日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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我儘が 義理と恩義を 蹴散らした

2012年11月07日 12時25分17秒 | 日記
俳句をやる人は大抵は俳句結社なり同人誌の会員、あるいはインターネット俳句会のメンバーになっている。そうしないと作品を発表することができないからである。
中には新聞や雑誌の文芸欄だけに投句している人もいるのかもしれない。

私の場合も伝統俳句協会や現代俳協のネット句会から始まり、ある自由律俳句の結社に入会した。結社には主宰とか社主とか呼ばれる代表者がいて会員を束ねている。

伝統俳句の「ホトトギス」であれば虚子の孫の稲畑汀子先生、俳句協会系の「風土」であれば神蔵器先生といった具合である。
大きな結社になれば組織化して会計や編集長などの役職をもうけて活動しているのであるが、その経営の詳細について知るところではない。

私が最初に入会したのは会員数が20名ばかりの小さな自由律俳句の結社だった。会費が安い代わりに俳句誌の発行も年に一回という地味な結社であった。代表は郵便局だったか電話局を定年退職して悠々自適の生活をしている人で温厚なお人柄であった。

その結社で3年ほど世話になっていたのだが、あるとき主宰を取り巻く女性音楽家がネット上でやっていた音楽用語尻取りへ「スタッカーティッシモ」と書き込んだところ「スタッカティシモ」が正しいからとクレームがついた。
そうならば貴女が書いた「うさぎうさぎ」も正しくは「うさぎ」ではないのかと切り返したところ大層な怒りようだった。

「スタッカーティッシモ」は音をきわめて短く切るという演奏記号のことで、スタッカーティシモ、、スタカッティシモ、スタッカティッシモ、 スタッカッティシモ、スタカティシモ、などいろいろな表記がされるが、所詮はイタリア語の発音を無理やりカタカナで書いただけに過ぎず、どれが正しいという決まりはないはずである。しかし、その女性音楽家は専門家の沽券にかかわることだからといって一歩もひかない構えだったから、私は某音楽大学のイタリア語教授に直接メールをして教えを請うたのである。その結果は小さな「ッ」の入った私が書いた表記のほうがよりイタリア語の発音に近いという結論に達した。同時にその教授は、もし本気でそのようなことを主張する音楽家がいたとするなら、その人はたぶん「もぐり」だとまで断言してくれた。

「スタッカーティッシモ」に関する論争はこうして決着がついたのだが、50歳近いその女性音楽家は私に苛められたために流産してしまったとかいう話にまでなり、私はその俳句結社を”石もて追われる”ごとく退会したのである。

今回、退会したのはその次に入会した結社である。主宰は間もなく90歳になろうという老齢の方で会の実務は70歳くらいの弟子の一人が編集長をやっている。

私が前の結社をしくじって落胆しているときに快く招き入れてくれたので、非常に恩義に感じて入会以来7年有余を出来る限りのことをしてきたつもりでいる。しかし、これは会員として当たり前のことだから別に恩に着せるつもりはない。

最近、結社からは退会者が相次ぎ、危機感を抱いた私は結社のホームページの更新やインターネットの利用などついて幾つかの提言をしたのであるが、いずれも主宰がご高齢だからという理由で却下された。それでは私たち会員は、釈迦涅槃の枕辺に侍るトラやサイのような存在に等しいのではないかといったら編集長から酷く叱られた。

組織というほどの結社ではないが幹部の考え方が硬直化していて発展が望めないのである。また、私自身の思考も柔軟性を欠いており、若い会員の作品に頻繁に出てくる「なう」や「BBQ」などの用語についていけないというのも退会を決断した大きな理由である。前途ある若い会員の足を引っ張ってはいけない。
老兵は消え去るのみ・・・寂しいことだがこれが65歳の俳句愛好者の出した結論である。
コメント
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