ねこ絵描き岡田千夏のねこまんが、ねこイラスト、時々エッセイ
猫と千夏とエトセトラ
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今日のみゆちゃん(黒目)
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シックス・ストリング・サムライ

ネットの紹介文なんかを見ると、賛否両論ありながら、どちらも「馬鹿らしい映画」という評価である。その「馬鹿らしさ」が見た人の気に入るかどうかなのだけれど、ストーリーは馬鹿らしいといえば馬鹿らしい。ロシアの占領下に置かれたアメリカで、最後に残った唯一つの自由の砦がロスト・ベガス、そこで王として君臨していたエルビスが崩御し、全国から、新たな王の座を目指して、ギターを持ったつわものどもが集まるという話。
もちろん、私はこの馬鹿らしさが好きなのだけれど、この映画を語るのに、馬鹿らしいだけでは終わらない。映像が、恐ろしく美しいのである。
例えば、映画の始まり。背の高い秋の色の草むらに、綿毛のついた草の種が、鳥の羽毛のように舞って、山吹色の陽光を受けきらきらと光っている。そこに、主人公のバディが刀を頭の上に振りかざしながら飛び込んできて、光の舞う中、スローモーションで敵を次々と倒す。アクションでありながら、美しい絵を見るようなのである。
映画の一場面一場面が、シューレアリスムの要素を含んだ、一枚の美しい絵なのである。まっすぐ荒野に伸びていく道路の上を転がるタンブルウィード。錆びきった車のドアからこぼれ落ちる、カラフルなチューインガム。
そう考えてみると、SIX-STRING SAMURAIの透明な映像は、澄みきった秋の夜にはぴったりかもしれない。もう何度も見たけれど、最近はしばらく見ていないから、この秋、もう一度見てみたい。
(トラックバック練習板:テーマ「秋の夜におすすめの映画は?」)
シックス・ストリング・サムライ(DVD)
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寂光院の猫(本編)

焼け落ちた本堂は、今ではもうすっかり修復されている。あの雪の日から何年経ったか、今回は、まだ夏の名残ある太陽に照らされながら、だらだら坂を登った。歩くと汗が出るけれど、木陰に入って息をつけば、道の横を流れる清流の上を渡った風がひんやりと吹き通って、涼しい。
やがて、道の右手に、こぢんまりとした寂光院の入り口が現れた。受付を通って、木々の葉が緑のトンネルをつくる石段を登って行った。
山門をくぐると、静かな山寺である。それでいて重苦しい雰囲気はなく、境内は明るくて、ほっとするような場所であった。本堂の右手に、白い花が咲きこぼれるような百日紅が目を惹く。すぐ裏には山の木々がせまって、奥ゆかしい庭に荘厳な趣を添えている。
秋海棠は、石清水を引いた小川のほとりにあった。ピンク色の可愛らしい花が水辺に向うように咲いて、周りには小さなシジミチョウが舞っている。
本堂横の池に泳ぐ鯉を眺めていたら、池の向こうに一匹の猫が現れた。よく見ると紐でつながれていて、その紐の端っこは、猫の後ろに立っている紫色の作務衣を着たお寺のおばさんが握っている。
猫が動きを止め、なにやら少し上の辺りをじっと注視しはじめた。何を狙っているのだろうと思って見ていると、狙いを定めた猫がひょっと跳び上がったのと同時に、木賊のてっぺんから、赤トンボがすいと飛んだ。紐を持つおばさんが笑った。
そのあと、お寺のおばさんはしゃがんで庭の草取りを始め、猫は紐につながれたまま、木陰で長々と寝そべった。
家に帰って寂光院のホームページを見たら、猫を抱いて笑っている住職さんの写真が載っていた。猫の名前は、「福ちゃん」というそうである。
参考URL:http://www.jakkoin.jp/injyu.html(福ちゃんの写真があります)
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寂光院の猫(前書き)

寂光院へ行くのは、今回がはじめてである。寂光院に限らず、京都に生まれ育って住んでいるけれど、観光客が訪れるような京都の名所というところにはほとんど行ったことがない。前に大学の研究室に勤めていたとき、スウェーデンから来た学者さんの奥さんを観光に連れて行ってほしいというので一緒に行ったことがあるけれど(もちろん私は英語が喋れないので、英語のできる教授秘書のおまけとしてついて行った)、金閣寺にも竜安寺にも行ったことがないと言ったら、スウェーデン人の奥さんは「Really?」と目を丸くして驚いていた。ちなみに銀閣寺には行ったことがあるけれど、それも大学に入ってから、大阪出身の先輩に連れられて行った。
京都の外からわざわざ名所を訪ねてくる人にすれば、せっかく京都に住んでいるのにと思われるかもしれないけれど、いつでも行けるからと思っているからか、地元の名所には興味がないのか、京都の人が京都の観光地へ行かないというのは、それほど珍しいことではないようである。自分について言えば、京都でもよそでも、あまり名所というところには興味がない。
それがなんとなく思い立って、寂光院へ出かけていったのだけれど、前置きが長くなりすぎたので、本題はあした書こうと思います。
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ニセペンギン
2007年09月11日 / 鳥

ペンギンは、ゴイサギには知らん顔である。ゆうゆうとプールを泳ぎ、ときどき潜って、底に沈んだ魚の山から一匹取っては食べている。
目の前にごちそうの山があるというのに、ゴイサギは食べることができない。ペンギンと違って、ゴイサギは潜ることができないのである。だから、ただじっと待っている。
ときどき、プールの底から魚をくわえて浮上したペンギンが、うっかり魚を落としてしまうことがある。ゴイサギが狙っているのはそのときだ。すかさず大きな翼を広げて飛び上がり、水面近くに浮いた魚をひっさらう。魚を得たゴイサギは少し離れたところに降り立って、落ち着いてごちそうをいただく。
川の中にじっと突っ立って、すばやく泳ぎ回る魚たちをしとめるチャンスを忍耐強く待つよりは、動物園でペンギンのおこぼれを気長に待つほうが、きっと楽なのだろう。
ペンギンは飛べないから、ペンギン舎にはフェンスも屋根もついていない。お腹が膨れたら、とらわれの身の飛べないペンギンたちを尻目に、ゴイサギは翼を伸ばして自由な空へと飛んでいく。からだの自由はそのままに、動物園の餌だけを利用する、ゴイサギの贅沢気ままな生活である。
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ペンギンにお魚をあげよう!

ぜひとも、ペンギンに魚をあげてみたい。これは必ず10時に出かけていって、きっと整理券を手に入れようと前々から思っていたところが、都合が悪くなって、午前中には行けなくなった。
仕方がないので、半ばあきらめながら、12時ごろに動物園に行ったら、やっぱり、もう定員になったという張り紙が事務所の扉にしてあった。
参加はできないけれど、どんなものか見て行こうと思って、少し時間をつぶしてから、人だかりのしているペンギン舎のプールの前へ行った。
やがて、開催時刻になると、親子連れなど子供たちを中心とした参加者が、それぞれ魚の入った小さなバケツを手にプールサイドに出てきて並んだ。プールの中で泳ぐペンギンに魚を投げて与える。要領は、池の鯉に餌を投げ与えるのと同じだ。ペンギンたちは魚がもらえることを知っていて、翼で懸命に水をかいて頭をもたげながら、催促するようにプールサイドに寄ってきた。
十羽ほどのペンギンが、投げ入れられた魚を追って泳ぎ回った。飛ぶことはできないけれど、ペンギンたちはさすが泳ぎの名手だけあって、潜水はもちろん、ときには、あのよちよち歩きからは想像できないようなスピードで泳ぎ抜けて、イルカのようなジャンプも見せた。
そばの飼育係の人に、いったい何時頃に整理券はなくなってしまったのですかと聞いたら、親切な人で、飼育係のほうにはそういう情報は来ていないけれど、なんなら聞いてみましょうかとポケットから携帯電話を取り出したので、恐縮して、あとで自分で事務所に聞けば済むことだと思い、丁重に断った。それを横で見ていた人が教えてくれたのだけれど、整理券を求めて早くから行列ができ、9時45分頃には定員になってしまったらしい。たとえ10時に出かけていっていたところで、間に合わなかったわけである。
来月にも、同じイベントがある。また、次の土曜日には、ゾウにおやつをあげるイベントもある。今度こそ、朝早くに出かけていって、並ばなければならない。
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今日のみゆちゃん(オッサン顔)
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秋待ち猫
2007年09月07日 / 猫

みゆちゃんも、暑い夏のあいだはあまり活発に遊ばない。お気に入りの紐で遊んであげようと思って誘ってみても、紐をじっと見ているから飛び掛るのかと思いきや、その場でごろんと床の上に寝転んで、お腹をさすってくれと横に長々と伸びる。寝ている時間も長い。朝起きて、というか、人間と一緒に起こされて、しぶしぶ下に降りて庭を一回りすると、もう二階へ寝に戻っている。もっとも、その昼寝の場所が、窓を閉め切った南向きの部屋に置いてあるダンボール箱の中という、家の中で一番暑い場所であるから、みゆちゃんの感覚はちょっとわかない。
八月の最後の週は少し涼しかったから、活発に遊び出したみゆちゃんだけれど、今週になってまた残暑が厳しくなって、ふたたびやる気がなくなった。
夏の終わりは、寂しいような惜しいような気持ちになるけれど、終わりきれない夏みたいに残暑がだらだら続くのはすっきりしない。もう心は秋になっているから、夏の太陽はまた来年と潔くして、はやく涼風を吹かせて欲しい。
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