雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(147」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/245(2021/2/3/水】「アナログからデジタルへ」、1990年代からのデジタル革命は中共コロナ菌のように世界を席巻し、まるでデジタルパンデミックみたいだった。コロナとは逆に“感染しないと生きていけない”のだ。
デジタル革命に打撃を受けた業界はいっぱいある。生まれて初めてキーボードに接して呆然とし、仕事を変えたり廃業した会社、職能人もずいぶん多い。新聞業界もその一つで、大変革を迫られ、逝く人来る人、悲喜こもごもだった。小生は1975年から新聞制作にかかわってきたが、アナログ時代末期、即ちアナログ爛熟の最盛期の制作現場はこんな風だった。
1)記事は専用の原稿用紙(1行15字で10行)にそこそこ読める字で書く。(石原慎太郎の“悪筆”原稿を読める編集者や職人は数人しかいないという伝説があった。有名人の直筆原稿は骨董品業界などで高額で売買されるから、本来は返却すべきかも知れない。荷風は自筆の原稿や書が古書店で売られているのを見て「あいつの仕業だな」と人間不信を深めている。荷風の性格が歪んでいった?のも周囲の狡猾さへの嫌悪があったろう)
2)取材は対面が原則で必死でノートに書き取る(取材される側は気分が良くなるから口が軽くなり、裏話もしてくれたり。記者本人しか読めない字でもOKだが、自分でも読めないこともある。“言った、言わない”のトラブルの際の証拠にもなるから筆記は大事)。座談会も筆記で、テープレコーダーは予備として使う(再生に時間がかかるため、また録音失敗のリスクがあるため)。
3)止むを得ないとき以外は電話取材は避ける(間違いの元になりやすい)。
4)面割(レイアウト)は専用用紙に手書き(「倍尺」という専用定規と赤のサインペン使用、手が真っ赤になる)。
5)文字の大きさや書体などを指示した「アカを入れた」原稿と写真、面割を印刷所に届ける。(もうクタクタ、その後は飲み屋へ・・・1面と担当コラムは翌日に印刷所で焦りまくって仕上げることが多い)
6)1行15字の記事は女性のキーパンチャーが「鑽孔機(穿孔機)」に入力する。これは紙テープに穴をあける機械で、彼女らはガラスで囲まれた部屋に“保護”されて作業をしていた。
印刷業界では「記者は行儀が悪い」と思われていたのかもしれない。明治時代から記者、ブンヤは“羽織ゴロ”と呼ばれ、カネ、オンナ、サケ好きで始末が悪く、堅気とはみなされていなかったが、その見識がまだ残っていたため、お嬢様たちは保護、隔離されていたようだ。霞たなびく校正室からのタバコの煙害を防ぐためもあったろう。ちょっかい出すチャンスはなかったなあ。
7)この穴あきテープを「全自動モノタイプ」にかけると活字で15字に組まれたのがガチャガチャ音を立てて出てくるが、鉛合金を溶かしているので周辺は暑かった。「新聞博物館」(熊本日日新聞社)によると――
<全自動モノタイプ(NT‐H4型):穴の開いた鑽孔テープを読取装置に読み込ませると、文字コードによって所定の文字を選択し、母型が収納されている円筒状の母型シリンダが自動的に左右移動および回転を行い、所定の母型を鋳型にセット、活字が1本ずつ鋳造される。さらに、行間には自動的にインテル(仕切り)が詰められ、1分間に110文字の速度で、縦15字の活字を横一列に並べた棒組ができる仕組み>
8)飾り付きなどの罫線で四角に囲われた「箱組」は1行12字とか20字など変則なので「文選工」が左手に原稿と文選箱を持って、右手で棚から活字を拾っていく。
<文選は、原稿を読みながら約4000種類の活字が並べられた活字棚から活字を1本1本拾って、文選箱に納める作業で、昭和50年頃まで行われていた。ベテランになると1分間に40字ほど拾うことができた>
日本一を謳われた朝日新聞の“伝説の文選工”は1分間に120字を拾ったという。機械化で文選の仕事がなくなってから駐車場係になっていると聞いて、記者連中は「時代とは言え・・・」と淋しさを覚えたものだ。
9)レイアウト(面割)を見ながら新聞1ページを組み上げていく「大組み」には編集者(整理記者)も立ち会う。立ち会わなくてもいいのだが、少し記事が長過ぎた場合など左右が逆の組版を読みながら(慣れると読める)「ここで切りましょう」とか指示する。新聞記事は起承転結ではなく、大事な「結」が最初に書かれているから、後ろの方は切りやすい仕組みになっているのだ。先人の知恵。
大組みでは別の職人が作った「箱組」もセットされるが、「箱組」はちまちました作業で難易度が高く、ベテランが作っている。とても美しく、印刷が終わればばらされてしまうのがもったいないくらい。
10)全ページが組み終わると厚さ1ミリほどの写真版、飾りのついた見出し版、イラスト版、広告版、上部に「〇〇新聞 1975年2月3日 第○○号」などの「カンザシ」を置き、紙型(しけい)取りへ。
<紙型取り(ローリング)作業:大組みが終わると、組み上げた版の高さを丁寧にならす。その後、特殊な厚紙を当ててローリングで圧をかけると、組み版は雌型として厚紙に転写され、紙型ができ上がる>
凸版輪転機用の紙型はカマボコみたいな半円形で、20ページなら20個作り、そこから輪転機に装着する半円形の鉛版(えんばん)を作るが、溶かした鉛合金を流し込むので周囲はとても暑い。
<鉛版は活字組版から取った紙型に鉛合金を鋳込んで作られたが、1枚で18〜20Kgもあり、印刷作業は大変な重労働だった>
11)鉛版を地階の輪転機に取り付け、ゆっくりと試し印刷が始まる。職人が濃淡を調節したり、鏨(たがね)で鉛版の不要な箇所を削ったり、やがて輪転機がうなりを上げると全ページを束ねた二つ折りの新聞がベルトコンベアで運ばれていく。その刷り出しをチェックしてOKサインを出し、我々編集者の仕事は終わる。ズボンの後ろのポケットにインクの匂いのする刷り出しを押し込んで、「やったぜ、ベイビー、レッツゴー!」と飲み屋に直行するのだ。振り返れば夢のよう・・・
明治時代から始まった活字による凸版印刷は1980年頃にはコンピュータ利用の写植(写真植字)によるオフセット輪転印刷(オフ輪)にとって代わられるようになった。その写植も1990年前後からはワープロが普及し、さらにDTP(デスクトップパブリッシング、電子編集印刷システム)が発展していくに連れて斜陽になってしまった。
当時、印刷・出版・編集業界では各社それぞれがキヤノンのDTP「EZPS」やアップルの「マッキントッシュ(通称マック)」などテンデバラバラにいろいろなシステムを導入していたが、1995年あたりに印刷業界が一気に「マッキントッシュ(ソフトはクォークエクスプレス、フォトショップ、アドビイラストレータなど)」に決定(文字の縦組みが可能になったからだ)、周辺業界もその流れを追うことになった。
当初は一番普及しているマイクロソフトの「ウィンドウズ」と互換性がないと懸念されていたが、一般業務はウィンドウズ、デザイン系はマックと使い分けているのだろう。小生は2003年に胃がんで編集業から離れたから、その後のことは知らないが、今でも基本は変わっていないようだ。「プロ解説 デザイナーにおすすめのパソコンは?」から。
<デザイナーだとMacを使っている人が多いですが、これには歴史上の理由があります。Webがまだ普及しておらず、パソコンを使ってやるデザインがあまり一般的でなかったころ、印刷業界で使われていたソフトがMacだけに対応していたからです。
現在はMacでもWindowsでも制作ツールに大きな差はありませんし、好みで選んでOK。こだわりがなければMacがおすすめです。多くのデザイナーがMacということで、同じOSであれば、データの受け渡しのトラブルも少なく、コミュニケーションも取りやすいです>
小生の姪っ子は重症のアトピーで、自宅でMacによるデザインを生業にしているが、技術の進歩が多くの人に幸福をもたらすことになるのはいいことだ。しかし、一方で先述した「文選工」のように時代から“お役御免”になってしまうという不運も生んでしまう。明治の文明開化で駕籠かきは人力車に駆逐され、人力車は電車や自動車に駆逐されてしまったように。
プレハブ時代になって腕のいい大工が「日当1万4000円、バカ臭くてやってられない」と嘆いていたそうだが、昔は一つの技術を身につければ30年は食えた。今は技術革新が激しいから常に最新式に後れを取らないようにしないと食っていけない、淘汰される。金槌はコンプレッサ式になり、今はそれが充電式になった、来年はどうなるかも分からない。技術の進歩は「振り返れば死屍累々」でもあるだろう。
産業革命の起爆剤となったワットの蒸気機関や、エジソンの電話、電球の発明などは、矢継ぎ早になされたものではない。ワットは弟子が高圧蒸気を利用した蒸気機関車の開発を進めると「安全性」の見地から禁止したという。時にはブレーキが必要なのだ。
革新的なテクノロジーは諸刃の剣であり、そういう発明が「自由」の名のもとに矢継ぎ早に市場に放出される・・・果たしてこれはモラルなのか、文明なのか。
新技術の開発や、それを奨励したり普及させることがプラスではなく、想定外のマイナスを生むことは珍しくない。放射能と放射線元素を発見したキュリー夫妻は、それが医療に有効だとは思っていただろうが、その研究が40年後に核兵器となり、広島14万人(関連死を含めて32万人)、長崎7万人(重軽傷者8万人)の無差別大量虐殺になるとは全く想定外だったろう。
一瞬で敵を消滅する兵器を発明する→ 一瞬で敵を消滅する兵器を上回る兵器を発明する→ 一瞬で敵を消滅する兵器を上回る兵器をさらに上回る兵器を発明する・・・人間はそれくらい凶暴になりうる動物だから、革新的なテクノロジーは商業化に当たっては識者による「社会に与える影響評価」をガイドラインにするとか、何らかの対策が必要ではないか。
ノーベル賞のノーベル一族は家業が「爆発物製造」のようだった。父は機雷発明で富豪になり、ノーベルは不安定なニトログリセリンをより安全に扱いやすくしたダイナマイトを1863年に発明し、スウェーデン政府には認められたものの軍には「危険すぎる」という理由で採用を拒まれたという。
スウェーデン軍の危惧は1864年9月、弟と5人の助手が死亡、ノーベル本人も怪我を負うという爆発事故で証明されてしまい、工場はストックホルムから追放されたが、危険が予想される技術には政府などの監視、指導がないと暴走しかねないという怖さがある。
GAFAは中共並みに言論統制や国民管理を進めているようだが、まるでオーウェルの「1984」(初版1949年)そっくり。我々国民の多くは穏やかに暮らしたいのであって、目まぐるしいほどの技術革新を求めてはいないだろう。
重要事項はいっぱいあるだろうが、優先事項を決めて取り組むのが為政者の仕事である。まずは国防強化、次いで経済の安定、中共コロナ対策だろう。分かっているのかどうか・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/245(2021/2/3/水】「アナログからデジタルへ」、1990年代からのデジタル革命は中共コロナ菌のように世界を席巻し、まるでデジタルパンデミックみたいだった。コロナとは逆に“感染しないと生きていけない”のだ。
デジタル革命に打撃を受けた業界はいっぱいある。生まれて初めてキーボードに接して呆然とし、仕事を変えたり廃業した会社、職能人もずいぶん多い。新聞業界もその一つで、大変革を迫られ、逝く人来る人、悲喜こもごもだった。小生は1975年から新聞制作にかかわってきたが、アナログ時代末期、即ちアナログ爛熟の最盛期の制作現場はこんな風だった。
1)記事は専用の原稿用紙(1行15字で10行)にそこそこ読める字で書く。(石原慎太郎の“悪筆”原稿を読める編集者や職人は数人しかいないという伝説があった。有名人の直筆原稿は骨董品業界などで高額で売買されるから、本来は返却すべきかも知れない。荷風は自筆の原稿や書が古書店で売られているのを見て「あいつの仕業だな」と人間不信を深めている。荷風の性格が歪んでいった?のも周囲の狡猾さへの嫌悪があったろう)
2)取材は対面が原則で必死でノートに書き取る(取材される側は気分が良くなるから口が軽くなり、裏話もしてくれたり。記者本人しか読めない字でもOKだが、自分でも読めないこともある。“言った、言わない”のトラブルの際の証拠にもなるから筆記は大事)。座談会も筆記で、テープレコーダーは予備として使う(再生に時間がかかるため、また録音失敗のリスクがあるため)。
3)止むを得ないとき以外は電話取材は避ける(間違いの元になりやすい)。
4)面割(レイアウト)は専用用紙に手書き(「倍尺」という専用定規と赤のサインペン使用、手が真っ赤になる)。
5)文字の大きさや書体などを指示した「アカを入れた」原稿と写真、面割を印刷所に届ける。(もうクタクタ、その後は飲み屋へ・・・1面と担当コラムは翌日に印刷所で焦りまくって仕上げることが多い)
6)1行15字の記事は女性のキーパンチャーが「鑽孔機(穿孔機)」に入力する。これは紙テープに穴をあける機械で、彼女らはガラスで囲まれた部屋に“保護”されて作業をしていた。
印刷業界では「記者は行儀が悪い」と思われていたのかもしれない。明治時代から記者、ブンヤは“羽織ゴロ”と呼ばれ、カネ、オンナ、サケ好きで始末が悪く、堅気とはみなされていなかったが、その見識がまだ残っていたため、お嬢様たちは保護、隔離されていたようだ。霞たなびく校正室からのタバコの煙害を防ぐためもあったろう。ちょっかい出すチャンスはなかったなあ。
7)この穴あきテープを「全自動モノタイプ」にかけると活字で15字に組まれたのがガチャガチャ音を立てて出てくるが、鉛合金を溶かしているので周辺は暑かった。「新聞博物館」(熊本日日新聞社)によると――
<全自動モノタイプ(NT‐H4型):穴の開いた鑽孔テープを読取装置に読み込ませると、文字コードによって所定の文字を選択し、母型が収納されている円筒状の母型シリンダが自動的に左右移動および回転を行い、所定の母型を鋳型にセット、活字が1本ずつ鋳造される。さらに、行間には自動的にインテル(仕切り)が詰められ、1分間に110文字の速度で、縦15字の活字を横一列に並べた棒組ができる仕組み>
8)飾り付きなどの罫線で四角に囲われた「箱組」は1行12字とか20字など変則なので「文選工」が左手に原稿と文選箱を持って、右手で棚から活字を拾っていく。
<文選は、原稿を読みながら約4000種類の活字が並べられた活字棚から活字を1本1本拾って、文選箱に納める作業で、昭和50年頃まで行われていた。ベテランになると1分間に40字ほど拾うことができた>
日本一を謳われた朝日新聞の“伝説の文選工”は1分間に120字を拾ったという。機械化で文選の仕事がなくなってから駐車場係になっていると聞いて、記者連中は「時代とは言え・・・」と淋しさを覚えたものだ。
9)レイアウト(面割)を見ながら新聞1ページを組み上げていく「大組み」には編集者(整理記者)も立ち会う。立ち会わなくてもいいのだが、少し記事が長過ぎた場合など左右が逆の組版を読みながら(慣れると読める)「ここで切りましょう」とか指示する。新聞記事は起承転結ではなく、大事な「結」が最初に書かれているから、後ろの方は切りやすい仕組みになっているのだ。先人の知恵。
大組みでは別の職人が作った「箱組」もセットされるが、「箱組」はちまちました作業で難易度が高く、ベテランが作っている。とても美しく、印刷が終わればばらされてしまうのがもったいないくらい。
10)全ページが組み終わると厚さ1ミリほどの写真版、飾りのついた見出し版、イラスト版、広告版、上部に「〇〇新聞 1975年2月3日 第○○号」などの「カンザシ」を置き、紙型(しけい)取りへ。
<紙型取り(ローリング)作業:大組みが終わると、組み上げた版の高さを丁寧にならす。その後、特殊な厚紙を当ててローリングで圧をかけると、組み版は雌型として厚紙に転写され、紙型ができ上がる>
凸版輪転機用の紙型はカマボコみたいな半円形で、20ページなら20個作り、そこから輪転機に装着する半円形の鉛版(えんばん)を作るが、溶かした鉛合金を流し込むので周囲はとても暑い。
<鉛版は活字組版から取った紙型に鉛合金を鋳込んで作られたが、1枚で18〜20Kgもあり、印刷作業は大変な重労働だった>
11)鉛版を地階の輪転機に取り付け、ゆっくりと試し印刷が始まる。職人が濃淡を調節したり、鏨(たがね)で鉛版の不要な箇所を削ったり、やがて輪転機がうなりを上げると全ページを束ねた二つ折りの新聞がベルトコンベアで運ばれていく。その刷り出しをチェックしてOKサインを出し、我々編集者の仕事は終わる。ズボンの後ろのポケットにインクの匂いのする刷り出しを押し込んで、「やったぜ、ベイビー、レッツゴー!」と飲み屋に直行するのだ。振り返れば夢のよう・・・
明治時代から始まった活字による凸版印刷は1980年頃にはコンピュータ利用の写植(写真植字)によるオフセット輪転印刷(オフ輪)にとって代わられるようになった。その写植も1990年前後からはワープロが普及し、さらにDTP(デスクトップパブリッシング、電子編集印刷システム)が発展していくに連れて斜陽になってしまった。
当時、印刷・出版・編集業界では各社それぞれがキヤノンのDTP「EZPS」やアップルの「マッキントッシュ(通称マック)」などテンデバラバラにいろいろなシステムを導入していたが、1995年あたりに印刷業界が一気に「マッキントッシュ(ソフトはクォークエクスプレス、フォトショップ、アドビイラストレータなど)」に決定(文字の縦組みが可能になったからだ)、周辺業界もその流れを追うことになった。
当初は一番普及しているマイクロソフトの「ウィンドウズ」と互換性がないと懸念されていたが、一般業務はウィンドウズ、デザイン系はマックと使い分けているのだろう。小生は2003年に胃がんで編集業から離れたから、その後のことは知らないが、今でも基本は変わっていないようだ。「プロ解説 デザイナーにおすすめのパソコンは?」から。
<デザイナーだとMacを使っている人が多いですが、これには歴史上の理由があります。Webがまだ普及しておらず、パソコンを使ってやるデザインがあまり一般的でなかったころ、印刷業界で使われていたソフトがMacだけに対応していたからです。
現在はMacでもWindowsでも制作ツールに大きな差はありませんし、好みで選んでOK。こだわりがなければMacがおすすめです。多くのデザイナーがMacということで、同じOSであれば、データの受け渡しのトラブルも少なく、コミュニケーションも取りやすいです>
小生の姪っ子は重症のアトピーで、自宅でMacによるデザインを生業にしているが、技術の進歩が多くの人に幸福をもたらすことになるのはいいことだ。しかし、一方で先述した「文選工」のように時代から“お役御免”になってしまうという不運も生んでしまう。明治の文明開化で駕籠かきは人力車に駆逐され、人力車は電車や自動車に駆逐されてしまったように。
プレハブ時代になって腕のいい大工が「日当1万4000円、バカ臭くてやってられない」と嘆いていたそうだが、昔は一つの技術を身につければ30年は食えた。今は技術革新が激しいから常に最新式に後れを取らないようにしないと食っていけない、淘汰される。金槌はコンプレッサ式になり、今はそれが充電式になった、来年はどうなるかも分からない。技術の進歩は「振り返れば死屍累々」でもあるだろう。
産業革命の起爆剤となったワットの蒸気機関や、エジソンの電話、電球の発明などは、矢継ぎ早になされたものではない。ワットは弟子が高圧蒸気を利用した蒸気機関車の開発を進めると「安全性」の見地から禁止したという。時にはブレーキが必要なのだ。
革新的なテクノロジーは諸刃の剣であり、そういう発明が「自由」の名のもとに矢継ぎ早に市場に放出される・・・果たしてこれはモラルなのか、文明なのか。
新技術の開発や、それを奨励したり普及させることがプラスではなく、想定外のマイナスを生むことは珍しくない。放射能と放射線元素を発見したキュリー夫妻は、それが医療に有効だとは思っていただろうが、その研究が40年後に核兵器となり、広島14万人(関連死を含めて32万人)、長崎7万人(重軽傷者8万人)の無差別大量虐殺になるとは全く想定外だったろう。
一瞬で敵を消滅する兵器を発明する→ 一瞬で敵を消滅する兵器を上回る兵器を発明する→ 一瞬で敵を消滅する兵器を上回る兵器をさらに上回る兵器を発明する・・・人間はそれくらい凶暴になりうる動物だから、革新的なテクノロジーは商業化に当たっては識者による「社会に与える影響評価」をガイドラインにするとか、何らかの対策が必要ではないか。
ノーベル賞のノーベル一族は家業が「爆発物製造」のようだった。父は機雷発明で富豪になり、ノーベルは不安定なニトログリセリンをより安全に扱いやすくしたダイナマイトを1863年に発明し、スウェーデン政府には認められたものの軍には「危険すぎる」という理由で採用を拒まれたという。
スウェーデン軍の危惧は1864年9月、弟と5人の助手が死亡、ノーベル本人も怪我を負うという爆発事故で証明されてしまい、工場はストックホルムから追放されたが、危険が予想される技術には政府などの監視、指導がないと暴走しかねないという怖さがある。
GAFAは中共並みに言論統制や国民管理を進めているようだが、まるでオーウェルの「1984」(初版1949年)そっくり。我々国民の多くは穏やかに暮らしたいのであって、目まぐるしいほどの技術革新を求めてはいないだろう。
重要事項はいっぱいあるだろうが、優先事項を決めて取り組むのが為政者の仕事である。まずは国防強化、次いで経済の安定、中共コロナ対策だろう。分かっているのかどうか・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp