シンコペーションを利かせてうどんを食べながら思った
何かの問題についての話し合いで、話のスジがおかしいとか、
そういった理屈のつつきあいは見ていて公正だと感じる。
一方、議論の対象にそもそも備わるコトから離れ、主張の根拠を「一流」とか「二流」とか、
範疇の違う「いわゆる事実」とやらに置こうとするのは、この上なく頭が悪そうだ。
言ってしまえば「だってボクん家のお父さんがそう言ったんだよ。お父さんエラいんだもん。」
といって話を締めるのと変わらない。
大の大人になってまで、こういった手合いに個人的に関わるのは、ゴメンこうむりたい。
この最後の「たい」が大事。
何かの問題についての話し合いで、話のスジがおかしいとか、
そういった理屈のつつきあいは見ていて公正だと感じる。
一方、議論の対象にそもそも備わるコトから離れ、主張の根拠を「一流」とか「二流」とか、
範疇の違う「いわゆる事実」とやらに置こうとするのは、この上なく頭が悪そうだ。
言ってしまえば「だってボクん家のお父さんがそう言ったんだよ。お父さんエラいんだもん。」
といって話を締めるのと変わらない。
大の大人になってまで、こういった手合いに個人的に関わるのは、ゴメンこうむりたい。
この最後の「たい」が大事。