名曲はみんながcoverする。
ふと思う。
吉田拓郎の「落陽」だけは
coverできない
別物の歌なのだと
特別な歌というものが
あるのなら
多分
「落陽」がそれだ。
あの
1973年
よしだたくろうLive'73
で収録された
「落陽」は
本人もあのテイクは絶対
越えられてない
本人の歌でありながら
越えられない歌も存在すると思う。
ましてや
他人がcoverして越えることなど
できやしない。
そこには歌、詩、を解釈し、
表現、をうまくできる
表現者としての
アーティストでなければ
と思う。
「落陽」という歌を
ロックだという人
そのジャンルで捉える人
「落陽」という歌を
フォークだという人
そのジャンルで捉える人
「落陽」という歌を
ニューミュージックだという人
そのジャンルで捉える人
どのジャンルでも
いいけれど
まさか、演歌のフィールドの人が
「落陽」を歌うのは?
と、もはや化学反応を起こすまもなく
拒否反応で聴くこともしなかった
前の僕はいただろう。
改めて
耳にした
吉幾三さんが
歌った
「落陽」
正直、イケてる!
いいのだ。
いや、むしろ
「落陽」という歌は
本質は「演歌」だったのかもしれないとさえ思えた。
旅心、人情、を詩にした
岡本おさみさんの
世界は
その道は「演歌歌手」の方が
近いのかもしれない
「落陽」のもと、アレンジで歌う
吉幾三さんの
「落陽」は
実にサビの部分も伸びやかに
ハマってる
聴いていて気持ちいい。
吉幾三さんも
表現者。
「演歌」という
歌を大切に届けている
アーティスト。
岡本おさみ
吉田拓郎
作品は
多分
演歌、だったんだと思う。
若者の演歌。
若者が聞くことのできる
スタンダードを
あの頃
作り上げようとしていたのかも
しれない
それが
「僕の歌、私の歌」であったとしても、
既存の勢力図から
飛び出して
自由な歌作り、自由な歌い方
華やかさの裏側にある
誠実さ、作られた美しさではなく
素の美しさを表現するために
あの頃のアーティストたちは
確立するための
土台を作ってきた。
名曲、歌い継がれる
歌達、は、
良き歌い手によって
またその息吹を吹き返す。
もともと吉幾三さんも演歌ではなくフォーク畑からの出身だから
雰囲気はでてますよね
変にこぶしを回して欲しくない
落陽だから
このくらいの力の入れくらいでちょうどいい感じなんだと思います。😆
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