明日の葉っぱ(8×8)=69

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イメージの詩 よしだたくろう

2021-01-17 17:42:00 | 僕の音楽日記
僕が吉田拓郎さんのファンになった時は
よしだたくろうではなく
吉田拓郎だった。
表記が変わった1975年だ。

CBS SONY時代まで
よしだたくろう
表記。
つま恋コンサート
の時から?吉田拓郎表記。そして
フォーライフレコード設立時から
よしだたくろう→から吉田拓郎へ

イメージで人は判断するところが
ある。
少ない情報量の時は尚更だ

♫これこそはと
信じれるものが
この世にあるだろうかぁ〜?
と歌い始めた
イメージの詩

反戦歌だとか色々いわれながら
結局のところ
吉田拓郎さん本人曰く
これは
ラブソングだということ

何をもって
反戦歌なのか
何ももって
ラブソングなのか

その時のその歌のイメージ
文字通りイメージの詩であれば
あの時代
よしだたくろうの歌も
反戦歌のくくりに差し込まれたて
いた。

それはフォークシンガーという括りにも通ずる
本人の好むと好まざるに関わらず
イメージで伝えられる
そのイメージで僕たちは
受け止めていた。

吉田拓郎さんを結びつける
イメージ、トレードマークは

女の子より長い髪
八重歯
ギターなら
ギブソンJ-45 エレキなら
テレキャスター
ジーンズにスニーカー
バーボンにレモンスライス
そんなイメージ、トレードマークを目印に
僕たちファンは
憧れ、手に入れれるものは手に入れ
真似て、なりきろうとした。
イメージを膨らませて…

そして、よしだたくろうが
話す
話し方
口癖も真似て
「よしだたくろう」に
なりたかった。

吉田拓郎さんの歌には
一人称、人称が
よく変わっていった
自分のことを歌によって変えて表現していた。

♫私は今日まで生きてみました〜
「今日までそして明日から」
「私」

♫ 雪国の小さなまちに
そんな私の思い出がある
「私」


♫淋しがりやなのかな?俺
「俺」
の「俺」

♫いい加減な奴らと口をあわせて
俺は歩いていたい
「イメージの詩」
の「俺」

♫何かが欲しい オイラ
それがなんだかわからない
「人間なんて」
「オイラ」

♫なるわきゃないじゃろが
ワシらのフォーク村〜
「ワシらのフォーク村」
の「ワシ」

♫やっぱり僕は人にもまれて
みんなの中で生きるのサ
「どうしてこんなに悲しいんだろう」の
「僕」

♫今日は何故か穏やかで
知らん顔してる
自分が見える
「たどり着いたらいつも雨降り」
「自分」

♫だけど 己の証を 生きてる証を
「証明」
の「おのれ」


その歌のもつイメージ、その歌には
この人称が…と計算されて
使われてるわけではないのだろうが
「私」
「オイラ」
「僕」
「俺」
「自分」
「ワシ」
「おのれ」
その都度に展開される
吉田拓郎さんの歌には
人称変化で
イメージが変わる。

本人曰く
変わり者、天邪鬼だと…

敵に牙を剥いた時の歌だったり、
内面を吐露する歌だったり、
自分を鼓舞する歌だったり、

その時々に見せる
吉田拓郎という人物の描く
世界。

吉田拓郎のイメージする吉田拓郎像はファンとの間でのギャップは
埋まっていたのだろうか?

喧嘩っ早く、
下駄を履いてそう、
大酒飲み、
ベビースモーカー、
人を寄せつけない怖い感じ、
とか…

歌の世界から作り出されたイメージ
が独り歩きして作り出された
吉田拓郎像。

フォークギターで演奏してたから
フォークシンガー
作品の中でもアコースティックサウンドを取り上げて
それをフューチャーすれば
フォーク歌手として括られる

本人はバンド志向
R&Bをこよなく愛し、
ポップス好きな
アーティストを目指したかった
レッテル、イメージを変えるのは
なかなか時間がかかるもの

どの吉田拓郎作品も吉田拓郎さんなんだろうけど
どれが本人の志向にちかいかどの
作品でファンは好きになったか、
その作品を支持してるかは
それぞれ千差万別。
ワンパターン、拓郎節、色々言われても
吉田拓郎はよしだたくろうであって
吉田拓郎なのだ。
どれを信じるか

信じることがあったとしても
信じない素振り










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2 コメント

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Unknown (キース)
2021-01-17 19:15:35
私も拓郎さんの大ファンです。
月一回のラジオ番組「吉田拓郎のオールナイトニッポン」を楽しみにしてます。昨年末の放送で「もうコンサートをしない」宣言がありました。残念ですね。
返信する
Unknown (aoi-tuki-no-waruz)
2021-01-17 20:45:12
コメントありがとうございます😊月一度のラジオ、楽しみですよね。年齢が年齢なので
ある意味命を燃やしてる感じに切なさも感じ吉田拓郎が吉田拓郎で居続ける事の大変さもわかるような気がします。
等身大におりてきて親近感を増した吉田拓郎さん
でも、いつまでも吉田拓郎は吉田拓郎であって欲しいんですよね
返信する

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