雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(157」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/256(2021/2/19/金】小生はキチ〇イで措置入院歴があるから、どんな事件を起こしても「全然覚えていません」で押し通せば心神耗弱、心神喪失で不起訴になる可能性が高いだろう。特権階級である。が、このキチ〇イ優遇制度は廃止すべきだと思っている。記憶があろうがなかろうが「やったことに対して償え」という厳罰主義だ。
一般犯罪は、例えば「喧嘩して殴ったら死んじゃった」というのか情状酌量すべきだが、目的意識的に殺意をもった殺人は基本的に死刑判決が確定したら速攻で処刑すべきだ。いつ処刑されるか分からないという不安で死刑囚をいたぶるような遅延策は残酷(東京拘置所精神科医官を務めた作家の加賀乙彦著「死刑囚の記録」、加賀は死刑反対論者)かつ税金の無駄。ごく稀に無実の人がいるだろうが、天はきっと彼を癒すに違いない。そう思うしかない。
裁判は被害者とその家族にすこぶる冷たい。それとは裏腹に犯罪者、容疑者をまるで可哀そうなストレイシープのように扱っている。何十年も裁判を続け、被害者と家族に辛い思いをさせている。これがモラルか。
死刑を免れた懲役囚はどんな仕事をしているのか。簡単な木工製品(折り畳み式の椅子やテーブル、木箱、まな板、積み木)など安物が多い。一枚板の重厚な家具もあるが、これは値段は張るし、安くておしゃれな集成材を使った北欧産などと比べると“ちょっとなー”の感じ。
小生の名付け親である教育者の伯父は犯罪者の更生保護にも尽力していたが、守秘義務から何も話は聞けなかった。上記のような付加価値の低い職能では更生はとても難しいだろう。
4万人もの受刑者の中には優秀な脳ミソ、潜在能力を持っている人もいるはずだ。彼らをハイテク技術者に育て、ICT開発など機密な職業に当たらせたらどうか。外部から完全に閉鎖されている刑務所は恰好の機密ラボになる。自信をつけ、それなりの人材になれば刑を減免し、社会復帰も容易になるのではないか。
<元・刑務官の坂本敏夫も1965年(昭和40年)頃、受刑者が一般の工場で働く構外作業が廃止されたことを例に挙げ、「責任回避のために事故を起こさないことが刑務官の目標となり、受刑者は技術を身につけることができず、社会復帰ができなくなった」と指摘している>(WIKI)
「事故を起こさない」というのは大事だが、それが「社会復帰を阻害→再犯率増加」と裏目に出ている面がある。前科者の小生はたまたま世間の情けで堅気になれたが、塀の中の4万人も教導次第では有用な人材になると信じたい。チャンスを与えよ。
米国民主党≒アカは100年前のレーニンそっくりだなあ、と思う。LGBT保護など良かれと思ってやったことが「全部裏目に出る」というのは凄まじい。民主党≒アカは「自分が正義だ、最先端だ」とうぬぼれて過去を学ばないから「モスクワをLGBTの世界の都」にしたレーニンの轍を踏んでいることに気付きもしない。そう言えば姪っ子が小さい頃、舌足らずでよく歌っていた。
♪あなたを知ったその日から 恋の奴隷になりました 右と言われりゃ右向いて とても幸せ あなた好みの あなた好みの 女になりたい
銭ゲバ民主党は恋の奴隷じゃなくてカネの奴隷だな。“私は正義”病膏肓、インチキゲンチャーは民主党と一緒に墓穴に堕ちる。一般社団法人・世界戦略総合研究所「レーニン主義の大失敗に学ぶ『LGBTの人権差別禁止条例』がもたらす危機」2020-6-3から。
<1917年、ロシアの共産革命によって政権を掌握したレーニンを中心とする共産党/革命政府は多くの抵抗に遭遇した。その原因は家族、学校、教会にあると考え、革命を成功させる為、家族の絆を弱め、教会を破壊し、学校を革命の担い手に変えようとした。
レーニンは家族(制度)を「旧秩序の要塞・伝統文化の砦」とし、以下のような攻撃を行なった。
1)従来、法律婚の要件とされていた教会での結婚式を不要とし、役所での登録だけで婚姻の効力が生ずるものとした。
2)離婚の要件を緩和し、当事者合意の場合はもちろん、一方の請求だけでも裁判所はこれを認めることとした。
3)犯罪であった近親相姦、重婚、姦通を刑法から削除した。
4)堕胎は国立病院で認定された医師の所へ行けば可能となり、医師は希望者には中絶手術に応じなければならないことになった。
5)子供たちは、親の権威よりも共産主義のほうが重要であり、親が反動的態度に出たときは共産主義精神で弾劾せよ、と教えられた。
7)1926年には、「非登録婚」も「登録婚」と法的に変わらないとする新法が制定された。
◆家族破壊政策によって何が起きたか:1934年頃になると、それが社会の安定と国家の防衛を脅かすものと認識され始めた。すなわち、
1)堕胎と離婚の濫用(1934年の離婚率は37%)の結果、出生率が急減した。それは共産主義国家にとって労働力と兵力の確保を脅かすものとなった。
2)家族、親子関係が弱まった結果、少年非行が急増した。1935年には、ソ連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋まった。彼らは勤労者の住居に侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺戮した。汽車のなかで猥襲な歌を歌い続け、終わるまで乗客を降ろさなかった。学校は授業をさぼった生徒たちに包囲され、先生は殴られ、女性たちは襲われた。
3)「性の自由化と女性の解放」という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活がドン・ファン(プレイボーイ、女たらしの代名詞)に破壊され、何百万の子どもたちが、両親の揃った家庭を知らないことになった。
◆スターリンのゆりもどし政策:1934年には、ソ連国家はこのような混乱の対策に精力を消耗することに耐えられなくなった。それは戦争に直面している国の、国力を破壊するものであった。
これを是正するためには、「社会の柱(Pillar of society) 」である家族を再強化する以外に方法はなかった。かくしてスターリン政府は次のような措置をとった。
1)「結婚」の意義が再評価された。それは生涯の結合であって人生の「最も厳粛な行事」であると教えられるようになった。家庭の強化は共産主義の基本的モラルの一つとされた。「離婚は性的快楽のための権利ではない」として、1935年には、結婚した翌日に離婚した男が強姦罪で起訴された。
2)離婚の制限を強化した。1935年には離婚歴が戸籍に登録され、女性が男の30人目の妻となるようなケースを防止できるようにした。離婚費用も3ルーブルだったのが1回目50ルーブル、2回目100ルーブル、3回目150ルーブルに引き上げられた。この結果、たとえばウクライナの離婚件数は、1936年には前年の3分の1に減少した。
1944年には離婚はすべて裁判所の決定を要するとする法律が制定された。十分な理由の立証が必要なうえに、離婚費用が2000ルーブルに引き上げられたから、ソ連は世界で最も離婚の難しい国になった。
3)この法律は、さらに1926年に導入された非登録婚の制度を廃止した。登録婚だけが合法となり、嫡出子と非嫡出子の「ブルジョア的差別」も復活した。婚外子とその母は扶助料も受けられなくなった。
4)堕胎の自由もなくなった。1935年から反中絶キャンペーンが始まり、それがいかに母体に悪影響を及ぼすかを医学者たちがPRした。1936年には1920年の法律が改正され、母体の生命と健康に危険のある場合及び重大な遺伝上の問題がある場合を除いて人工中絶が禁止された。出産が奨励され、6人以上の多子家庭には特別手当が支給された。
5)親に対する反抗の奨励も修正された。親の権威が強調され、1935年には、「親に対する尊敬と孝行は青年共産主義者同盟(コムソモール)の道徳の核心をなすものである」と新聞に報道された。
スターリンも1935年10月、自らチフリスに住む老母を訪ね、母親に対する愛情と尊敬を示し、模範例として称揚された。
このように、レーニン革命時の「家族制度崩壊政策による大惨事の歴史」を学んだ結果が、現在のロシアに大いに教訓として刻まれているとみれます。東京オリンピックを性解放、家族制度崩壊に政治利用する勢力から、この国を守らなければならないのではないでしょうか>
アカは性解放、家族制度崩壊どころか世界中を共産主義独裁にしたいのだ。世界の破壊! 完全に邪教だ。
電通の作と言われる「戦略十訓」は経済と自社の発展のための消費煽り策として「きっかけを投じろ、気安く買わせろ、混乱をつくり出せ、流行遅れにさせろ、捨てさせろ」を掲げた。
一方で巷ではそれに反発し「嫌儲十訓」として「余計に使うな、簡単に買うな、捨てるな、無駄使いするな、贈り物はするな、流行は無視しろ 」と嗤った。
銭ゲバやアカに洗脳されると「平等に憑かれた人々」が跋扈し、未曽有の荒廃をもたらす。フランスは血を血で洗う悲惨な数十年を過ごす羽目になった。性差による役割分担を「女性蔑視」と非難するのが流行ると、まるで競うようにして「そうだ、そうだ、女性蔑視は許さない!」と叫びだす。クチパク病、「平等に憑かれた人々」の群・・・やがてレーニンのロシアのように国体は崩れていく。
そういう危惧を抱く人々は多いだろう、と思いながら産経2.11号を見たら、もうビックリ。このままでは部数減を止められない、女の歓心を買わなければという危機感からか、それとも社内で不運をかこっていたリベラル≒アカ勢力の逆襲か、「女性蔑視は許さない!」と一斉にわめき始めたよう。自己保身で叫んだり黙ったり・・・醜い、愚か、「だからインテリはダメなんだ!」と罵倒した角栄は米国に殺されたという説は研究に値する。
小生の尊敬する桑原聡氏(産経文化部)の連載「モンテーニュとの対話/95 平等という名の全体主義」から。氏は何となく老人性鬱で自殺をしかねないみたいだから、敵を自信をもってロックオンし、反転攻勢した方がいいですよ、元気が出ますよとアドバイスします。
<現代の常識に沿うように自分の価値観を修正できる器用な人もいるが、公職にもなく権力も持たない私などは、腹の中はどうなんだ、疲れないのかしらん、とゲスの勘繰りをしてしまう。なんだか世界全体が無理しているようだ・・・
何よりも気がかりなのは、この世界が「平等」を神にいただく全体主義に傾きつつあるように感じられることだ。民主主義の定着した先進国において「差別を許さない」と叫べば、大半の敵を撃破することができる。
森さんの発言に抗議する(姿から)不寛容な全体主義の足音が聞こえてこないだろうか。誤解を恐れずに言えば、「平等」を過度に追求すれば、その先にあるのは共産主義だろう。
ひさしぶりにモンテーニュに登場してもらおう。《人が新しい論拠をもって私を追い詰めるとき、私の方ではこう考える。「私は今それに返答ができないけれども、やがて誰かがそれに答えてくれるであろう」と。まったく、我々が言い破ることのできないすべての真らしいことを信ずるのは、あまりにおめでた過ぎる》
現代の常識では「急進的平等主義」とカネこそが「真」なのかもしれない。だが、この世界に絶対などない。時間がたてばそれが「誤り」になる可能性はいくらでもある。だからこそ社会改革は、伝統を踏まえながら、すなわち古い価値観を持った人間の意見を「老害」と排除することなく、しっかりと受け止めながら、ゆっくり進めてゆく以外に道はないはずだ。
森さん叩きに興じる人々は、あまりにおめでた過ぎる。そして危険だ>
モンテーニュは汚濁に満ちた世間、政界に愛想をつかして故郷に逼塞、持病との格闘もあって心身ともに疲れ果て、苦しさから自殺も随分考えたようだ。やがて諦観を脱したのか、人間、世間への観察に大いに興味を持ったのか、ジグザグするうちに「人間学」のような本「随想録」になった。初版は1580年、400年以上前だが、人間の「本質」を語っているために古さを全く感じさせない。
人間は基本的に「体験して教訓にする」から、動物同様にご先祖様の蓄積された知恵や教訓、理性が子孫にあまり伝わらない。「女や男に気をつけろ、一時的な感情ではなく理性的に見て判断しろ」という大変大事なことでもほとんど継承されていない。だからこそ「娯楽系読書よりも教学(教養・学問)系読書が大事」と小生は思っているのだが、自分の子供にさえそれを伝えられていない。
かくして戦争は続くのだろうが、これから始まるのは内戦と外戦が入り混じる「アカ対シロ」の最終戦争になるかもしれない。まったくややこしい時代である。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/256(2021/2/19/金】小生はキチ〇イで措置入院歴があるから、どんな事件を起こしても「全然覚えていません」で押し通せば心神耗弱、心神喪失で不起訴になる可能性が高いだろう。特権階級である。が、このキチ〇イ優遇制度は廃止すべきだと思っている。記憶があろうがなかろうが「やったことに対して償え」という厳罰主義だ。
一般犯罪は、例えば「喧嘩して殴ったら死んじゃった」というのか情状酌量すべきだが、目的意識的に殺意をもった殺人は基本的に死刑判決が確定したら速攻で処刑すべきだ。いつ処刑されるか分からないという不安で死刑囚をいたぶるような遅延策は残酷(東京拘置所精神科医官を務めた作家の加賀乙彦著「死刑囚の記録」、加賀は死刑反対論者)かつ税金の無駄。ごく稀に無実の人がいるだろうが、天はきっと彼を癒すに違いない。そう思うしかない。
裁判は被害者とその家族にすこぶる冷たい。それとは裏腹に犯罪者、容疑者をまるで可哀そうなストレイシープのように扱っている。何十年も裁判を続け、被害者と家族に辛い思いをさせている。これがモラルか。
死刑を免れた懲役囚はどんな仕事をしているのか。簡単な木工製品(折り畳み式の椅子やテーブル、木箱、まな板、積み木)など安物が多い。一枚板の重厚な家具もあるが、これは値段は張るし、安くておしゃれな集成材を使った北欧産などと比べると“ちょっとなー”の感じ。
小生の名付け親である教育者の伯父は犯罪者の更生保護にも尽力していたが、守秘義務から何も話は聞けなかった。上記のような付加価値の低い職能では更生はとても難しいだろう。
4万人もの受刑者の中には優秀な脳ミソ、潜在能力を持っている人もいるはずだ。彼らをハイテク技術者に育て、ICT開発など機密な職業に当たらせたらどうか。外部から完全に閉鎖されている刑務所は恰好の機密ラボになる。自信をつけ、それなりの人材になれば刑を減免し、社会復帰も容易になるのではないか。
<元・刑務官の坂本敏夫も1965年(昭和40年)頃、受刑者が一般の工場で働く構外作業が廃止されたことを例に挙げ、「責任回避のために事故を起こさないことが刑務官の目標となり、受刑者は技術を身につけることができず、社会復帰ができなくなった」と指摘している>(WIKI)
「事故を起こさない」というのは大事だが、それが「社会復帰を阻害→再犯率増加」と裏目に出ている面がある。前科者の小生はたまたま世間の情けで堅気になれたが、塀の中の4万人も教導次第では有用な人材になると信じたい。チャンスを与えよ。
米国民主党≒アカは100年前のレーニンそっくりだなあ、と思う。LGBT保護など良かれと思ってやったことが「全部裏目に出る」というのは凄まじい。民主党≒アカは「自分が正義だ、最先端だ」とうぬぼれて過去を学ばないから「モスクワをLGBTの世界の都」にしたレーニンの轍を踏んでいることに気付きもしない。そう言えば姪っ子が小さい頃、舌足らずでよく歌っていた。
♪あなたを知ったその日から 恋の奴隷になりました 右と言われりゃ右向いて とても幸せ あなた好みの あなた好みの 女になりたい
銭ゲバ民主党は恋の奴隷じゃなくてカネの奴隷だな。“私は正義”病膏肓、インチキゲンチャーは民主党と一緒に墓穴に堕ちる。一般社団法人・世界戦略総合研究所「レーニン主義の大失敗に学ぶ『LGBTの人権差別禁止条例』がもたらす危機」2020-6-3から。
<1917年、ロシアの共産革命によって政権を掌握したレーニンを中心とする共産党/革命政府は多くの抵抗に遭遇した。その原因は家族、学校、教会にあると考え、革命を成功させる為、家族の絆を弱め、教会を破壊し、学校を革命の担い手に変えようとした。
レーニンは家族(制度)を「旧秩序の要塞・伝統文化の砦」とし、以下のような攻撃を行なった。
1)従来、法律婚の要件とされていた教会での結婚式を不要とし、役所での登録だけで婚姻の効力が生ずるものとした。
2)離婚の要件を緩和し、当事者合意の場合はもちろん、一方の請求だけでも裁判所はこれを認めることとした。
3)犯罪であった近親相姦、重婚、姦通を刑法から削除した。
4)堕胎は国立病院で認定された医師の所へ行けば可能となり、医師は希望者には中絶手術に応じなければならないことになった。
5)子供たちは、親の権威よりも共産主義のほうが重要であり、親が反動的態度に出たときは共産主義精神で弾劾せよ、と教えられた。
7)1926年には、「非登録婚」も「登録婚」と法的に変わらないとする新法が制定された。
◆家族破壊政策によって何が起きたか:1934年頃になると、それが社会の安定と国家の防衛を脅かすものと認識され始めた。すなわち、
1)堕胎と離婚の濫用(1934年の離婚率は37%)の結果、出生率が急減した。それは共産主義国家にとって労働力と兵力の確保を脅かすものとなった。
2)家族、親子関係が弱まった結果、少年非行が急増した。1935年には、ソ連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋まった。彼らは勤労者の住居に侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺戮した。汽車のなかで猥襲な歌を歌い続け、終わるまで乗客を降ろさなかった。学校は授業をさぼった生徒たちに包囲され、先生は殴られ、女性たちは襲われた。
3)「性の自由化と女性の解放」という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活がドン・ファン(プレイボーイ、女たらしの代名詞)に破壊され、何百万の子どもたちが、両親の揃った家庭を知らないことになった。
◆スターリンのゆりもどし政策:1934年には、ソ連国家はこのような混乱の対策に精力を消耗することに耐えられなくなった。それは戦争に直面している国の、国力を破壊するものであった。
これを是正するためには、「社会の柱(Pillar of society) 」である家族を再強化する以外に方法はなかった。かくしてスターリン政府は次のような措置をとった。
1)「結婚」の意義が再評価された。それは生涯の結合であって人生の「最も厳粛な行事」であると教えられるようになった。家庭の強化は共産主義の基本的モラルの一つとされた。「離婚は性的快楽のための権利ではない」として、1935年には、結婚した翌日に離婚した男が強姦罪で起訴された。
2)離婚の制限を強化した。1935年には離婚歴が戸籍に登録され、女性が男の30人目の妻となるようなケースを防止できるようにした。離婚費用も3ルーブルだったのが1回目50ルーブル、2回目100ルーブル、3回目150ルーブルに引き上げられた。この結果、たとえばウクライナの離婚件数は、1936年には前年の3分の1に減少した。
1944年には離婚はすべて裁判所の決定を要するとする法律が制定された。十分な理由の立証が必要なうえに、離婚費用が2000ルーブルに引き上げられたから、ソ連は世界で最も離婚の難しい国になった。
3)この法律は、さらに1926年に導入された非登録婚の制度を廃止した。登録婚だけが合法となり、嫡出子と非嫡出子の「ブルジョア的差別」も復活した。婚外子とその母は扶助料も受けられなくなった。
4)堕胎の自由もなくなった。1935年から反中絶キャンペーンが始まり、それがいかに母体に悪影響を及ぼすかを医学者たちがPRした。1936年には1920年の法律が改正され、母体の生命と健康に危険のある場合及び重大な遺伝上の問題がある場合を除いて人工中絶が禁止された。出産が奨励され、6人以上の多子家庭には特別手当が支給された。
5)親に対する反抗の奨励も修正された。親の権威が強調され、1935年には、「親に対する尊敬と孝行は青年共産主義者同盟(コムソモール)の道徳の核心をなすものである」と新聞に報道された。
スターリンも1935年10月、自らチフリスに住む老母を訪ね、母親に対する愛情と尊敬を示し、模範例として称揚された。
このように、レーニン革命時の「家族制度崩壊政策による大惨事の歴史」を学んだ結果が、現在のロシアに大いに教訓として刻まれているとみれます。東京オリンピックを性解放、家族制度崩壊に政治利用する勢力から、この国を守らなければならないのではないでしょうか>
アカは性解放、家族制度崩壊どころか世界中を共産主義独裁にしたいのだ。世界の破壊! 完全に邪教だ。
電通の作と言われる「戦略十訓」は経済と自社の発展のための消費煽り策として「きっかけを投じろ、気安く買わせろ、混乱をつくり出せ、流行遅れにさせろ、捨てさせろ」を掲げた。
一方で巷ではそれに反発し「嫌儲十訓」として「余計に使うな、簡単に買うな、捨てるな、無駄使いするな、贈り物はするな、流行は無視しろ 」と嗤った。
銭ゲバやアカに洗脳されると「平等に憑かれた人々」が跋扈し、未曽有の荒廃をもたらす。フランスは血を血で洗う悲惨な数十年を過ごす羽目になった。性差による役割分担を「女性蔑視」と非難するのが流行ると、まるで競うようにして「そうだ、そうだ、女性蔑視は許さない!」と叫びだす。クチパク病、「平等に憑かれた人々」の群・・・やがてレーニンのロシアのように国体は崩れていく。
そういう危惧を抱く人々は多いだろう、と思いながら産経2.11号を見たら、もうビックリ。このままでは部数減を止められない、女の歓心を買わなければという危機感からか、それとも社内で不運をかこっていたリベラル≒アカ勢力の逆襲か、「女性蔑視は許さない!」と一斉にわめき始めたよう。自己保身で叫んだり黙ったり・・・醜い、愚か、「だからインテリはダメなんだ!」と罵倒した角栄は米国に殺されたという説は研究に値する。
小生の尊敬する桑原聡氏(産経文化部)の連載「モンテーニュとの対話/95 平等という名の全体主義」から。氏は何となく老人性鬱で自殺をしかねないみたいだから、敵を自信をもってロックオンし、反転攻勢した方がいいですよ、元気が出ますよとアドバイスします。
<現代の常識に沿うように自分の価値観を修正できる器用な人もいるが、公職にもなく権力も持たない私などは、腹の中はどうなんだ、疲れないのかしらん、とゲスの勘繰りをしてしまう。なんだか世界全体が無理しているようだ・・・
何よりも気がかりなのは、この世界が「平等」を神にいただく全体主義に傾きつつあるように感じられることだ。民主主義の定着した先進国において「差別を許さない」と叫べば、大半の敵を撃破することができる。
森さんの発言に抗議する(姿から)不寛容な全体主義の足音が聞こえてこないだろうか。誤解を恐れずに言えば、「平等」を過度に追求すれば、その先にあるのは共産主義だろう。
ひさしぶりにモンテーニュに登場してもらおう。《人が新しい論拠をもって私を追い詰めるとき、私の方ではこう考える。「私は今それに返答ができないけれども、やがて誰かがそれに答えてくれるであろう」と。まったく、我々が言い破ることのできないすべての真らしいことを信ずるのは、あまりにおめでた過ぎる》
現代の常識では「急進的平等主義」とカネこそが「真」なのかもしれない。だが、この世界に絶対などない。時間がたてばそれが「誤り」になる可能性はいくらでもある。だからこそ社会改革は、伝統を踏まえながら、すなわち古い価値観を持った人間の意見を「老害」と排除することなく、しっかりと受け止めながら、ゆっくり進めてゆく以外に道はないはずだ。
森さん叩きに興じる人々は、あまりにおめでた過ぎる。そして危険だ>
モンテーニュは汚濁に満ちた世間、政界に愛想をつかして故郷に逼塞、持病との格闘もあって心身ともに疲れ果て、苦しさから自殺も随分考えたようだ。やがて諦観を脱したのか、人間、世間への観察に大いに興味を持ったのか、ジグザグするうちに「人間学」のような本「随想録」になった。初版は1580年、400年以上前だが、人間の「本質」を語っているために古さを全く感じさせない。
人間は基本的に「体験して教訓にする」から、動物同様にご先祖様の蓄積された知恵や教訓、理性が子孫にあまり伝わらない。「女や男に気をつけろ、一時的な感情ではなく理性的に見て判断しろ」という大変大事なことでもほとんど継承されていない。だからこそ「娯楽系読書よりも教学(教養・学問)系読書が大事」と小生は思っているのだが、自分の子供にさえそれを伝えられていない。
かくして戦争は続くのだろうが、これから始まるのは内戦と外戦が入り混じる「アカ対シロ」の最終戦争になるかもしれない。まったくややこしい時代である。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp