明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

糸 中島みゆき

2021-08-27 06:12:00 | 僕の音楽日記
裁縫というものが
男であるゆえ
どうにも不得意なのだ

小学5年生の時
裁縫箱を買い揃えられて
家庭科の授業で
ボタンの付け方やら
縫い方を教わった気がする。
だけどどうしても
「やれた!」っていう
手応えがないまま
敗北感だけを舐めさせられた
家庭科の授業だったのを
覚えてる。
そもそも
授業で勉強するものは
その人の出来ない課題を
炙り出すものなのかもしれない

出来なくてそのまま
スルーしていくもの
出来ない課題に向き合って
克服するもの
それが
「勉強」なのかも
しれない。

そんなわけで
家庭科の授業で
どうにもこうにも
不器用さを露呈してしまった
裁縫の授業。
あの時
(あゝ、男で良かった…もし、僕が女の子だったらあまりにも出来なさすぎて…不器用すぎて…恥ずかしい〜)って
思ったもので…



ボタン付け
ファスナー付け
はたまた
給食袋を作ったり
した授業…
ほとんど白旗状態だった。

そんな時家に持ち込んで
母親にやってもらうなんて
悪知恵も、もちつつあの頃

家では
各家庭で
縁側などに
足踏みミシンなるものが
あったりした。

ジャノメミシン
シンガーミシン
ジューキミシン
ブラザーミシン

足踏みミシンが鎮座していた。


我が家にはこれがあった。
ジャノメミシン!母親の嫁入り道具だったように思う

足踏みの所から
動力でベルトを伝わってミシンは、動く。
丸い輪っかにベルトが周り
その仕組みが面白くて小さい時足踏みのところに寝転がって
ミシンを動かして遊んでいた。

ミシンで布を縫う音
(ダダダダダダァ〜)
後年電動式のコンパクトになった
ミシンが主流になり
あの
僕らの子供の頃の足踏みミシンは
消えていった。
場所ばかり取って
使用する頻度は低く
でも
僕らの子供の頃は
ホームメイドでまだ物が充分に
今みたいになかったから
母親がよくつくってくれてた。

もう
今の娘たちには
ミシンというのは
ほとんど
要らないものになってるようで…

また、僕らの子供の頃は
近所で裁縫の仕事を受け持っていた
人の家から
工業用ミシンの音が聞こえてきたり
して

音も溢れて
元気な時代だった。

手縫いで
雑巾を縫ったり
ボタンはしょっちゅう取れて
縫ってつけてもらったり

社会の窓
全開になるほど
ズボンのファスナーは
よく壊れ
付け替えてくれたり

裁縫というものが
器用さが
ものをいう時代でもあった


縦の糸はあなた
横の糸は私

織りなす布は
いつか誰かを
暖めうるかも
しれない


織りなす布は
いつか誰かの
傷をかばうかも
しれない


縦の糸はあなた
横の糸はわたし
逢うべき糸に
出逢えることを
人は仕合せと
よびます。



中島みゆきさん
上手いことつくったなぁ
さすが!と唸った
名作「糸」

この歌は人との縁を糸や布などに例え歌にされてる

大切な事は
小さな事だったり
か細いものだったり
それこそ時間のかかる
面倒なことだったり
でも
大切なことは
ひと針 ひと針
思いを込めて
縫い合わせていくそこに
込められた気持ちだったり

カタチにしていく作業のなかで
出来上がりでの
笑顔に触れたくて

作り手も顔をほころばせながら
縫い合わせていくのでしょう











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