明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

カサナル キセキ KAN&秦基博

2021-04-30 15:43:00 | 僕の音楽日記
こんな素敵なコラボ企画があった。
今いろんな形で
アーティストたちの
縦横の交流があり
コラボ企画があり
楽しませてくれる

考えようによれば
だんだんと
売れない時代になってきて
いる昨今、
マーケット自体は
拡大よりは
縮小傾向なのだろうけれど

どれだけ
人の心に
爪痕をのこせるか
感動という響きを
残せるか
なのだと思う。

心を掴むフレーズが
あれば
それだけで
引き込まれる
その歌のもつ
雰囲気もあって
KANさんの
「キセキ」
秦基博さんの
「カサナル」
「カサナルキセキ」という
ステレオ効果で
一度で二度美味しい
そんな贅沢な
企画から
感動の掛け算になった
作品だ。

KANさんのキセキの
歌詞

あたためてるよ 満ちる思いをじっくりと
たったふたりだけの願いはきっと
静かに重なるよね そう信じて


とか

探しているよ 重なる軌跡をずっと
たったふたりだけの願いはきっと
ひとつになるはずだと そう信じて


という
前向きな歌詞に
気持ちを押される

そして
秦基博さんの
「カサナル」の歌詞

サビの箇所がいい。

離れ離れ 僕らは 途切れたのかな
それぞれ 違う夜に 同じ想いを浮かべている
探してるよ 一縷の光を ずっと
たったひとつの願い事 握りしめて


離れ離れ 僕らは 途切れないまま
それぞれ めぐる星も いつか 必ず また出会える
探してるよ 重なる軌跡を ずっと
たったひとつの願い事 握りしめて



KANさんも
秦基博さんも
「重なる奇跡を」のワードが
ちゃんと組み込まれている

キセキというものが
重なるのなら
それは
もうキセキではなく
運命?
必然の事実
人生のシナリオ。

キセキも
願いと祈りでもって
もたらされることも

思い、願い、祈り
信じる心
諦めない心
気持ち
そうして
キセキはつくられる

それぞれの
思い、願い、祈りが
カサナルとき
キセキは……





ファミリー 吉田拓郎

2021-04-30 06:13:00 | 僕の音楽日記

70年代は闘争収束、回復、の時代だったのか?
60年代末から70年代初頭にかけて政治の時代が大きく日本を揺るがし
本気に日本を良くしないと
いけないと立ち上がった
若者たちが確かに
あの時代を動かそうと
してきた。

歌においても
フォークというものが
エッジの立った作品が登場し
メッセージフォークと呼ばれたり、
時代の生活描写を反映させた
「四畳半フォーク」など
と言う言葉も出てきたり

(この言葉じたいユーミンがインタビュー中に出して広がった言葉らしいが…)

市民権をえた
手作りの歌たちを持って
フォーク歌手たちが
世に歌を放った70年代は
歌謡曲、歌謡界の少し澱んだ
水に
手作りの歌
メッセージソング
を持ってデビューしていった
フォーク歌手と呼ばれたアーティストたちの
作品という
純度の高い水が
混ざり込んで
世の歌たちを聴く者たちに
より説得力と純度の高い
本物に触れたような
衝撃を与えた。

ある時は人々の心を奮い立たせ
ある時は人々の心を癒し

歌謡曲でない
「歌」はより身近だった

メッセージを含んだ歌は
聴く側の周波数にあったところに
ダイレクトに飛び込んできた

「これだ!」と若者の研ぎ澄まされた感性に響く形で

吉田拓郎というアーティストは
フォークという括りで
表現方法として
フォークギターで発した
メッセージソングがあった
あの時代
確かに
フォークの神様とか
フォークのプリンス
とか言われ
ブームに乗っかって
そう言われていた
岡林信康が座っていた
座を取って変わっていった
中津川フォークジャンボリーでの
「人間なんて」という歌で
次の音楽シーンを任される
アーティストとなった。

♫人間なんて
ララララララ ララ

個人の内なる叫び
政治闘争が終息して
吐口のない
エネルギーのやり場は
代弁者を求めた
その先に
吉田拓郎というアーティストが
現れた。

「人間なんて」は
人々の心の中に溜まった
エネルギーを発散させる
ガス抜きさせる作用もあったのかもしれない
そしてそれは
その役目は
時代と共に
葬り去ろうとしていたのも
吉田拓郎さんだった

つま恋'75
そして
篠島で
歌われたラストの曲は
「人間なんて」だった。
あそこで
その歌の役目は終わったと
本人 吉田拓郎さんは思ったのでしょう。

だから
1979年夏篠島のイベント後

1979秋のツアーが10月から始まったそのコンサートのラストの曲は
新曲 この
「ファミリー」という曲だった。
個から家族へ
新たなメッセージを投げかけてきた
吉田拓郎さん

1979年大晦日にフジテレビ系列でスーパージャムという音楽イベントが
NHK紅白歌合戦の向こうを張り
開催された

そこに吉田拓郎さんはいた。

歌はどんどん軽くなり
すでにニューミュージックと呼ばれる新しい時代に
その様相は変わっていく中で
吉田拓郎の歌は重たく
なっていった。

ロックティストの歌に
メッセージをたくして
フォークブームが終わり
ニューミュージックという
新たな進化した
手作りの音楽形態は
軽く、オシャレになっていった。

それに反するように
吉田拓郎の音楽はより重く、
より泥臭くなっていった。

確かに80年代に入っていくと
ロック色の強いアーティストの方が
よりメッセージを含んだ
歌を歌っていた。

ロックアーティストたちのほうが
70年代のフォークアーティストたちのやってたような
濃いメッセージソングを
80年代のロックアーティストたちはやっていたような気がする。

それはロックがまだ市民権を
とれてなかったことも関係する
その鬱積したエネルギーが
よりロックアーティストたちを
輝かせていたのかもしれない。

そうして吉田拓郎というアーティストも80年代に入る前に
この「ファミリー」という歌で

新たなメッセージを投げかけてきた

家族という
社会の中の最小形態

個人
家族
地域
世界
と拡大していく
人間社会

家族から離れて
あえて
愛を残して
旅にでろ!拓郎は歌いだしていた。