昔の写真が続いてしまい恐縮だが、いつもこの時期に撮影のターゲットとしていた列車は、前出の上越線のEF16の次には、信越線のシュプール号があった。
EF16の時代とは、およそ10年の隔たりがあるが、国鉄がJR化された90年代は、世の中スキーブームが到来し、例年この時期は、山へと向かう高速道路は週末大渋滞は当り前。関越道は全通していたが、上信越道はまだ未通で長野までだったか、佐久までだったか・・・
自動車に負けじと、鉄道も各社こぞってスキー列車を全国で走らせていたが、アントンKは、中でも長野県北部に位置する黒姫・妙高地区を目指す列車達には目が離せないでいた。当時は、スキー列車を「シュプール」号と名付けてイメージアップを図り、専用列車としてスキーヤーを輸送していたが、関東からはもちろん、関西からの列車も週末に向け数多く設定されていたのである。使用する車輛達も魅力的で、485系、489系、581系は当り前に使用され、かつ併結運転も普通に見ることが出来た。また、夜行列車として現地を目指していたから、寝台列車のごとく14系や24系を使用したシュプール号、その当時の団体用客車(ジョイフル客車)を使用した列車も設定されて、バラエティ豊かな華やかな列車たちが、この信越線を飾っていたと言っていいだろう。
今回掲載するのは、アントンKが色々なバリエーションのある列車達の中で、特に気に入っていたEF64の重連が牽引する14系12両編成。この列車は、関西から夜行列車として長野までやってきていた「シュプール栂池」。毎年使用する客車が違っていたが、やはりこの14系で統一された編成が、オーソドックスではあるが一番印象に残っている。冬の山の中だから当たり前だが、こういった雪中撮影は思うように撮影出来ず本当に苦労した想いが甦る。シャッターを切る数秒前まで、天気にヤキモキして何度気を揉んだことか。この時は運よく風が止み、編成後部まで見渡せたようだ。
もし現代にもこんな列車達が設定されていたら、どんなことになるんだろうか。そもそも時代が当時とはまるで異なってしまったから、夜行で、それも列車移動なんてしないのが大半なのだろう。スマホ片手にマイカーでそれぞれ行きたい時に行きたい所へ出かけて行くのが現代のスマートなやり方なのだろう。こういった専用列車は消滅し、夜行列車も消えて行った現在、今さらながら色々考えさせられている。
1994-02-11 回9327レ EF641032+1051 JR東日本/信越本線:北新井
PENTAX 67 にて撮影