アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

観光特急「踊り子」の変遷

2020-04-22 18:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

この度、長きに渡り「スーパービュー踊り子」号として活躍していた251系電車が、廃車のため長野へと向かったと知らされた。編成として数本あるから、今回そのうちの最初の1本目ということになるが、何処かで払い下げられ、第二の活躍の場はないのだろうか。団体用に改造されて新たな動きを見せてくれることにも期待したいが、今のご時世、これは厳しい選択かもしれない。

特急「踊り子」と言えば、185系電車の今や代名詞となったが、その歴史は特急「あまぎ」という列車に遡る。このブログでも以前掲載しているが、「あまぎ」には157系電車が使用されていて、当時のアントンKには、とても魅力的に映ったもの。乗車こそ叶わなかったが、撮影や模型で楽しんだりして思い出が多い電車だった。特急「あまぎ」から157系電車が引退してしばらく183系1000番台が後任に就く時代があったが、1981年急行「伊豆」とも統合されて、185系使用の「踊り子」号に統一された。

特急「踊り子」で誰もが知っている列車は、土曜の午後東京を出発する客車列車の「踊り子」だろう。もちろん特急列車だから、14系客車が使用され、東京機関区のEF58・EF65PFの共通運用だった。アントンKも御多分に漏れず、当時のお仲間とともに特急運用に返り咲いたEF58に胸が高鳴り、週末の楽しみが一つ増えたことに心躍ったもの。それぞれ思い出も多い列車となった。

春のダイヤ改正では、スーパービューに代わるサフィール踊り子がデビューしている。今の時代に合った、より豪華な電車(E261系)になり、颯爽と温泉地下田を目指して人気も上々とのこと。今後の活躍が楽しみになる。

掲載写真は、臨時客車特急「踊り子55号」。EF65PFがけん引している。当時はまだEF58が現役であり、EF65PFが来るとハズレの日として我々には扱われていた。しかし今こうやって写真を眺めると、当時の想いは吹き飛び、中々様になっていると感じてしまうのだ。番号こそ変更されたが、この1090号機は現在でも黙々と貨物列車を牽いている万能機関車。同じ時代をずっと生きていると思うと感慨深いものだ。

1984-02-25  9023ㇾ  EF651090    踊り子   東海道本線:早川-根府川


181系の改造車~クモヤ191系事業用車

2020-04-21 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

最後は事業用車へ改造された181系電車を上げておく。

調べてみたら、この車両は当時は田町電車区に所属だったようで、そういえばおぼろげながら車窓から、167系・157系・153系達に混じって電留線で休んでいる光景が思い出される。181系からの改造だったら、ボンネットが残されていれば良い被写体になったかもしれないが、中間車からの改造のようで、当時の581系や183系譲りの前面となったようである。あまり意識して撮影には臨まなかったが、結構な頻度で都内近郊に出没していたはずだ。

掲載写真は、青梅線を行くクモヤ191系電車。もちろんこの時は、ED16電機撮影の合間の撮影のようで、いい加減な画像しか残されておらず、今更ながら情けなく思う。国鉄時代には、こういった事業用車両もよく見ることが出来たが、現在でもまだ走っているのだろうか。

1978-03-08  試1394デ クモヤ190-1     青梅線:川井-御嶽

 


九州へ渡った181系との再会~特急「有明」

2020-04-20 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

特急電車181系の話題を続けていきたい。

国鉄特急電車のパイオニアと言えば151系電車だが、その流れをくむ181系電車には、アントンKにとっても幼い頃から大きな存在感と憧れをもっていた。今まで生きてきた年代によって、その歴史のページは異なるだろうが、アントンKにとっては、以前にも示した「とき」「あさま」「あずさ」という181系最後の特急電車たちだった。もっとも今となっては、交直流型の481系列にも思い入れは出来ているが、幼き頃のイメージは181系の方が強く、その気持ちを引きずっていた。しかしそんな思いも、1982年11月の上越新幹線開業を待たずして消えていったのだ。後継の183系1000番台が幅を利かせて、当時は古くて故障の多発する181系電車は嫌われ者だったようだ。

しかし後年の1984年8月、何と九州で奇跡の再会を果たしたのであった。新幹線に道を譲り一時的に保留車となった181系から、短編成化による先頭車不足を補うため、比較的状態の良かったクハを485系へと改造した車両が存在したのである。もちろんこのことは、後から解ったことで全く偶然の出会いだった。

掲載写真は、その一期一会の出会いの場面。退避するED76の貨物列車と特急「有明」の並びを撮影すべく構えていたところへ現れたのは、赤帯も凛々しく低く構えたボンネット車だったのだ。驚嘆したのは当然だが、あの上越で散々追い回した「とき」そのもののお姿で感激したもの。編成との車体高や幅の差が解りづらいのが残念ではあるが、そんな思い出のある1枚なのである。この先頭車は、JR化後も生き延びて、181系電車一族の中では一番長生きだったようである。

1984-08-01   特急「有明」 Tc481-501        鹿児島本線:串木野駅にて


上越特急「とき」~181系

2020-04-18 12:00:00 | 国鉄時代(カラー)

さて前記事で古い181系「あずさ」を出したので、続けて181系「とき」も掲載しておこう。もちろん新幹線の開業前だから、上野-新潟間には特急「とき」が毎時走り抜けており、合間に特急「いなほ」や「はくたか」、そして急行「佐渡」「よねやま」といった165系電車もやってきて、電車ファンには飽きることのない路線だった。アントンKも当時を思い出すと、撮影の原動力がEF16やEF58だったことは否定できないが、合わせて当時好きな電車たちも撮影出来たため、写真を始めた初期の段階で上越には出向いていた。

時代背景を合わせるため、今回は同じく駆け出し時代のものを恥を忍んで掲載しておく。友人と二人、臨時急行「石打スキー」号か何かでスキーヤーに混じって国境を越え、徒歩で撮影地まで向かったことが鮮明に思い出される。生意気にも、この時は雪が少なく物足りないなどと考えたが、ネガカラーフィルムを入れたカメラ1台で三脚も持たず、ろくな冬装備もせずにただ「気持ちだけ」で行動してしまった当時を今こうして思えば、どこかピュアな一面が垣間見られ微笑ましく思える。

画像は、181系特急「とき4号」上野行き。データによれば先頭車はクハ181-106とのことだから、純粋に181系電車として新製されたクハということになる。編成でいえば、晩年に見られたような、481系車からの改造車によって編成美が損なわれた編成ではなく、食堂車サシ180も組まれている編成であり、往年の姿ということになるのか。ただクロスフィルターを付けて撮影しているようで、幼稚な面が露呈してしまいお恥ずかしい限りである。

1976-02-22   2004M とき4号 Tc181-106       上越線:越後中里-土樽


憧れの編成181系~特急「あずさ」

2020-04-16 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

やはり鉄道写真駆け出しの時代、当時は鉄道模型に重きが置かれていた状況の中、181系特急電車に憧れ、是非とも撮影したいと思っていた。151系から始まる直流型特急電車は、いわゆるボンネット型特急で「こだま型」と称され、161系~181系とこの優雅なデザインは引き継がれた。交直流型の481系~489系にもボンネット型は存在したが、このボンネットの大きさは181系電車の方が大きかったことは、後年解ったことだった。

アントンKが撮影を意識し始めた当時、181系電車は、上越線「とき」、信越線「あさま」そして中央線「あずさ」の3系統走っていたが、横軽を往く181系「あさま」は記録できず、直前で後継の189系に代わってしまった。その代わり同じ長野電車区所属である「あずさ」用編成は、何度か撮影のチャンスがあった。数少ない特急「あずさ」の画像だが、今回は一番思い出深いものを掲載しておく。クハ181-3を先頭にした編成で、連結器上に狭軌最速163km/hのチャンピオンマークがあった車両だ。残念ながら、この時はすでにマークは剥がされていたが、181系の象徴とも言うべきボンネットを巻く赤帯がなく、スカートが元151系と同様長いままのスタイルで、運転席の前照灯こそ省略されているが、これぞ伝統のこだま型と憧れたものだ。当時よく通っていた「トリオ商会」という模型屋さんの前で撮影したこの写真は、アントンKの原点ともいうべき画像であり、褪色も酷く構図も褒められたものでは無いが、自身の宝の一つとして載せておく。

1975-04   13M あずさ13号  Tc181-3        中央東線:三鷹付近