が抱えていた他の長期間にわたる係争事項に関する和解のニュースも出た。
こちらの朝日のページをご覧ください。
これまでにもいくつか週刊文春は裁判に負けて、そのたびに小さな謝罪広告で切り抜けてきたと思うが、今回の和解では見開きカラー2ページにわたる掲載を年末までつづけるということだから、請求金額が莫大だったことに比べれば、これでつりあうのかどうかは分からないが、文春としてはかなり大規模な譲歩であろう。
佐藤ゆかりが週刊文春に対してこれから具体的にどのような対応をとるのかはまだ分からないが、今週号でも他の一年生議員らとともに大衆の耳目を引きそうだと文春が考えているらしい(当たり前か)記事が今週も出た。
しかし、これまでの週刊文春の記事と比べてみると明らかにその筆致は違っているように思ったのはわたしだけであろうか。
週刊文春は佐藤ゆかりに関してきわめて厳しい論評を下していたはずである。
全くいやみが抜けたわけではないが、それでも批判的トーンが今回はかなり薄まった印象がある。
私は週刊文春が佐藤ゆかりに対して行ったことに関しては今後司法の場で議論され、裁かれるべきものだとは思うが、もし週刊文春が自分たちがついこの間までやってきたことに関してきちんとした説明もなしに佐藤ゆかりに対する批判をやめて、今度は野田聖子批判を始めたら週刊誌とはいえこれまたひどい話だと思う。
さんざん小泉批判をしておきながら首班指名で小泉に入れたどこかの卑劣漢と同じ人間性しか持ち合わせていないことになるのではないか。
これと単純な比較はできないが、たしか10年ぐらい前にも林葉直子の告発をさんざん報道していながら、林葉が批判するのをやめたか何かで今度は文春が林葉に食ってかかったということが前にもあったと記憶する。
週刊文春に限らず何かの拍子に突然マスコミが論調を変えるということはよくあることで野村夫人も田中真紀子もそのような感じでバッシングされたと記憶する。
週刊文春も紙面で謝ってばかりいたら謝罪広告で紙面が埋め尽くされてしまう可能性もあるので、適当に批判をかわそうということか、あるいは週刊文春自体野田聖子のような無定見な政治家をそれとなくよいしょしていたらいい加減、自分たちまでおろかだと思われることに気づき始めたのか、耐え切れなくなったのか知らないが、いずれにせよ最近の週刊文春はひどすぎてお話にならない。
断わるまでもないが私は週刊文春が佐藤ゆかりバッシングを続けるべきだといっているのではない。
(追記:その点を誤解なきものにするため、22日午前一時半にタイトルを少し変えました。これでも誤解されるかもしれませんが、最後の「しょうね」を「しょうが」に変えました)
自分の持論に近い論調はマスコミであれ政治家であれ、それらしきものを見れば喜んだりはするが、何の説明なり釈明なりが全くなく方針転換した結果が自分の主張しているところと似たものになったと思えるようなものならひどく気分を害される話である。
自分たちの報道姿勢を自らかえりみることがないこの国の風潮が週刊文春に限らず実に歯がゆいということを言いたいので、ここで野田聖子について書き続けているのもそうした風潮に異を唱えるためにやっているつもりである。
文中敬称略