今は
オイラと一人称で
言ってみようか?
僕、私、俺
自分、オイラ、オラ
オイラなんて言わない
昨今だけど
メンタルをやられたんだ…
言葉のナイフと
生き苦しい環境の中
まともにやってるものが
攻撃され
嘘をまことしやかに
ホントのように
吹き込むやつとかの
そちら側に翻弄されて
さらには
こちらが責められる
そしてそれに対して違を唱えると
さらに攻撃してくる
もうこんな環境
疲れた
疲れ果てていることは
誰にも隠せはしないだろ?
ところがオイラは何のために
こんなに疲れてしまったのか?
まさしくそれなんだよ
何のために
こんなに疲れてしまったのか?
フォローして支えてきたはずのこちらを排除するよな
態度
この世にありがちな
ドラマにもありがちな
エピソード
あゝここもやっぱり
土砂降りさ
精神が崩壊する前に
自分を守るために
まだ自意識が潰れる前に
自分を再生するために
僕は自ら
行先を選択した
辛いところからの脱出
回避、
人ってそんなに
駒のように取って捨てるほど
いるわけじゃないのに
有り難みがない人には
そのうち
大きなしっぺ返しがこなけりゃ
いいけど…
人の言葉が
右の耳から左の耳へ通りすぎる
それほど頭の中は空っぽになっちまってる
塞いだ気持ちに
希望の光が差し込んだ。
コロナ禍で
なにも良いことがなくて
というより
悪い事
嫌なことばかりで
色のない世界を日々
過ごしている感覚
アナタという存在に
希望を持って…
少し気持ちが晴れやかに…
今朝こんなことを思いながら
希望、望み、願いを
頑張って掴み取る
ことに人は意味を持つ事を知ってる
なのに
以前
どこかの馬鹿な政治家が
「2番じゃあ 駄目なんですか?」と喰ってかかってたことがあったよなぁ
そもそも原則的に考えるとわかる事
一番を目指して結果
力及ばす2番になるわけで
それは自分が一番を諦めた瞬間に
負けて2番になるか
もしくは相手が自分より力が優っているってこと
2番という順位は決して
狙ってとれる順位じゃあない
それを
最初から2番狙いを力説していた
馬鹿な政治家はその辺はわかってなかったんだねえ
2番狙いは得てして
2番どころか3番、4番、もしくは7番くらいまで落ちてしまう事だってあるのが
競争世界。
だから一番を人は狙う、
企業も狙うわけ。
よく、1番じゃなきゃ
2番もビリも同じという言い方もある。正しくそれ!
希望、望みには
限りない野望もあり
そこに努力も夢も乗っかってる
最初からブレーキふんで2番狙いを
推奨する
国の政治家がどこにいるか?
むしろ1番を狙いなさいと言わしめるのが
その立場なのに
今朝は何故かその事を急に
思い出し
向っ腹がたったり
同じく勘違いの希望のエピソードは
小学生の時
野球のオーダー決めをしていたことがあり、ある程度決まって
決めた僕らはT君に(お前は補欠な!)って伝えようと
「おい!Tくん」と呼んだと同時に
Tくんは漫画を読んでて
読みながら答えた一言。
「あ、俺ライトでいいわ」
一同顔を見合わせて
大爆笑。
その後名言が生まれた
【ライトでいいわ】
近年は野球はライトはホームを指すのに強肩でなければいけないし
良い左バッターが多いから
守備は大事。
僕らのころの
野球は
ライトは補欠のひとつ前
のポジションだった
決して花形ではなく
T君も控えめに言ったつもりが
身の程知らずな奴になってしまった
個人の希望どうりには
いかない世の中
勘違いもそこにはかぶさって
たまに事態を悪くすることもある
さりとて
僕の今回の希望は…
楽しい、うれしい
胸が高鳴る
そんな希望な日が
やってくる
6月9日
ロックの日
僕にとってロックと言われ
だいたい浮かぶ歌は
キャロル
「憎いあの娘」
ジョニーのリード
リズムを刻むあのロック
多感な時期に効いた
和製ロック=キャロルだった
永ちゃんのボーカルも
歌謡曲の世界にはなく
フォークのそれとも違う
洋楽のロックとも違う雰囲気
洋楽からの影響はあるものの
噛み砕いて和製ロックになって
僕のようなはじめてロックに触れる
人にも強烈な印象を残してくれた
和製ロックは本場とはノリやソウルが違うと言われがちだけど
はっぴいえんどが
日本語のロックをやり始めた流れが
あっても
やはりビートとスゥイング感が違う
キャロルもどこかビートルズの匂いを醸しつつ
ロック=ツッパリみたいな
イメージを作っていったグループだ
憎いあの娘
タイトルだけみると
憎悪の憎くさではなく
悔しい感じで見てるあの娘の事
ちょっととっぽい感じの跳ねてる
男が
あの娘を手に入れたくて…
そんな若い時にある
あのじれったい
やりきれない
クールっぽい恋愛
この辺がロックだと
ジメってしないからいい。
いわゆる
「いかした」歌だったんだよね
父親の死から
75日目の昨夜
四十九日も終え
何かまた、思い返す時間があり、
葬儀の時は弟は挨拶時に
嗚咽しながら泣いて挨拶をしていた。
父親が病院から
冷たくなって家に
戻ってきた姿を見た時も
少しウルッとしたくらいで
泣きもしなかった僕。
こういったことろが
ろくでなしたる所以なんだろうと
思ったり…
何故泣けない、
泣けない自分に嫌気もさしていた
別に泣くことが弔いになるなんて
思ってもいないが…
気持ちを整理して
送り出すことが何よりなんだと
思っていた。
それでも
充分にやれる範囲、出来る事は
悔いなくやってきたつもり
その つもりの中に
ホントは
もっと早く僕は息子とし
長男とし愛された事を確認するより
先に男として、父親として
ひとりの人間として
優しさ溢れる言葉を父親にかけただろうか?と思い返した途端
泣けてきた。
嗚咽を抑え
声を上げ
泣いていた。
枕に顔を埋めて
泣き声がもれないように
泣いた。
「大変だったね、ホントに苦労してきたんだなぁ ありがとう…ちゃんと向き合うことをしてこなくて…」
そんな言葉が胸を掻きむしる
照れや、恥ずかしさが先に立ち
そんな言葉すら
かけれるタイミングもなかったことはなかったんだけれど
やり残したことといえば
父母は結婚式をあげてなかったから
せめて写真でも並んで撮ってあげたかったことと
昨夜胸を打つ
その労いの言葉をかけてあげれなかったことの悔しさが
とめどなく自分を責めながら
涙という形で父親を思いながら
泣けてきた。
あれだけ
泣けない自分に
何か欠損してる感情があるのか
半ば 気にしないようにもしていた。
声を上げて泣いたのは
何年ぶりだろう
父親を亡くした悲しみというより
自分の不甲斐なさに
泣けたのかもしれないけれど
この涙は
確かに
父への弔いとして流し
幼児がベソをかいて泣き崩れてる
そんな感じだった。
明日で七十七日目
実際の四十九日
どちらかといえば
文句ばっかり言ってた父親だった
他人に言えない分
母親にだったり
僕らの前で
よく、文句を言って発散していたこともあった
特に病院での扱いの悪さには
相当ご立腹だった
昔から
文句の多い父親だったけれど
そうでもして感情を発散しないと
それこそ潰れてしまうのも
あるわけで
だから
僕は
この七十七日間に
父親への感謝の気持ちを
ずーっと
毎日書き綴ってみた。
ありがとうと思い返すこと
感謝の気持ちになったこと
書き綴ってみた。
それが
文句の多い父親への
逆の感謝を込めてあの世へ旅立って
いけるように
感謝の言葉で押し出した。
泣けてくる感情は後にも先にも
昨夜のあの瞬間確かに
僕は父親の死を受け入れた。