久しぶりの音楽鑑賞となった。1月もはや後半となったからいつになく遅いペースになったかもしれない。それはともかく、大変久しぶりにブルックナーの第3交響曲を大阪フィルで聴く。そのことだけでもアントンKにはトピックだったのだ。数年前、同じ大フィルで「大ブルックナー展」と称して井上道義氏がチクルスを演奏したが、今回の第3番は、どういう訳か外されていた。こうなると同オケでの鑑賞はそれこそ朝比奈時代までさかのぼる計算になる。いずれにせよ、この第3は、アントンKにとって第8と並んで、昔から最も重要な鑑賞楽曲なのだ。前日から心落ち着かず、眠れぬ夜を過ごし、当日赤坂まで出向いた。
ちょうど1年前、やはり大阪フィルの東京公演を鑑賞して、このブログでも記事にしている。尾高忠明と言えば、エルガーに定評があるが、今回は前プロにエルガーのコンチェルトを置き、メインはブルックナーとなったのだ。ブルックナーを振りたくて指揮者になったと自ら公言されている尾高氏だが、以前聴いたブルックナーは、とても関心出来るものではない印象だった。あれから20年以上の歳月が経ち、どんな演奏を聴かせてくれるのかが、アントンKにとって今回の最大の聴きどころとなった。
さて尾高氏のブルックナーだが、総じて過去のイメージを払拭するようなダイナミックな解釈で全体をまとめ上げていた印象を持った。譜面に忠実に真っすぐに向かい、奇手を狙わずまとめ上げているので、まずは聴きやすく素直に楽曲に身を置くことが出来たのは幸いだった。たとえば1楽章の出の部分、弦楽器による刻みもしっかりと聴き取れ、その土台にテーマが乗り、大きな音楽が構築されていた。ここの主題の提示までで、およそこの演奏解釈は想定でき、今思えばその想定は的を得ていたと言える。やはり生真面目さが音楽に表れ、ブルックナーの大きさと素朴さが今一つアントンKには響かなかった思いがしている。オケ全体の響き自体は、どこか1本線が張っているような統一感があり素晴らしかっただけに残念に思う。
しかし各々の演奏者は、凄まじいエネルギーで熱演を繰り広げ、演奏中、間地かでそれを感じるだけでアントンKは満足してしまったことを白状しておく。木管群の囁きは、比類なく美しく響き、金管群は随所で荒れ狂いオケを熱くしていたが、やはり一番印象に残ったのは、弦楽器群の非情なまでの集中力と和声の統一感だった。ベース、チェロに聴く分厚い低音は朝比奈時代を彷彿とさせたが、何といってもヴァイオリン、ビオラにおける音色の統一感は素晴らしいと感じた。ブルックナー、それも今回の第3交響曲で、例のブルックナーリズム(2-3)が形成され、ブルックナーの霧と言われる弦楽器の刻みが随所に現れているが、それらが明確に表現されていて、しかも全総になってもかき消せられずに、まるでパイプオルガンの響きのようにしっかりと聴き取れたのだ。この弦楽器パートでは、やはりコンマスの崔文洙氏の並々ならぬ下支えがあったからこそだと理解している。現に崔氏の響きの大きさは群を抜き、その音色全てに意味を感じる。明らかにオケ全体を引っ張っていることが容易にわかったのだ。
思えば、長年聴いてきた大阪フィルも随分と音色が変わった。朝比奈時代とは比べられないほど上手く機能的なオケに成長したと言えるのではないか。そこには、音楽に対し志の高いコンマスの崔氏をはじめとするメンバーが多々集まり、さらに充実した演奏をもとめて努力している結果なのだろう。こうなると、今の大フィルを朝比奈が振ったらどんな演奏になるのだろう?と夢のまた夢を妄想することも楽しみの一つに成りうる。だから音楽鑑賞は辞められないのだ。
大阪フィルハーモニー交響楽団 第52回東京定期演奏会
エルガー チェロ協奏曲 ホ短調 OP85
ブルックナー 交響曲第3番 ニ短調「ワーグナー」 (第三稿)
指揮 尾高 忠明
チェロ スティーヴィン・イッサーリス
コンマス 崔 文洙
2020年1月21日 東京サントリーホール