雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(156」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/255(2021/2/18/木】13日/土の23時過ぎに起きた地震は、小生の人生では10年前の3.11東北大震災・大津波に次ぐ“驚愕規模”で、ガラス製のオブジェが落ちて壊れただけで済んだが、「嗚呼、地震大国だなあ」と感動と諦観が入り混じった気分だった。続いて15日/月は13時頃から土砂降りの大雨、あれよあれよという間に屋上に水がたまり、慌てて枯葉で詰まった排水口を掃除した。
快晴の16日は「あれだけ雨が降ったのだから、いつもはチョロチョロの谷川はずいぶん水量が増して見映えがいいんじゃないかなあ」と森林公園に見に行ったら、考えることは皆同じなのか、いつもよりヂヂババが多かった。アンタも好きねぇー・・・
木々が葉を落とした今はカメラ、望遠鏡を持ったバードウォッチングのグループも多い。人間ウォッチングの方が面白いと思うが野暮は言いっこなしだな。若葉も芽吹き始め、「春の訪れを知らせる花」リュウキンカは“冬の沈黙を破り”黄色の花を咲かせていた。
谷川の水で池が潤って鴨が楽しそうに遊んでいたが、湿地帯にはガマかと思うほど大きなウシガエル5匹ほどがのんびり遊んでいた。しゃがみこんで観察していたらずーっと動かない奴がいる。奴は小生を観察しているのか。ジーっと見ていたら目が4つある、アッ、NHKの好きな「恋の季節!」、繁殖中というか生殖の真っ最中だったのだ。失礼しました、と言いながら見ていたが、1分たっても終わらない。シツコイ・・・お、お、昔の俺よりすごい・・・クソッ。
<ウシガエルは、東京帝大教授・動物学者の渡瀬庄三郎が、食用として米国(ルイジアナ州ニューオリンズ)から輸入した17匹が、1918年前後に横浜港に到着したのが初移入である。農商務省(のちに農林省)は窮乏する農村に副業として養殖を奨励したが、投機目的の養殖が1923年から1930年頃までは行われたものの、日本ではカエルを食用とする習慣は定着しなかった。
1932年に冷凍肉の対米輸出が始まり、1940年には165トンと戦前のピークに達したものの太平洋戦争で途絶え、大半の養殖場は閉鎖された。
敗戦直後の日本ではドルを稼げる数少ない輸出品として、1947年に対米輸出が再開。閉鎖された養殖場から逃げて繁殖していたウシガエルの漁が盛んに行われ、1949年には水産庁が資源保護のため捕獲制限を通達するほどだった。
1969年には輸出量が967.7トンと最高に達したものの、シアトルで日本産カエル肉から農薬が検出されて翌年に禁輸措置が採られ貿易量が激減。1989年には大蔵省の輸出統計資料からウシガエルの項目が削除され、捕獲対象にならなくなったウシガエルが繁殖するようになった>(WIKI)
ウーン、日本は貧しかったなあ。文明開化をしたものの外貨稼ぎは緑茶、米、銅、生糸、木蝋、椎茸、樟脳、昆布、煎海鼠(いりこ)、寒天の第一次産品、やがてマッチ、陶磁器、漆器、竹器、扇子、花莚(はなむしろ)、洋傘、ガラス器、紙製品、麦稈真田(ばっかんさなだ、麦わら帽子などの素材)、菜種油。日清戦争でどうにか力をつけて綿織糸、綿布、ブラシ、珊瑚、タオル、清酒、ボタン、玩具・・・
典型的な発展途上国型で、出稼ぎ娼妓の“唐行(からゆき)さん”やカエルも頑張って、ユダヤ人などから借金しながらどうにか最新の武器、軍艦も買い、日露戦争に勝ち、列強入りしたのだ。
独立戦争や南北戦争でアジア進出に出遅れた米国にとって、急速に国力をつけて来た日本はずいぶん癪に障る存在だったろう。「日本を蒸気船で脅して開国させたのは俺だぜ、本来は俺の植民地になるはずが一人前の面しやがって、ジョンブルにそそのかされて縄張り広げて偉そうに! クソ、面白くねえ、そのうち痛い目に遭わせてやる!」
大いに痛い目に遭わせて撫子ジャパンを妾にしたが、いつの間にか米国の象徴的産業である自動車産業まで蚕食し始めた。何をやっても裏目に出るのが米国流?
「ジャップに核兵器を持たせたら続・大東亜共栄圏を始めかねないぜ、と言って俺が中共とWinWin、ニャンニャンになればEUからもコケにされるし・・・ウォールストリートジャーナルは『バイデン政権のスタートは、希望に満ちているとはとても言えないものになった。同政権は発足から1カ月足らずで、民主党員の多くが期待したかもしれない状況とは違って、米国の同盟諸国がバイデン大統領の2月4日の「米国が(世界の舞台に)戻ってきた」との発言を、それほど歓迎していないことも分かってきた』だと。
Trap-Trump 作戦は上手くいったんだが・・・今さら孤立主義を選べるはずはないし、毒を食らわば皿まで、って中共になびくわけにもいかないし、日本に核武装をさせたら怖いし・・・ああ、俺はどうしたらいいんだ・・・」
悩めるアンクル・サム(Uncle Sam)、ま、プーチンと組んで東西から中共を包囲するくらいはできるか。トランプを罠にはめて、米国は墓穴を掘ったのだ。何をやっても裏目に出るのが米国流。
小生の米国民主党への不信感は募るばかりで、今は嫌悪感、そのうち憎悪レベルに成長しそうだ。彼らは一流の才人を装うゴロツキ、悪党、マフィアである。そう、インテリヤクザ。善人面したマムシ、疫病神、クラスターと心得た方がいい。民主党≒アカに騙されるとひどい目に遭うから避けるべし。米国生まれで日米両国で育った恒吉僚子・東大教授著「人間形成の日米比較」から。
<アメリカ人は自己主張が強い、闘争的だという意見をよく耳にする。日本人はとかくそうした主張を「アメリカは個人主義の国だから」と一言で済ましてしまいがちであるように思う。それは「自立した個人が望ましい」というだけではなく、人々の行動を規定する多様な社会の仕組みによる。ギフテッド(天賦の才を活かす意。最低IQ140以上という難関の超英才優遇エリート教育)もそのひとつだ。
担当官が挙げた選考判断は、語彙の豊富さ、頭の回転の速さ、観察力や分析力の鋭さ、創造性のある返答、快活さ、旺盛な好奇心、発達した批判精神、自信がある言動、リーダー的素質などである。
活発で、利発で、言語能力に優れ、積極的、これが優秀な「良きアメリカ人」像だ。
特別だと判断された人間が、特別扱いされる仕組みの中にあっては、自分がいかに優れているかを宣伝し、人に認めさせることが必要になってくる。つまり、上手に自己宣伝する技、「自己顕示術」が必要になってくるのである。自信と統率力を見せつける、“なにがしからしく”ポーズをつくる。
謙遜を美徳とする(日本のような)社会においては、若輩者が偉そうにしているのは反感を買うだけかもしれないが、能力の不平等を信じる社会においては、優れた潜在能力の指標と思われるような「自信ある振る舞い」は歓迎される。
能ある鷹は爪を隠さず、それをより魅力的に、より大きく見せなくてはならないわけである。そうしている内に、人々の期待を受け、特別扱いをされ、実力をつけ、本当に爪は大きくなっていくかもしれない。それが能力のある人間のイメージだ。
調子に乗り過ぎると、本当はその爪が大して大きくもなく、伸びそうもないことがばれてしまうかもしれないが・・・(今の民主党みたい)
「アメリカ人は自信ありげに振舞う傾向がある」とはアメリカを訪れた日本人がしばしば口にすることであるが、実際に彼らが日本人以上に自信があるかというと、これは別問題であろう。日本人が自信があっても謙遜する傾向があるように、アメリカ人は自信がなくても力を誇示しようとする傾向があるように思う。
自信ありげに見えるアメリカ人の内面を覗いてみると、「自分は他人に宣伝しているほど強い人間ではないかもしれない、それを人が発見するかも知れない」という不安感を持っていたりする。
学校では、子供がギフテッド(対象)児童かどうかをテストして欲しいという要請は随時、教師のみならず本人と親もできる。小さい子供に関しては、親が子どもの権利を主張することになる。しかし(要請しなければならないというシステムは)ある種の人々には大変不利である。例えば、学校経験の思い出が苦く、教育をあまり受けていない親の場合、教師に注文を付けるのは抵抗があるかもしれない。
だが、こうした理由で遠慮していると損をするのがアメリカ社会の常。それを自覚し、子を思うならば、親はやはり主張せざるを得ないのである。教育カウンセラーが親に向けたアドバイスを引用しておこう。
「私が親だったら、子供のために戦って、戦って、戦い抜きます。それしか道はないのですから」
これは一個人の意見に過ぎない。しかし、こうした言葉の片鱗にも、アメリカ的個人主義と、そうせざるを得ないシステムとに思いを巡らすことになる>
何かずいぶん疲れる感じだが、米国のエリートは「俺は正しい、俺は善人だ、俺の言葉に従え、俺を尊敬しろ」、これが処世術のようだ。イソップ童話にあった、カエルが牛の大きさになろうした末にお腹をパンクさせちゃう話。「カエルは"カエル"で本来の身の丈なのに、それに満足せず、欲を出した結末の悲劇と教訓。自分には謙虚でいたいものです」とはMs.Violinistのコメント。
米国は謙虚を美徳とする国柄ではなく、自己主張がないと無視、軽視されるようだ。目立つために努力するのは勝手だが、「我にも正義、彼にも正義、この世は正義と正義のぶつかり合い」、言論には言論で正々堂々と戦え、汚い手を使えば退場だ、というルールはない。嫌な相手ならあの手この手で言論封殺するわけだ。
民主党≒アカはポリティカル・コレクトネスと称して言葉狩りを進めている。父、母、息子、娘、兄弟、姉妹、叔父、叔母、いとこ、甥、姪、夫、妻、義父、義母、義理の息子、義理の娘、義理の兄弟、義理の姉妹、継父、継母、継娘、異母兄弟、異母姉妹、孫、孫娘も“差別用語”だという。
「お前らバカか、頭狂ってんじゃね、まるで中共の文革、逝って良し!」と言ったらポリコレ違反で速攻で射殺だな。「シーチン死すとも罵声は止まず、後に続く者あるを信ず!」。その内、色気、スマート、デブ、金持ち、貧乏人、白人、黒人、イエローまでも差別用語だとして禁止になり、政治家は「カネ・票で動く人=カネ票人」と言い換えたり。美男美女は「差別主義者」として鼻を削がれたり。
トム・ニコルズ米海軍大学校教授(国家安全保障問題)「さようなら、国際主義のアメリカ――なぜリベラルな国際主義は破綻したのか」フォーリンアフェアーズ2017年4月号から。
<専門家は、自分たちが民主社会に仕える身であることを常に忘れてはならない。しかし、民主社会の主人である市民も国の運営に関与し続けるのに必要な美徳・良識を身に付ける必要がある。
専門知識をもたない市民は専門家なしでは事をなし得ないのだから、エリートへの憎しみを捨ててこの現実を受け入れる必要がある。同様に専門家も市民の声を相手にしないのではなく、それに耳を傾け、自分たちのアドバイスが常に取り入れられるとは限らないことを受け入れなければならない。
現状では、システムを一つに束ねてきた専門家と市民の絆が危険なまでに揺るがされている。そのような環境では、民主主義の終わりを含む、あらゆるものが現実となっても不思議はない>
美徳、良識、知性、教養を無くしたような狡猾な人々・・・ま、民主党と中共は余命数年か。見届けたいものだ。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/255(2021/2/18/木】13日/土の23時過ぎに起きた地震は、小生の人生では10年前の3.11東北大震災・大津波に次ぐ“驚愕規模”で、ガラス製のオブジェが落ちて壊れただけで済んだが、「嗚呼、地震大国だなあ」と感動と諦観が入り混じった気分だった。続いて15日/月は13時頃から土砂降りの大雨、あれよあれよという間に屋上に水がたまり、慌てて枯葉で詰まった排水口を掃除した。
快晴の16日は「あれだけ雨が降ったのだから、いつもはチョロチョロの谷川はずいぶん水量が増して見映えがいいんじゃないかなあ」と森林公園に見に行ったら、考えることは皆同じなのか、いつもよりヂヂババが多かった。アンタも好きねぇー・・・
木々が葉を落とした今はカメラ、望遠鏡を持ったバードウォッチングのグループも多い。人間ウォッチングの方が面白いと思うが野暮は言いっこなしだな。若葉も芽吹き始め、「春の訪れを知らせる花」リュウキンカは“冬の沈黙を破り”黄色の花を咲かせていた。
谷川の水で池が潤って鴨が楽しそうに遊んでいたが、湿地帯にはガマかと思うほど大きなウシガエル5匹ほどがのんびり遊んでいた。しゃがみこんで観察していたらずーっと動かない奴がいる。奴は小生を観察しているのか。ジーっと見ていたら目が4つある、アッ、NHKの好きな「恋の季節!」、繁殖中というか生殖の真っ最中だったのだ。失礼しました、と言いながら見ていたが、1分たっても終わらない。シツコイ・・・お、お、昔の俺よりすごい・・・クソッ。
<ウシガエルは、東京帝大教授・動物学者の渡瀬庄三郎が、食用として米国(ルイジアナ州ニューオリンズ)から輸入した17匹が、1918年前後に横浜港に到着したのが初移入である。農商務省(のちに農林省)は窮乏する農村に副業として養殖を奨励したが、投機目的の養殖が1923年から1930年頃までは行われたものの、日本ではカエルを食用とする習慣は定着しなかった。
1932年に冷凍肉の対米輸出が始まり、1940年には165トンと戦前のピークに達したものの太平洋戦争で途絶え、大半の養殖場は閉鎖された。
敗戦直後の日本ではドルを稼げる数少ない輸出品として、1947年に対米輸出が再開。閉鎖された養殖場から逃げて繁殖していたウシガエルの漁が盛んに行われ、1949年には水産庁が資源保護のため捕獲制限を通達するほどだった。
1969年には輸出量が967.7トンと最高に達したものの、シアトルで日本産カエル肉から農薬が検出されて翌年に禁輸措置が採られ貿易量が激減。1989年には大蔵省の輸出統計資料からウシガエルの項目が削除され、捕獲対象にならなくなったウシガエルが繁殖するようになった>(WIKI)
ウーン、日本は貧しかったなあ。文明開化をしたものの外貨稼ぎは緑茶、米、銅、生糸、木蝋、椎茸、樟脳、昆布、煎海鼠(いりこ)、寒天の第一次産品、やがてマッチ、陶磁器、漆器、竹器、扇子、花莚(はなむしろ)、洋傘、ガラス器、紙製品、麦稈真田(ばっかんさなだ、麦わら帽子などの素材)、菜種油。日清戦争でどうにか力をつけて綿織糸、綿布、ブラシ、珊瑚、タオル、清酒、ボタン、玩具・・・
典型的な発展途上国型で、出稼ぎ娼妓の“唐行(からゆき)さん”やカエルも頑張って、ユダヤ人などから借金しながらどうにか最新の武器、軍艦も買い、日露戦争に勝ち、列強入りしたのだ。
独立戦争や南北戦争でアジア進出に出遅れた米国にとって、急速に国力をつけて来た日本はずいぶん癪に障る存在だったろう。「日本を蒸気船で脅して開国させたのは俺だぜ、本来は俺の植民地になるはずが一人前の面しやがって、ジョンブルにそそのかされて縄張り広げて偉そうに! クソ、面白くねえ、そのうち痛い目に遭わせてやる!」
大いに痛い目に遭わせて撫子ジャパンを妾にしたが、いつの間にか米国の象徴的産業である自動車産業まで蚕食し始めた。何をやっても裏目に出るのが米国流?
「ジャップに核兵器を持たせたら続・大東亜共栄圏を始めかねないぜ、と言って俺が中共とWinWin、ニャンニャンになればEUからもコケにされるし・・・ウォールストリートジャーナルは『バイデン政権のスタートは、希望に満ちているとはとても言えないものになった。同政権は発足から1カ月足らずで、民主党員の多くが期待したかもしれない状況とは違って、米国の同盟諸国がバイデン大統領の2月4日の「米国が(世界の舞台に)戻ってきた」との発言を、それほど歓迎していないことも分かってきた』だと。
Trap-Trump 作戦は上手くいったんだが・・・今さら孤立主義を選べるはずはないし、毒を食らわば皿まで、って中共になびくわけにもいかないし、日本に核武装をさせたら怖いし・・・ああ、俺はどうしたらいいんだ・・・」
悩めるアンクル・サム(Uncle Sam)、ま、プーチンと組んで東西から中共を包囲するくらいはできるか。トランプを罠にはめて、米国は墓穴を掘ったのだ。何をやっても裏目に出るのが米国流。
小生の米国民主党への不信感は募るばかりで、今は嫌悪感、そのうち憎悪レベルに成長しそうだ。彼らは一流の才人を装うゴロツキ、悪党、マフィアである。そう、インテリヤクザ。善人面したマムシ、疫病神、クラスターと心得た方がいい。民主党≒アカに騙されるとひどい目に遭うから避けるべし。米国生まれで日米両国で育った恒吉僚子・東大教授著「人間形成の日米比較」から。
<アメリカ人は自己主張が強い、闘争的だという意見をよく耳にする。日本人はとかくそうした主張を「アメリカは個人主義の国だから」と一言で済ましてしまいがちであるように思う。それは「自立した個人が望ましい」というだけではなく、人々の行動を規定する多様な社会の仕組みによる。ギフテッド(天賦の才を活かす意。最低IQ140以上という難関の超英才優遇エリート教育)もそのひとつだ。
担当官が挙げた選考判断は、語彙の豊富さ、頭の回転の速さ、観察力や分析力の鋭さ、創造性のある返答、快活さ、旺盛な好奇心、発達した批判精神、自信がある言動、リーダー的素質などである。
活発で、利発で、言語能力に優れ、積極的、これが優秀な「良きアメリカ人」像だ。
特別だと判断された人間が、特別扱いされる仕組みの中にあっては、自分がいかに優れているかを宣伝し、人に認めさせることが必要になってくる。つまり、上手に自己宣伝する技、「自己顕示術」が必要になってくるのである。自信と統率力を見せつける、“なにがしからしく”ポーズをつくる。
謙遜を美徳とする(日本のような)社会においては、若輩者が偉そうにしているのは反感を買うだけかもしれないが、能力の不平等を信じる社会においては、優れた潜在能力の指標と思われるような「自信ある振る舞い」は歓迎される。
能ある鷹は爪を隠さず、それをより魅力的に、より大きく見せなくてはならないわけである。そうしている内に、人々の期待を受け、特別扱いをされ、実力をつけ、本当に爪は大きくなっていくかもしれない。それが能力のある人間のイメージだ。
調子に乗り過ぎると、本当はその爪が大して大きくもなく、伸びそうもないことがばれてしまうかもしれないが・・・(今の民主党みたい)
「アメリカ人は自信ありげに振舞う傾向がある」とはアメリカを訪れた日本人がしばしば口にすることであるが、実際に彼らが日本人以上に自信があるかというと、これは別問題であろう。日本人が自信があっても謙遜する傾向があるように、アメリカ人は自信がなくても力を誇示しようとする傾向があるように思う。
自信ありげに見えるアメリカ人の内面を覗いてみると、「自分は他人に宣伝しているほど強い人間ではないかもしれない、それを人が発見するかも知れない」という不安感を持っていたりする。
学校では、子供がギフテッド(対象)児童かどうかをテストして欲しいという要請は随時、教師のみならず本人と親もできる。小さい子供に関しては、親が子どもの権利を主張することになる。しかし(要請しなければならないというシステムは)ある種の人々には大変不利である。例えば、学校経験の思い出が苦く、教育をあまり受けていない親の場合、教師に注文を付けるのは抵抗があるかもしれない。
だが、こうした理由で遠慮していると損をするのがアメリカ社会の常。それを自覚し、子を思うならば、親はやはり主張せざるを得ないのである。教育カウンセラーが親に向けたアドバイスを引用しておこう。
「私が親だったら、子供のために戦って、戦って、戦い抜きます。それしか道はないのですから」
これは一個人の意見に過ぎない。しかし、こうした言葉の片鱗にも、アメリカ的個人主義と、そうせざるを得ないシステムとに思いを巡らすことになる>
何かずいぶん疲れる感じだが、米国のエリートは「俺は正しい、俺は善人だ、俺の言葉に従え、俺を尊敬しろ」、これが処世術のようだ。イソップ童話にあった、カエルが牛の大きさになろうした末にお腹をパンクさせちゃう話。「カエルは"カエル"で本来の身の丈なのに、それに満足せず、欲を出した結末の悲劇と教訓。自分には謙虚でいたいものです」とはMs.Violinistのコメント。
米国は謙虚を美徳とする国柄ではなく、自己主張がないと無視、軽視されるようだ。目立つために努力するのは勝手だが、「我にも正義、彼にも正義、この世は正義と正義のぶつかり合い」、言論には言論で正々堂々と戦え、汚い手を使えば退場だ、というルールはない。嫌な相手ならあの手この手で言論封殺するわけだ。
民主党≒アカはポリティカル・コレクトネスと称して言葉狩りを進めている。父、母、息子、娘、兄弟、姉妹、叔父、叔母、いとこ、甥、姪、夫、妻、義父、義母、義理の息子、義理の娘、義理の兄弟、義理の姉妹、継父、継母、継娘、異母兄弟、異母姉妹、孫、孫娘も“差別用語”だという。
「お前らバカか、頭狂ってんじゃね、まるで中共の文革、逝って良し!」と言ったらポリコレ違反で速攻で射殺だな。「シーチン死すとも罵声は止まず、後に続く者あるを信ず!」。その内、色気、スマート、デブ、金持ち、貧乏人、白人、黒人、イエローまでも差別用語だとして禁止になり、政治家は「カネ・票で動く人=カネ票人」と言い換えたり。美男美女は「差別主義者」として鼻を削がれたり。
トム・ニコルズ米海軍大学校教授(国家安全保障問題)「さようなら、国際主義のアメリカ――なぜリベラルな国際主義は破綻したのか」フォーリンアフェアーズ2017年4月号から。
<専門家は、自分たちが民主社会に仕える身であることを常に忘れてはならない。しかし、民主社会の主人である市民も国の運営に関与し続けるのに必要な美徳・良識を身に付ける必要がある。
専門知識をもたない市民は専門家なしでは事をなし得ないのだから、エリートへの憎しみを捨ててこの現実を受け入れる必要がある。同様に専門家も市民の声を相手にしないのではなく、それに耳を傾け、自分たちのアドバイスが常に取り入れられるとは限らないことを受け入れなければならない。
現状では、システムを一つに束ねてきた専門家と市民の絆が危険なまでに揺るがされている。そのような環境では、民主主義の終わりを含む、あらゆるものが現実となっても不思議はない>
美徳、良識、知性、教養を無くしたような狡猾な人々・・・ま、民主党と中共は余命数年か。見届けたいものだ。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp