山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

涸れきつた川を渡る

2004-11-04 12:32:36 | 文化・芸術
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防府にある「涸れきつた川を渡る」の句碑

-親友とは-

親友というものが極めて優位なものとして、特権的な価値あるものとして登場してくるのは、誰にとっても思春期の頃だろう。
いわゆる自我の確立期、言い換えれば親という存在を相対化してゆく頃。
私の場合を振り返れば、俗にいう母親離れ、母親に対しての相対化を自覚し始めたのは、小学校の6年生頃ではなかったかと記憶する。これにはそのきっかけとなる具体的な或る事件が存在するのだが、この事件については別の機会に譲るとして、今はこのことに触れないでおこう。
父親に対してのそれはもっと遅く、中3から高校時代にまで待たなければならなかったように思う。私たちの子ども時代や少年期は、父親という存在はかなり怖い存在だったし、単なる煙たい存在というものではなく、どこか畏怖する存在であり、畏敬の念を持たざるを得ない対象だったから、このような存在を相対化していく過程は、相応の時熟を必要とする。この怖い存在だった父親を相対化していく課程とちょうど逆方向に、親友を求める心性が増大してゆく。
このあたり、近頃の若い人たちとは相当開きがあるだろう。若い人といってもすでに70年代頃から大きく変化してきているように思うので、いわゆる団塊の世代以降の人たちには、もうその兆候があったのではないだろうか。
父親を畏怖すべき、怖い存在から、怖さが少々薄められ、単に煩い、煙たいとしかいいようのない存在へと、さらにそれも変化し、ただうっとうしい、ウザイ存在へとくれば、ひたすら現在の父親一般像に近いものになる。
このように父親像の時代の変容を捉えてくると、親友像もまた同じように時代の推移のなかで変化しているのだろうと考えざるを得ない。
私たちの過ごした思春期では、父親の相対化と共に、親友の登場が必然としてあり、そこにはかなりのっぴきならない事情があるのだ,と云う得るだろう。
ところが、50年ちかい歳月を経た現在では、思春期の初期において父親の存在は容易に相対化され、ウザイ存在に堕してしまっている。最近の小学生は4年生、5年生ともなると、多勢の友だちのなかから、ひとりふたりの親友を選別、差別化しようとする。これは私たちがかつて求めた親友なるものとはまるで異なるものだろう。
私たちにとって親友とは、求めて、されど決してとまでは云わぬが、求め得ないものだった、というのがもっとも真相に近いのではないだろうか、と私は思う。
親友とは、思春期の真っ只中、幻想の彼方にしか存在しなかった、と云えば大袈裟に過ぎるだろうか。

水を渡つて女買いにゆく

2004-11-04 12:23:45 | 文化・芸術
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山頭火のモノローグ

わしは気を紛らすためになんとはなしによく石を拾う。
そのついでに、白粉の空き瓶を拾った。
「クラブ美の素」というレッテルが貼ってある。
洗っても洗っても、ふくいくとしてにおう、
――なまめかしい、なやましい匂いだ、‥‥ 
夢精! ―― きまりわるいけれど事実だから仕方がない。


昭和七年、この年の性欲処理は六回だった。
内二回不能、外に夢精二回。呵、呵、呵、呵、――