明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

恋妻家宮本 挿入歌 今日までそして明日から

2020-12-20 21:02:00 | 僕の音楽日記
重松清さん原作 「ファミレス」
を脚本して
映画化した
「恋妻家宮本」という
映画の中で
とても、響いた 良い言葉に
触れた。

正しいことを言って
正しい事をすることは
大切。
でも、正しいと正しいは
ぶつかり合う。
それよりも
優しいを教えて
優しい事を実践することの
方がもっと大切。
優しいと優しいは
ぶつからない

よく、正論で
人を追い込む人がいる
自分も昔そうだった
正論をふりかざして
相手に反論の余地をなくす
逃げ道を塞いでしまう、
そのような事を相手に
してきた。

同級生に、未だそれに
近い事をやってる
奴がいる
正しい事を正しくやる事を
人にも強要する
義務と責任をがんじがらめに
して
べき論を振りかざす

僕たちは
感情のいきもの

人には
知的な人
情的な人
意的な人
とタイプがある
物事を理解するにも
知情意な3タイプのそれぞれの
ひとたちの理解は違う。

人の心を動かす事は
そうそう容易ではない
そうしたい、そうしょう!
と思わせて行動してもらうことは
心を動かす衝動がないとダメだ。
心に衝動を与える事は
感動を与える事が近道だともいう。

優しい気持ちに触れ、
心が感動したり、
朗らかな気持ちになり、
心がほぐれて、
次の行動につながる
そんな事は
多々ある事。
決まりや、決め事、
言われて、命令されて
動くなんて
人はすんなり行動には
移さない。

優しい心、優しい気持ちが
前提になければ
いけないと思う。
包み込むものをもって
人と接すること
安心感を与えること
も大切。

この映画で稚拙だけど
そんな当たり前だけど
大切な事をまた、思い出させて
くれた。

映画だと夫婦の在り方を
クローズアップして描いていたが
本質を探ると

形式にのっとって
正しい事に固執せず
優しい、寄り添う気持ちを
持つ方が大切だと
教えている。

♫私は今日まで
生きてみました。
時には誰かの力をかりて…


吉田拓郎さんの歌詞には
抽象的であるけど
解釈の余地の幅をもたせてる
ところがあって
それがある意味名曲となってるわけで…

私は今日まで生きて
みました。

生きることに自信がないのか?
そろりそろりと日々確かめるように
噛み締めるように
生きているそんな
生き方をしてる
人や、
なんの根拠やなんの目的もない
そんな人であっても
生きてきた、今日までの時間。

色々あって
それでも今日まで生きてきた
そして、
でも、明日からも
同じように
生きていくんだろうと
そう自分に言い聞かせて
この歌は、終わる。


淡々と日々は過ぎていくけれど
淡々と過ぎない日々も
あるけれど

それでも
生きている
僕たち
「正しい」ことより、
「優しい」ことを
実践する

いい言葉を聞いた。





チャイナ・グローヴ ドゥビー ブラザーズ

2020-12-19 19:14:00 | 僕の音楽日記
ドゥビーブラザーズの
有名な三曲といったら

レッスン トゥ ザ ミュージック
ロングトレイン ランニン
この
チャイナ グローヴ

テキサス州のとある町
この歌を作られたとき
トム・ジョンストンは
創作の町だ
としていたが
実際に実在してる町である

チャイナ グローヴで起きてる出来事と人のことを歌った歌。

テキサスの一部なんだけど
目は東洋のほうへ向いている

保安官とその部下たちは
サムライの刀をもっているだとか
チャイナグローヴは
日本と中国とごちゃ混ぜの東洋文化を一括りにみている
だからちんぷんかんぷんの世界で
それがまた、
エキゾチック感があり、神秘的であり、曲として
グルーヴ感を出して歌うのには
もってこいの内容になってる気がする。
印象的な曲の始まりを知らせる
ギターリフ
ドゥビーブラザーズの有名な
三曲とも
ギターリフが印象的だ

トム・ジョンストンが健在でノリノリだった頃のアルバム3枚目の
「キャプテン アンド ミー」
に収録されている

ドゥビーの売りである
ツインギターと
ツインドラム
ビートが醸し出す
極上のグルーヴ感。

イーグルスと並んで
ウエストコーストサウンドを
支えたバンド

イーグルス好きであっても
ドゥービーの音も捨てがたく
甲乙つけがたい両雄である。

アメリカンロック、ウエストコーストロックを単純に楽しめる
サウンドであり、歌。
名曲は聞き飽きないし、色褪せない





待ってる女 五木ひろし

2020-12-18 18:25:00 | 僕の音楽日記
僕が小学生の頃
僕に親父の従姉妹が訪ねてきた
それまで
僕に親父方の従姉妹がいるなんて
知らなかった
あとにも先にも
あの時初めて会って
それからもう、会う事もなかった
人生一度きりの出会いであった。

うちの両親は
両方とも兄弟姉妹から離れて
この地に来ていた。
だから、天涯孤独のような感じで
親族との交流がないから
僕も周りの友達たちと比べ
親戚、従兄弟、従姉妹の存在がなく
寂しい感じだった。

その日
その人は
遥々 九州から
親父を訪ねて来た
なんの連絡も入れず
突然だ。

♫ヘヘヘイ〜
消え残る 街あかり
女は待っている
肩すぼめ 衿を立て
冷い ほら風の中

五木ひろしさんの
その時流行っていた
「待ってる女」が流れてきたそんな
場面に僕は
遭遇した。
買い物から帰宅した
僕と母親は
その時住んでいた僕の家
会社の社宅に夕方戻ってきた。

玄関横の物置の隅に
えんじ色のコートを着た
スラっとした女性が佇んでいた。
コートの襟をたて
うつむいて待っていた。

僕と母親はその人を見つけ
その人も僕たち親子を見るなり
「はじめまして、ご無沙汰してます。
〇〇ですお父さんの兄〇〇の子です」
そういうと
母親は
「あゝ〇〇ちゃん あらぁ〜突然一人で来たの?よくここがわかったねぇ〜」

うちの社宅の家は
結構不便なところで
最寄りの駅からも
歩いて40分以上かかるし

社宅内に乗り入れてる
バスも会社のバスのみで、
ほぼほぼ よそものが簡単に
訪ねてこれるところではないくらい
不便で優しくない場所だった。

きっとタクシーでここまで
きたのだろうと言うことは
推測できた。
今と違って
ナビなんかもないし、
検索して、探してこれる感じでもない
それこそあの頃、昔の人は
住所ひとつで
探して訪ねてくる
半ば執念みたいなものがなければ
初めて訪ねる場所なんかは
見つけられないと思う。

何の前ぶれも、連絡もなく
突然の訪問。
勿論 親父も知るよしもなく
夕方親父が仕事から帰り、
何十年ぶりかの再会を果たした。


その人は二十五歳くらいだったと思う
やけに大人の女の人だとおもった
小学生低学年だった僕からすれば
初めて身近に感じた
大人の女の人だった
綺麗な髪の長い人だった。

その時何しにきたのか?
誰だったのかは
あまり理解できてなかった僕だが
うっすら記憶にあるのは
何か親父に報告があって
きたような感じだった

遥々九州から
我が家を訪ねて来たことには
そうした理由があったのだと思う。
その夜
僕は初めて母親以外の女の人と
お風呂に入った。
その人が
お風呂に一緒に入ろうと
言ってくれて
柄にもなく、おませな僕は
変に男を意識して、
その人と入るお風呂に照れを
感じながら
お風呂に入った思い出がある
従兄弟、や、従姉妹が身近にいなかった
僕だったから
すごく嬉しかった事が
母親以外の女の人と入れたお風呂
と合わせて
二倍の嬉しさだった。

甘えられる存在、が一瞬近くに現れて
くれて、心や気持ちが
ぐにゃぐにゃに
ほぐされた感じだった。

一晩だけ泊まって
翌朝は帰っていった
その人は
後から母親から聞いたら
結婚の報告で訪ねてきたと…
五木ひろしさんの
「待ってる女」を聞くたびに思い出す
従姉妹のあの人 最初で最後の出会い。





旅は道連れ  official髭男dism

2020-12-17 19:19:00 | 僕の音楽日記


小学生の時の修学旅行
6年生の時 奈良へ

比較的仲の良かったクラスだった。
修学旅行の楽しみは
夜更かし、枕投げ
好きな子の告白タイム
修学旅行の夜は更けて…

あの頃の僕は
変なところで神経質で
それが時に自分勝手な
振る舞いに友達に映ったり
したものだ。

修学旅行の引率の先生からの
注意事項。
事前に鍵を刺すような
注意事項。

夜遅くまた起きて騒いでたり
して睡眠不足になると
バス酔いが激しくなるから
遅くまで起きてないように!

素直な僕は
この「バスに酔う」
というワードに異常に
反応してしまった。
(バスに酔って、ゲロ吐いたらどうしょう?やだなぁ、酔いやすいから
睡眠不足だけは避けたい…)

僕の心の声がした。
友達との夜更かしよりも
バス酔いをしたくない
ことの方の意識が勝ってしまった
僕は、
男子も二グループに分かれた
十二人の大部屋で夜は
騒ぎ、喋りが続いている
その中にいた。

それこそ旅は道連れ!
少数意見より
多数決!数の多い方が
圧倒的に優位に物事が進む。

みんないつまでも喋り続け
旅の夜を楽しんでいたようだ
バス酔いを防ぎたいこともあったが
そもそもそんなに夜更かしは
できない僕。
すぐ眠たくなって早く寝る
習慣だった。
だから
同室の仲間たちに
半ば、苛立ちをみせながら
「騒いでないで早く寝ようぜ!
明日も早いんだから寝不足になるよ!!
と、息巻いて僕は
布団を頭からかぶって寝ようとした。
騒ぎ足りない、喋りたりない
級長のAくんが
仲間とひそひそと
僕の事を非難した。
「〇〇ちゃんって自分勝手だな」
級長たるものでも
旅の夜は羽目を外して遊びたい
そんな旅の夜だったに違いない。

そりゃあ僕だって
騒ぎたいさ、
でも、
睡眠不足は
バス酔いを促進するんだ!
そう、心で呟きながら
耳を押さえて
目を閉じて寝ようとする
僕。11対1の様相で
旅の夜は更けていった。

旅は道連れ 世は情け

自分勝手な振る舞いで
修学旅行の夜を
バス酔いを嫌って
台無しにした奴

なんであの時
もっとおおらかに
なんとか、なる!
と開き直って友達と
夜を楽しめなかったのか?

神経質で変に几帳面だった
子供の頃
楽しい思い出も
自分勝手な振る舞いで
思い出をなくしてしまった
事もチラホラ

旅の恥はかき捨て
みんなと道連れ
それができなかった
少し変わってた
あの頃の僕。



光の粒 コブクロ

2020-12-16 21:24:00 | 僕の音楽日記


コブクロがインディーズ時代に
作った作品だとか…

言葉に素直さを感じ
感情にフィルターをかけずに
表現したい事をストレートに
表現した素直な歌だと思う。

プロになると
作品として、プロとしての
格の違いを見せるような
作業が入り込むので
どこか作品として
最初のコンセプト
、想い、など修正して
ブラッシュアップさせる
完成度を高めることをする

触らないままでの
本来の作品ならば
その作品を作った本人たちは
その歌に込めたブレない
純な気持ちは変わらずに
歌えるのだろうけど…

触った作品は
ニュアンスがかけ離れて
いくだろうし、
熱も覚めてしまうのだと思われる。

変わらない心で
変わらない気持ちで
変わらない思いで
歌い続けられる歌は
名曲になりうる要素もある

ファンが支持される歌と
自分たちが大切に思う歌と
あれば必ずしも
両方、同じということは
ありえない。
歌い手が大切に思う歌は
以外とファン受けの良い歌だとは
限らないわけだから…

アマチュア、インディーズ時代から
下積みを超えて
メジャーで花開いたグループは
芯のある
グループだと思う。

「光の粒」という歌を聴きながら
そんな事を思いながら…

赤と緑と金色の似合う日
クリスマスイヴ

情緒的な歌。

好きな人と過ごす時間を慈しみ
恋人同士の狂おしいほどの
切なさ愛おしさが伝わってくる

光の粒

今年のクリスマスイヴは…
コロナ禍で
いつもと違うクリスマスイヴに
なるような雰囲気

昔も今も
クリスマスイヴ、クリスマスは
特別な日
なにか、
期待してしまう
ワクワク感が膨らんで
自分勝手に
楽しさを膨らませる

ましてや恋人同士なら

せめて
この日だけは
楽しい一日に
してほしいと願う

光の粒…
クロちゃんのボーカルが
優しく柔らかく包み込むように
歌っている
心地よさに包まれる

そして何よりも
アコースティックが中心のアレンジ
ならば
ストリングスが入ることで
深みがでて、曲に奥行きをもたせて
くれている。

そんな
光の粒

ごちそうさま!
って言う感じ、
美味しいものを食べた後の
満足感のような

美味い!
と唸るあの
感覚に似てる
試聴後の
感想

コブクロが
インディーズ時代の作品
「光の粒」