明日の葉っぱ(8×8)=69

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憂鬱な夜の殺し方 吉田拓郎

2022-06-19 22:09:00 | 僕の音楽日記
1990年1月10日 発売
フォーライフレコードから
18枚目
オリジナルとして
15枚目の
「176.5」タイトルの
このアルバム
等身大の吉田拓郎を90年代に入って
標榜しつつ
日本のポップス界に
メロディーメーカーとしての
名を刻んだ
ソングライターは
未だ現役であり、
世は打ち込みサウンド全盛の中
御多分に洩れず
吉田拓郎さんもその中にいた。

あの当時
何を言ってるんだろう?
何が言いたいんだろう?
メッセージを拾おうと
聴く側は必死に探し求めていた
今のように
情報がたくさんあるわけじゃない
時だったから

音楽雑誌、ラジオ、ごく一部に出演されるTV
それでしか
吉田拓郎を知る由がなかった
80年を超え
90年に突入
吉田拓郎は吉田拓郎を越えられず
かといって
新たにつくりあげながら迷い
決まらないスタイルに
苛立ちに似た感情が
やはりどこかしこに
滲み出ていた。
焦りにも似たその思いは
次第にファンにも伝わっていった。

「今」を歌ってはいるものの
本人が楽しく、充実している感覚ではなかったはず
よくいえば
わかりやすい人だったからそれが
また説得力を持していた人
だったから…

作家に
森雪之丞さんと組んだアルバム作品
それまで
アイドル関係への提供曲でいうと
森雪之丞作品で共作してるのは
西城秀樹さんと倉沢淳美さん
のお二人だけ
80年代には歌謡界に沢山の作品を世に出していた
森さんだったから
その辺の「今」感を味わうためにも
吉田拓郎に雰囲気を変えていくカンフル剤的なコンビ組みを仕掛けた
アルバムだったのだと思う。

少しドキッとするタイトルをもってくる
森雪之丞さん
「憂鬱な夜の殺し方」
まさしく
吉田拓郎にあらぬ世界観。

憂鬱な夜なんて
吹き飛ばしてきた男が
歌う歌ではない
しかも
殺すというショッキングなワードも…

そこには
時代にもがき、苦悩する
吉田拓郎が見え隠れしていた

だからこそ
あの頃
僕はもう、吉田拓郎離れになりかけてた
見限って行く時期だった。

しかしながら
そんなある意味苦しかった時代、時期の音源をしっかり
吟味してきいてみると
今の自分に響くものはあった
タイトルからも惹かれるものがあり
夜が憂鬱に思える
朝も憂鬱
気力にエナジーが点火しない
そんなここ数ヶ月

還暦の歳は、厄年にもあたる
とにかく色々ある
まるで
次々と点火して
火を散らす花火のように…

今までなんてことの
なかったことから
今この時期にという
ことまで

夜は邪悪な生き物ならば
それの殺し方を…


希望に満ちた朝を迎えるために






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2 コメント

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「176.5」 (四代目桶屋金之助)
2022-06-20 17:52:51
個人的に僕はこのアルバムを気に入っています。
とくに好きなのが『俺を許してくれ』
もちろん『憂鬱な夜の殺し方』もいいですね。
ラストの「まにあうかもしれない」がインサートされた『祭りのあと』

還暦を過ぎた今だからこそ、このアルバムが心に響くものがあるのかなと思っています。
返信する
Unknown (aoi-tuki-no-waltz)
2022-06-20 22:13:08
コメントありがとうございます。リアルタイムできいた176.5は
酷く印象に残ってなくて
拓郎ダメだってあの頃は思ってました。月日が経って
自分の中でブラッシュアップされた作品は出てきましたね
憂鬱な〜もそうですし、
車を降りた瞬間からもそうですね
返信する

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