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名も無きねこに

at 2005 01/23 20:38

2006-07-09 21:49:24 | わたし
不愉快な自分が不愉快

今日というか、昨日の晩からいろいろ小さいことが続いてイライラした。

試験に備え早めに寝ようと床についたまでは問題なかったが、
隣の敷地に建つ一軒家で飼っている犬がトチ狂って吼え始めた。
防音性?なにそれ?のコンセプトが主流であったであろう時代に建てられたところのわが部屋は、
外や階下の物音が筒抜けになっている。
朝なんかは小鳥のナチュラルさえずりサウンドで目覚められて快適だが、
夜中に数時間にわたって狂ったように吼えまくる隣家の犬には以前から悩まされている。

しかたないのでまとめなおしたドイツ語の文章を読んでいるうちに、
時計の針が午前一時を射した頃、犬も吼えやんだ。
では、と安心して眠りについたところ、三時間後の午前四時、また犬が吼え始めて目がさめた。
吼えやむまで待とうと布団の中でじっとしているうちに、午前五時半、
階下の老女の所から話し声が聞こえ始めた。
こうなるともうだめだ、連中を止めることはできない。

試験当日に出来ることなどほとんど無いし、必要もなく早く起きて体力を浪費するのも避けたいので、布団の中でじっとしつづける。
七時か八時ごろか、やっと眠りに落ちた。
眠りといっても深くなく、ときおり自分の寝言で目を覚ましてしまった。
目が覚めて、夢の中でまで借金の返済をいろいろ交渉している自分にブルーになった。

九時四十分、床から這出て窓のカーテンを引くと、鈍い光で照らされた鉛色の空が見えた。
雪にでもなりそうだ。
コーヒーとドーナッツで朝食をとり、メールをチェックする。
ドイツ語圏から二通。
一通は Blumenball の写真付き。まるで貴族のパーティのような光景。

返事は後に回し、身支度を整えて玄関をくぐったのが十一時半、
目指す会場まで一時間強で到着した。
会場となる大学のあるE駅は、十年程前、
某音大の研修に参加するため幾度か降り立ったことがある。
十年も経てば覚えていられることも限られる。
それでも駅の造りなんかは見覚えのあるものなんだなと感心した。

会場のM大で受け付け手続きをすると、到着時刻が早すぎるのでかなり待つことになると聞かされた。事実、面接試験の順番が回ってくるまで、その後三時過ぎまで二時間以上待つことになった。
受験者が最初に待機する教室は、収容人数100人ぐらいの結構な大きさの部屋だ。
わたしが到着した時点でほぼいっぱいになっていたが、
皆わたしより番号の若い受験者なので、しばらくしたあと他の部屋に誘導されていった。
実際の試験を行う教室は20部屋あり、それぞれの試験室ごとに二十人の受験者を割り当てているようだった。そのとおりなら、実に四百人の受験者がいたことになる。二級だけでだ。しかし二次試験の会場は全国で四箇所あるはずで、残り三箇所の会場に二百ないし三百人の受験者しか割り当てられていないというのは、数の上ではあってなさそうな印象を受ける。
まあ、そんなに重要なことでもないけど。

ひとまずプリントアウトして持参したドイツ語の文章をよみながら、まわりも見回してみた。
一次試験に比べ、圧倒的に若い受験者が多い。年寄りは皆ふるい落とされたと言うわけか。
ここに来てまでふるい落とされてなるかとドイツ語に集中しようとするが、自信があるのかやる気が無いのか、一部話をすることに夢中になっている連中がいて、また運悪くわたしのすぐ前に座っていたりするものだから、ここでもイライラした。

最初の組が連れて行かれてから四十分ほどで、わたしたちが呼ばれた。
隣の建物の二階に幾つも小教室があり、それぞれが試験室になっている。
試験直前に待機するのはそれぞれの部屋の前だが、
そこに呼ばれる前に、待合室Bの張り紙のあるゼミ室ぐらいの部屋に通された。

そこでもお喋りにいそしむのがいた。全体三十人の内、三四人だが。
こいつらは空気が読めないのか?と思いかなりイライラした。
話など聞きたくも無いが、嫌でも耳に入る。
留学がどうたらこうたらとかいかにも学生の話題だ。
そうですか、お父さんお母さんのお金でお勉強ですか、エライデスネ。
試験直前でも準備に集中したいと思っている人がまわりにいるとか、留学してもわかりませんか?
寝不足も手伝って相当イライラした。

同じ試験室の受験者がひとり来ていなかったので、繰上げで少し早めにわたしの番になった。

試験室にはドイツ人らしき女性と日本人と思われる男性の二人の試験官がいた。
座れといわれる前に席に座ってしまったわたしをみて、苦笑しながら女性が質問を始めた。
わたしの仕事や趣味、どうしてドイツ語を勉強しつづけているのかとか、そんな質問だ。
発話の方はかなりブロークンになってもなんとか言いたいことをいえたが、
向こうの質問を完全に理解できない。実際の会話の場面となると聞き取りが弱いことが判明した。
今から思うと、完全に勘違いして答えていたと思われる質問が一つ二つあった。
会話の流れを無視して喋っていただけじゃないか。
こんなことをやってしまうのは、非常にまずい。

二人の試験官とわたしの三人でときおり固まって気まずい空気が流れていた。
固まった空気を和ませようと、「ドイツ語を話す機会なんてあまりないでしょうけど、
会話はどうやって勉強しているんですか?」と男性試験官が尋ねた。
本当のことを言えば、十年前にもドイツ語で話していることが幾度かあったのだが、
時効扱いでいいだろう。実際その時身に付いたことなんて、何もなかったし。
勉強なんかできないです、ここで話すのが初めてですと返したら、よくそれだけ喋れるねと褒められた。
もっとまともに話せる受験者にはそんな話などしないんだろうなぁ。
そうこうするうちお時間となって、退散した。

教室を後にし、建物の外に通じる階段を降りた。
緊張の5分間がすぎ、肝臓辺りからなんかの汁が分泌されてそうな感じがした。

外に出てみると、雪が降り始めたところだった。

来たときとは違う昇降口から出たので、正門の方向がよく分からなかった。
雪の中あるきまわるのもいやだし、気疲れしていたので、
受験者らしき年配の男性をひっつかまえてどっちが出口なのか尋ねてみた。
いきなり話し掛けられたからなのか日本語で答えてくれない!
たどたどしいドイツ語と日本語が入り混じっている。
その男性も出口がどちらかはわからず、結局は会場の案内係の人に二人して聞くことになった。
こうして話し掛けたのも何かの縁なのでなどとはいわなかったものの、
方向も同じだから駅まで一緒にいこうということになった。
駅につくまでの少しの間だが、お互いまったく日本語を介さず、たどたどしいドイツ語で会話を続けた。
ドイツ語で話をすることなんて、ホントにめったに無いから、こうして話してみるととても楽しい。
いくら小難しい文法を知っていてムズカシイ論文なんか読めても、
実際にこうして言語を使う楽しさとはまた別物だ。
駅の近くに来た所で、最後に“Viel Grueckwuenschen!”、“Viel Erfolg!”といいながら
握手を交わして分かれた。

電車に乗ってから試験の出来のひどさが身にしみてきた。
あれじゃ全くダメだろう。

ブルーになっていたので、景気付けに某大型書店に立ち寄り、
前から買おうと思っていた露英/英露辞典を手に入れた。
値段と収録語異数で、Harper Collinsの“Russian Concise Dictionary second edition”を選んだ。
2000円もしないのに使いではありそうだ。もちろんロシア語をみっちりやればだが。

帰りの電車では『シーシュポス』を読みふけった。
過去何度か挑戦して、断念していたはずのこの本が、年齢か心境か、ツボにはまった。
不条理の発見でなく、その行き着く先を見ることが目的なんだと力説されて、
電車の中であるのも忘れ夢中になった。
今回は読み終えることが出来そうだけれど、それも仕事が忙しくなければだ。

明日からまた新しい仕事がはじまる。
仕事に慣れるまでしばらく読書を楽しむ心の余裕は無いかもしれない。

こうして無職生活最後の日が過ぎた。

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