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7月26日未明  吉田拓郎

2021-07-26 16:51:00 | 僕の音楽日記
1979年 7月26日愛知県南知多町篠島にて
吉田拓郎
Island concert in 篠島開催
42年前の夏

船で篠島へ渡ったあの夏

あれから

何が変わって、なにが、変わってないのか?

生きていくのがそれこそ
煩わしい時がある
恥をさらすには
利口になりすぎて…



あの初めての
拓郎コンサートデビューが
Island concert in 篠島
だった。

吉田拓郎をこの目で焼き付けることの興奮
一大イベントへの参加。
確か 前の晩から
トシくんの家に泊まり
そのまま
朝の電車で
篠島へ向かって旅立った二人

この歌の真意
何があったかは
不明 

聴く人の自由な捉え方で
この歌のメッセージをとらえるといい ということなのだ。

僕なりの
私なりの

何かに向けて
自分に向けて
言葉をたたみかけるような
この歌は
いわば吉田拓郎節
十八番の吉田拓郎節なのだ。
ペニーレインでバーボン
親切
といった
たぎる想いを音符にのせて
叩きつける
吉田拓郎ならではの歌
そして
40代の吉田拓郎のロック
なのだ。




7月26日未明

作詞:吉田拓郎

作曲:吉田拓郎

たとえそれが叶わない夢でも
自分を殺してまで生き続けるよりは
道ばたの小石になろうとも
今動かないよりはまだましなのさ

目まぐるしい時の流れなど
横目でにらみつければいい
変わらない心がある限り
人のそしりは通り雨のよう

幸福の大きさなど計れないもの
不幸の深さは闇の奥まで続く
いずれに身をゆだねていたところで
明日が形を変えるわけじゃない

越えなければならないものがある
語らずに行かねばならない時がある
コップ一杯の水を一息に飲み干して
朝のうちに外の雨を感じよう

言葉に酔いすぎた人々は
満足という定期便を待つばかり
心は貧しくなっているけれど
現実には充たされた気分

踏切を通過する満員電車
あらゆるため息をつめ込んでいる
どこの駅で誰が降りようとも
ベルにせかされ電車は走り出す

生きていくのがそれこそわずらわしい時がある
恥をさらすには それだけ利口になり過ぎて
だけど船はまだ港の中
乗り遅れそうなのは誰
間に合うさ 間に合うさ
遅すぎる事は無い

人を愛したり 人を拒んだり
何かを奪ったり 束縛されたり
人生のメニューはいつも多すぎて
一つだけを選べないでいる

つけっぱなしたままのブラウン管からは
欺瞞に満ちた笑顔とやさしさが
現実を伝えるニュースの合間に
土足のまま入り込んで来る

人は生まれた時すでに旅をしている
頭の中にそれぞれの地図を広げ
誰かとの出会いで立ち止っても
旅人を引き止める鎖は無い

すべてが終わってしまったわけじゃない
今何かを始めればそれでいい
荷物をまとめようとしなくても
その中の1つだけ携えていこう

生きていくのがそれこそわずらわしい時がある
恥をさらすには それだけ利口になり過ぎて
だけど船はまだ港の中
乗り遅れそうなのは誰
間に合うさ 間に合うさ
遅すぎる事は無い














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