1972年 2月
今でも忘れない
衝撃の事件。
「浅間山荘事件」
長野県軽井沢町の河合楽器の保養所
に赤軍派が立て篭もり
警官2名一般人1名の死者を出し
日本中が警察vs連合赤軍の動向を
見守り、
銃撃戦がテレビで中継され、
日本全国に放映されたあの
事件。
あの時僕は
今でいう、胃腸風邪で学校を休んで
パジャマ姿で
居間のテレビをコタツに入りながら
見ていた。
今だにあの時の
自分の体調不良で気持ち悪く、
戻しそうなムカムカした状態で
テレビをみていた。
さながら
映画か、ドラマだとばかり
思わせる
現実に起こってる事件だと
理解するまで
子供だった僕は
なかなか理解できなかった。
当時小学4年生ぐらいだったか?
学校を久々に休んでいた僕は
母親が神妙な顔で
このテレビ中継を見ていて
僕もつられて一緒にみていた。
多分どのチャンネルをひねっても
同じ現場からの中継だった。
その日は
強行突入をするための
あの、鉄球での攻撃が
テレビ画面に映し出されていた。
いよいよもって立て篭り犯の連合赤軍たちも
年貢の納め時か?
と固唾をのんでみていた。
強行突入で
事件は解決した。
その年の事件の振り返りには
僕の中で
その年流行った
あがた森魚さんの
「赤色エレジー」が鳴りびびいてる。頭の中にこの歌がバックに流れてて
当時の映像が回想される
「赤色エレジー」
なんというもの悲しい
詩と歌なのだろう
絶望と深い悲しみへと
落とされるような
この歌に
当時の浅間山荘事件の
虚しさ、残虐さ、暗い世相を
投影しているような
そんな歌が、また似合っていた。
1968年 府中三億円事件
1970年 よど号ハイジャック事件
そして、72年の
浅間山荘事件。
70年は大阪万博で沸いた日本なのに
なにやら
それを前後して
世の中に暗い影を落とす
大きな事件が常に起きていた。
子供心に、「僕たちの日本は?この世の中は、どうなっちゃうんだろ?」と半ば、真剣に子供心に
悩んだものだ
それに輪をかけて
まだ、母親、父親から
「お前は橋の下で拾われた子だ!」と脅され、突き放され、追い討ちをかけられて、突き落とされていた。
益々、暗い影をひきづりながら
生きていたあの時代。
だから
僕はこんな
超 暗い
赤色エレジー
という歌は
大っ嫌いなのである。
でも、僕の中で
この年の事件
浅間山荘事件と赤色エレジー
はセットで結ばっている。
赤色エレジー、私も忘れられない曲なのですが、小学校の卒業式後のお別れ会で担任の先生が歌ったのです。体育館がシーンとしたのを覚えています笑
そんな素敵な思い出があったんですね。歌ってのは
その時代、その時の記憶や場面に戻してくれるタイムマシンのようですよね😉