妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

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杉村泰蔵はともかく何で猪口邦子や石原宏高が東京の比例で上位だったのか分からない

2005-09-27 23:37:32 | マスコミ批判

杉村太蔵が記者会見を開いて自分の言動についてあやまっていた。

そのことがテレビのニュース番組でも大きく取り上げられているが、この国は平和だいうことの証拠のように思えてならない。

麻生総務大臣も似たようなことを言っていたようだが、この若者をストーカーのように追いまわしてそのまま放送していたテレビ朝日のワイド・スクランブルのほうがよほど問題ではないか。

もちろん自分はこの人の言動に問題がなかったとは思っていないし、もともと党が比例名簿を決めることの弊害はこの選挙制度を導入した段階からすでに火を見るより明らかで、この人よりも国会議員にふさわしい人が応募していた可能性もあるとも思う。

(ちなみにこの人のことよりも自分には比例東京ブロックで猪口邦子がたしか比例で一位になったり、石原宏高がこれまた上位だったことのほうが自分にはよほど解せない。この人たちが駄目だというのではなくて、なぜこの人たちが???という疑問は到底払拭できるものではないし、他の議員たちがそれで怒らなかったのがまったく不思議である)

しかし、この若い議員さんが無邪気に喜んでいくらお金がもらえるとか、3LDKの宿舎に住めるとかいって喜んでいたことをまたしても森喜朗が批判しているのを見るとこちらのほうが忸怩たる思いだ。

これまた派閥の総会での発言だったと思うが、マスコミもこの人の発言を求めて派閥の総会でカメラを回すのはいい加減やめたらどうなのか。


たしかに杉村の発言には問題もあるだろうが、これだけ国会議員になることができて欣喜雀躍としている姿というのはすがすがしいと自分には思える。

他の何百人もいる議員だって本当はすごくうれしいはずで喜びすぎて羽目をはずしている人だっていないとは限らないし、大体、あれだけテレビに出ていた野田聖子は最近カメラから逃げてるそうだが、ああいう議員こそ追いかけて、郵政民営化に賛成か反対かきいたらいいだろう。

まさか野田聖子に対する世間の批判をかわすためにこんなばかばかしい騒動をマスコミが作り上げているわけではないだろうが、いずれにせよこの馬鹿騒ぎはなんなのかとそれを見ている自分も情けなくなってくる。


以前中村敦夫が当選したとき、テレビで国会議員についてかなり辛らつな発言をしていたと記憶している。自分の年収をきかれて国会議員はその何分の一だなどといっていたのではなかったか。

そういう人と比べて杉村太蔵というのはまだ国会議員として好感が持てる。

もちろんこの人がどういう人なのか、何をやりたいのか、まだブログなどを見ただけではあまり分からない。


いずれにしても目を世界に転ずればドイツの選挙とかいろいろなことがもっとたくさん報道されてしかるべきだとは思うが、ようするに報道番組もたんなるワイド・ショーになってしまったということなのかもしれない。

                       文中敬称略


今日は観劇デー

2005-09-27 00:09:49 | つぶやき

今日は久しぶりに芝居を見た。

やっぱり目の前で見る芝居はいい。

映画とか、ドラマというのはすでに完成されたものを見るわけでそこに自分がいるかどうかは関係ないけれど、芝居というのは客の反応も役者に伝わるのではないかと思う。

映画などだとかなりの部分が事前に知らされた上で見ることになることが多く、実際には予告編が一番素晴らしい場面であったりすることもある。

現代の芝居というのもかなりの部分が決まったパターンのようになってしまっているとも思われるのだけれど、それを乗り越えた感動というのを今日見た芝居はもたらせてくれたように思う。

ちなみに10年ぶりの再演らしい。

自分は舞台のすぐそばの端の方にいたが、フィナーレ近くで横に座っている人たちの顔を見てみた。


テレビでよく見る芝居のみに集中した表情が並んでいた。

自分のようによそ見している人などいるはずはない。

もしかしたら芝居がもたらす感動というものは理性や感情よりも肉体的な快楽をもたらすたぐいのものであるのかもしれない。

今でも自分でも考えがまとまらないぐらいその場ではこころを動かされた


ここのところ非常に醜い政治家にかかずらわるたぐいのエントリーばかり書いてきてこちらまで心がにごってきそうであったが今日は心が洗われる思いであった。


むろん劇場を出ればそこは猥雑な大都会である。

以前から思っていることだが、劇場やコンサート会場から歩いて帰れるところにすんでみたいものである。

それもできれば田舎がいい。


ものすごくわがままなようだが、一度だけそのような思いをしたことはあって決して無理ではないと思う

もしかしたら、今日の喜びは、もう芝居に感動するようなことはないとなんとなく思っていた自分が、そんなことはないということを知ることができたよろこびかもしれない