先日の「カトちゃん」に続いて、昨日は「ワダちゃん」がおんぼろの自転車を漕いでやってきた。「ワダちゃん」はマヒナスターズのリーダーと同姓同名である。
住所不定。いや、住所不定ではなくて、静岡市駿河区宮竹地先官有無番地防潮林内居住である。ホームレス歴5年。41歳。所持金は1万円余り。前科はないが弁当を盗んだり、盗難届けの出ていた自転車に乗っていたところを捕まったりして警察のご厄介には何度かなっている模様である。
市内の山間部で生まれ育って、地元の中学を卒業後、15の歳から市内の左官業者へ住み込みで奉公したが、仕事の覚えが悪くて3年ほどで見切りをつけてそこを辞めた。実態は見切りをつけられたと言った方が適切かもしれない。その後は幾つもの仕事を転々としたが、どこも長くは続かなかったようだ。これは本人の内向的な性格によるものと推察される。つまり、「ワダちゃん」は極めて社交性に欠けるのである。
今から5年ほど前の36歳の時からホームレスになり、夏は海岸の松林の中でのテント生活、冬場は橋の下などを住処にしていたそうだ。生活費はホームレスになった最初の頃は働いていた時の貯金が少しあったが、近頃では母親に金をせびって暮らしていたそうだ。
その母親であるが18歳のときに12歳も年上の父親との間に長女を出産してから、本人を含めて6男3女合わせて9人の子供をもうけ、生活は赤貧を極めたようだ。9人の姉弟の内で結婚しているのが妹二人だけというのも何となくこの家族の実態を物語っているようである。土木・山林労務者だった父親は5年前、既に亡くなっている。
先日の「カトちゃん」はネットカフェ難民だったが、今回の「ワダちゃん」は正真正銘、本物のホームレスであり、その期間も5年と長い。
夏場は海岸の松林の中に、どこかから失敬してきたブルーシートでテントを作り、冬場は国道の橋の下などに寝泊りしていたそうで、橋の下は松林よりも平均して3~4℃は温かいらしい。そういえば松林には薮蚊が多くて敵わないとかいっていた。
食事は10時ごろに一度取るだけで、一日一食である。米は拾ってきた炊飯器の中身のアルミの鍋と、これまた拾ってきた鍋蓋で炊いたそうで副食は保存が利く缶詰類が主体である。燃料は松林の中だから幾らでもあるし、水は公衆便所の水道を利用していたそうだ。本人は生活費は母親に貰っていたといっていたが、実際にはコンビニのゴミ箱を漁ったり畑の野菜をくすねたりと乞食同然の暮らしをしていたことは隠しようもないだろう。
風呂は公衆便所の水道からペットボトルで運んだ水で石鹸を使って洗っていたから大丈夫だと嘯いていた。しかし、着ている物などからは仄かな異臭が漂っていて決して清潔とは言いがたいのである。
さて、「カトちゃん」といい今回の「ワダちゃん」といいハローワーク(公共職業安定所)の紹介できたのだが、彼ら浮浪者からみるとハローワークは職業安定所というよりも簡易宿泊紹介所のような存在らしい。
このところ立て続けにこの種の人種が職を求めて、と、いうよりは塒(ねぐら)と食料を求めてやってくるのは、間もなく冬がくるからである。
「歩き疲れては 夜空と陸との すきまにもぐり込んで 草に埋もれては 寝たのです ところかまわず 寝たのです 歩き疲れては 草にうもれて 寝たのです 歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです このごろは 眠れない おかをひいては 眠れない 夜空の下では 眠れない ゆり起こされては 眠れない 歩き 疲れては 草にうもれて 寝たのです 歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです そんな僕の 生活の柄が 夏向きなのでしょうか 寝たかと思うと 寝たかと思うと またも冷気に からかわれて 秋は 秋からは 浮浪者のままでは 眠れない 秋は 秋からは 浮浪者のままでは 眠れない 歩き疲れては 夜空と陸との すきまにもぐり込んで 草に埋もれては 寝たのです ところかまわず 寝たのです」
高田渡の「生活の柄」という歌は実にこのあたりの実態を表している。
「ワダちゃん」は昨夜久しぶりに風呂に入って溜まった垢を洗い流した。夕飯も食べた。屋根のある部屋でゆっくりと寝て今日は朝から少しずつ働いていることだろう。
こんなことを書いている最中に宿舎の世話をしている女性から電話が入った。「ワダちゃん」が持ってきた汚れた衣類は一度洗っただけでは綺麗にならないので2度ずつ洗濯機にかけているとのことである。
住所不定。いや、住所不定ではなくて、静岡市駿河区宮竹地先官有無番地防潮林内居住である。ホームレス歴5年。41歳。所持金は1万円余り。前科はないが弁当を盗んだり、盗難届けの出ていた自転車に乗っていたところを捕まったりして警察のご厄介には何度かなっている模様である。
市内の山間部で生まれ育って、地元の中学を卒業後、15の歳から市内の左官業者へ住み込みで奉公したが、仕事の覚えが悪くて3年ほどで見切りをつけてそこを辞めた。実態は見切りをつけられたと言った方が適切かもしれない。その後は幾つもの仕事を転々としたが、どこも長くは続かなかったようだ。これは本人の内向的な性格によるものと推察される。つまり、「ワダちゃん」は極めて社交性に欠けるのである。
今から5年ほど前の36歳の時からホームレスになり、夏は海岸の松林の中でのテント生活、冬場は橋の下などを住処にしていたそうだ。生活費はホームレスになった最初の頃は働いていた時の貯金が少しあったが、近頃では母親に金をせびって暮らしていたそうだ。
その母親であるが18歳のときに12歳も年上の父親との間に長女を出産してから、本人を含めて6男3女合わせて9人の子供をもうけ、生活は赤貧を極めたようだ。9人の姉弟の内で結婚しているのが妹二人だけというのも何となくこの家族の実態を物語っているようである。土木・山林労務者だった父親は5年前、既に亡くなっている。
先日の「カトちゃん」はネットカフェ難民だったが、今回の「ワダちゃん」は正真正銘、本物のホームレスであり、その期間も5年と長い。
夏場は海岸の松林の中に、どこかから失敬してきたブルーシートでテントを作り、冬場は国道の橋の下などに寝泊りしていたそうで、橋の下は松林よりも平均して3~4℃は温かいらしい。そういえば松林には薮蚊が多くて敵わないとかいっていた。
食事は10時ごろに一度取るだけで、一日一食である。米は拾ってきた炊飯器の中身のアルミの鍋と、これまた拾ってきた鍋蓋で炊いたそうで副食は保存が利く缶詰類が主体である。燃料は松林の中だから幾らでもあるし、水は公衆便所の水道を利用していたそうだ。本人は生活費は母親に貰っていたといっていたが、実際にはコンビニのゴミ箱を漁ったり畑の野菜をくすねたりと乞食同然の暮らしをしていたことは隠しようもないだろう。
風呂は公衆便所の水道からペットボトルで運んだ水で石鹸を使って洗っていたから大丈夫だと嘯いていた。しかし、着ている物などからは仄かな異臭が漂っていて決して清潔とは言いがたいのである。
さて、「カトちゃん」といい今回の「ワダちゃん」といいハローワーク(公共職業安定所)の紹介できたのだが、彼ら浮浪者からみるとハローワークは職業安定所というよりも簡易宿泊紹介所のような存在らしい。
このところ立て続けにこの種の人種が職を求めて、と、いうよりは塒(ねぐら)と食料を求めてやってくるのは、間もなく冬がくるからである。
「歩き疲れては 夜空と陸との すきまにもぐり込んで 草に埋もれては 寝たのです ところかまわず 寝たのです 歩き疲れては 草にうもれて 寝たのです 歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです このごろは 眠れない おかをひいては 眠れない 夜空の下では 眠れない ゆり起こされては 眠れない 歩き 疲れては 草にうもれて 寝たのです 歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです そんな僕の 生活の柄が 夏向きなのでしょうか 寝たかと思うと 寝たかと思うと またも冷気に からかわれて 秋は 秋からは 浮浪者のままでは 眠れない 秋は 秋からは 浮浪者のままでは 眠れない 歩き疲れては 夜空と陸との すきまにもぐり込んで 草に埋もれては 寝たのです ところかまわず 寝たのです」
高田渡の「生活の柄」という歌は実にこのあたりの実態を表している。
「ワダちゃん」は昨夜久しぶりに風呂に入って溜まった垢を洗い流した。夕飯も食べた。屋根のある部屋でゆっくりと寝て今日は朝から少しずつ働いていることだろう。
こんなことを書いている最中に宿舎の世話をしている女性から電話が入った。「ワダちゃん」が持ってきた汚れた衣類は一度洗っただけでは綺麗にならないので2度ずつ洗濯機にかけているとのことである。